2.是非とも、差し上げませんとね

「…何か、笑うようなこと言った?」 

「いや。…いい奴だな、お前は」

「勝手だ、って怒られると思った」

「確かに勝手だ。だけど、怒るようなことでもないだろう。多分」


 くくと、声を殺して笑う。ついれてしまったという風なあたり、ひねくれている。

 しかしまあ、悪い方向にはいかなかったようだと、ほっと、肩から力を抜く。


「じゃあ、立ち話もなんだし、家に」

「いいや、帰る」

「えー」

「お前を送るだけでも、かなりの譲歩だったんだ。このあたりで観念しろ」

「だけどそれは、キミの荷物につまづいたっていう正当な理由があったと思うけど」

「それでも、お前の信者にいくらでも送りたがってる奴がいただろう」


 信者ねと、苦笑気味に呟く。確かに、和希を生き神のように扱う人もいる。そうでなくても、面倒見のいいクラスメイトも、大勢いた。

 軽く、肩をすくめる。


「あそこで、キミに頼まなかったらどうなってたと思う? キミに非難がいったんだよ。恩の一つくらい、感じてみない?」

「お節介」

「予想通りの返答をありがとう」


 至極しごくあっさりと返して、はあと溜息ためいきをこぼす。


「まあ、そこまで言うなら仕方ないね。ちょっと待ってて」


 とりあえずはひねった足を気遣いながら、早足で行く。

 さすがに家の、母屋までの道とあって、慣れているだけに歩きやすい。


「おい?」

「いいから待っててって。勝手に帰ったりしたら、後日をお楽しみに」


 ひらりと、後ろも見ずに手を振ると、手入れの行き届いた庭を向けて、古びているががっしりとした玄関を避けて裏戸を気軽にくぐる。

 大きな、古い日本家屋。

 かなり昔に建てられたという話だが、よくもこんな行き来しにくい山すそに、これだけの資材を運んで後々にまで耐えるものをつくったものだと思う。今でも、補修は大掛かりなものになると厄介だというのに。

 幼い頃には、広すぎる家に少ない人で、怯えた覚えがある。それでも泣いた覚えがないのは、その頃から意地を張り通していたから――だろうか。


 生まれて、一年目の年。

 きっちり一年ののちに、和希カズキはこの家で暮らすようになった。

 祖父母と、家事を取り仕切る住み込みの節子セツコと通いの何人かの家政婦。

 それが、和希の「家族」になった。


 両親が事故で亡くなり、誰もが、何かにつけて「可哀想かわいそうだ」「不憫ふびんだ」と言葉を残していった。

 和希が覚えている一番古い記憶は、そんな言葉が行き交う両親の葬儀の席から、鮮明さをともなって開始する。

 そんなところでまで、記憶力の良さを発揮しなくてもいい、と思う。そうでなければせめて、もう少し早くから、始めてほしい。

 今ではそれなりに使いこなせる記憶力も、当時はそうではなかったらしく、一連の映像として残っている。

 脳裏に再生されるのは、両親の抜け殻ばかり、周囲の気の毒がる様子ばかりだ。


「おや、おかえりなさい、和希さん。足をどうされたんです」


 特に意識をすることもなく、それでも目的地にたどり着けていたらしい和希は、節子の声に我に返った。

 湿布を貼ったせいで不自然に膨らんだ靴下のくるぶしは、見るからに違和感を主張しているだろう。心配そうに眉をひそめていた。

 山本節子は、他に身寄りもないということで、和希が生まれる以前から住み込みで竜見タツミ家で働いているとのことだった。

 おそらく、物質的な範囲では、節子がこの家のことを一番理解しているのだろう。そして、和希にとっては育ての親と言っても差し支えない。


「捻っただけ。少し大袈裟おおげさでさ。ねえ、節子さん」

「なんです?」


 決して丁寧な口調を崩さない節子だが、冷たい感じは全くない。

 和希は、節子のこの「なんです?」という言葉を数えることもできないくらいに聞いてきた。


明月堂メイゲツドウ、行ってきた?」

「はい。ちゃんと買ってきましたよ、羊羹ようかん。早速召し上がりますか?」

「うん、いや、少し、分けてもらえないかと思って。友達が、食べたことがないって言ったから」

「まあ。それは是非とも、差し上げませんとね」


 節子は、笑うとお多福のめんのようになる。柔和にゅうわな、優しい顔だ。

 上がってもらえという言葉を適当に誤魔化して礼を言って受け取り、駆け出そうとすると、やんわりとたしなめられた。

 足を気遣ってのことでもあるだろうが、そもそも家の中を走り回ることを、節子が良しとした試しはない。

 来たときと同じ道をそのまま引き返して家の前に戻ると、使い込まれた自転車とともに、幸がぼんやりと待っていた。

 和希の姿に即座に気付き、いささか不服そうな視線を寄越よこす。


「やあ、ごめん。これ」

「何だ?」

「羊羹。明月堂の」


 げ、と漏らした声が、確かに聞こえた。そんな反応に、むと、眉根を寄せる。


「一度食べてみなって。甘党だってことは知ってるんだから。明月堂の和菓子を食べずに過ごすなんて勿体もったいない」


 幸は、学校での昼食は常に食堂か購買なのだが、ほとんどデザート類や菓子パンばかりを食べている。

 それ以外のものを食べただけでも噂になるくらいには、密かに注目の的だ。ただ、誰もが遠巻きにするだけに、面と向かって理由をただす者はなかった。

 自覚はないのか、少しだけ、焦ったように幸の目線が空を彷徨さまよった。


「…やけに熱心だな」

「言っとくけど、この辺りじゃあ、明月堂の無断広報係は多いよ。市に合併して、唯一嬉しいのはあの明月堂と同じ行政区域に入ったことだ、なんていうわけのわからないことまで言う人もいるくらいだからね」


 事実だ。

 しかし幸は、胡乱うろんそうに見返す。とにかく、と、和希は羊羹の入った包みを押し付けた。


「また明日。送ってくれて、どうもありがとう」

「俺は…」

「初めてだろう、無背の梅雨祭。キミが引っ越してきたの、夏休みの終わりだったらしいし。少しでいいから、期待してくれていいと思うよ」


 そうして不承不承ながら、幸は帰途に着くようだった。

 歩くと遠いから自転車を貸そうかと言ったが、きっぱりと断わられた。もしかして、乗れないのだろうか。あるいは、借りをつくるのがそんなにもいやか。


 梅雨の合間の晴空は、うっすらとかげりを見せ始めていた。

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