3.無理を言ったね

「はじめまして。もしかして、サチの友達?」

「え――はい、とりあえずそう思ってます。同じクラスの、竜見タツミ和希カズキです」


 突然の質問に驚いて詰まったものの、そう素直に応えると、にこりと、男は微笑ほほえんだ。

 三十前後といったところだろうか。しかし、あまりにも落ち着いた雰囲気からすると、童顔で年齢はもっと上なのかも知れない。

 不器用な医師のような、そんな印象を受ける。


「幸にも友達がいたんだ、良かった。家では何も話してくれないものだから」

「家って…長良ナガラ君の保護者さん、ですか?」

「ああ、ごめん。うん、幸の保護者というか後見人というか。杉岡スギオカです。連絡先しかないけど、良ければこれ、名刺」


 渡された小さな長方形の紙片には、言葉通りに「杉岡タカラ」という名前と、確認に一度回されただけのクラス名簿に載っていた、幸のものと同じ住所と電話番号が書かれていた。メールアドレスは、世界有数のフリーアドレスだ。

 そうして、男はしげしげと、和希の着ている衣装とみづら風に結った髪を見つめた。

 隣では、不機嫌そうに、それでいてどこか不安そうな様子で幸がたたずんでいる。身長は、わずかに幸の方がまさっているようだった。


「良くできてるね、その服。幸の分も、作ってくれた?」

「はい。目玉なんです、生徒の仮装。生徒会や新聞部の配付している資料に詳しくありますけど、昔、水いをした男女にちなんでるんです。午後には、体育館で衣装審査のステージ発表がありますから、時間が合えば見ていってくださいね」


 外向きの笑顔を向ける。実は、その双方に和希が関わっていた。

 新聞部には、今までの学校新聞を見せてもらいに入りびたっているうちに部員になってしまい、生徒会では、クラス委員ということで雑用に使われた。

 そのおかげで、おそらく和希は、今、校内で一番梅雨祭の由来や変遷について詳しいだろう。


 そもそも無背ナセで育った以上、梅雨祭には何度も来ていたし、概要も知っていたが、詳細や多説の全てまではあまり知らずにいた。

 唐風からふうに作った衣装も、一応は、その二人が大陸から流れ着いた術師だった、という一説をもとにしたものだった。

 みずからではなく、村人たちに人身御供ひとみごくうまつり上げられた、行きすがりの人物だと伝えるものもある。

 伝承は、そんなあやふやさが面白い。

 真実や事実は、一つしかないように思いがちだが、実際には人によって異なることが多い。とらえる側によって、時によって、それらは変化する。


「そうだ、これ」


 投票用紙を差し出すと、杉岡は興味を覚えたように覗き込み、幸は、わずらわしそうに顔をしかめた。


「誰に入れてもいいから、投票参加は頼むよ」


 当初の目的をようやく差し出して、受け取ったことを確認してから、杉岡に笑顔を向ける。


「これ、うちのクラスのチラシです。割引券ついてますし、どうぞ」

「ありがとう。幸は、何もくれないんだ。今日だって、何一つ言ってくれなかった」

「即刻帰れ」


 杉岡は、笑って肩をすくめる。これは勝ち目はないなと、和希は苦笑をこらえた。

 それに気付いたものか、杉岡は、にこやかな笑顔を和希に向ける。


「迷惑でなければ、案内をしてもらえないかな。幸はこの通りだから、期待できなくて」 

「是非、と言いたいところですが、残念ながら、用事を頼まれてまして。午後の準備があるんです」


 心底、残念だと思う。普段にはない幸を大いに見られそうな、折角の機会だというのに。

 杉岡は、そうかと、少しだけ残念そうに言った。


「無理を言ったね」

「そんなことはないです」

「ありがとう。衣装審査には、二人も参加するのかな?」

「午前中に、クラス内で投票があるんです。その結果次第ですね」


 その言葉に、はかったわけではなく、そろって、幸の手にしていた投票用紙に視線が向いた。


「あの紙?」

「そうです」


 心持ち幸を睨むと、わずかにたじろぐように身を引いた。杉岡も、非難するように見たことが大きな理由だろう。

 和希は、何とはなしに、杉岡と顔を合わせて苦笑した。一種、共犯のような空気が流れる。もう少し話してみたいと、幸のことを抜きにしても思った。

 しかし、スケジュールを詰め込みすぎの梅雨祭一日目は、どうにも慌ただしい。衣装コンクールを一日に収めようとしているところに無理があるのだ。


「そうだ。校内図、新聞部か生徒会の配ってる冊子に載ってますよ。ここからだと、新聞部の配布場所が近いです。そっちの校舎に入ったらすぐのところに机置いてますから、よければどうぞ」

「ありがとう」


 三人が立っているのは、一般教室が主に配置されている校舎と、特別教室や職員室が配置されている校舎との間の中庭だ。

 向かい合った校舎は、それぞれ端に近い二カ所の渡り廊下で繋がっている。

 そんな校舎の、校門に通じる通路の反対側は、山になっていた。

 そのさかいのあたりに、今日のもとである男女のほこらっている。中庭からは、園芸部の温室が目隠しになって見えなかった。

 中庭や校舎前には各クラスや部活が店を広げていて、おそらくは、出店参加の半数近くがここや運動場に出て来ているだろう。

 新聞部は、校門の横辺りに陣取りたかったのだが許可が下りず、中途半端に校舎の中を割り振られてしまっていた。

 ちらりと校舎に設置された時計を確認して、和希は軽く頭を下げた。


「それじゃあ、すみません、失礼します」


 ひらりと浅葱色の衣装をひるがえして、二人に背を向けた。

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