1.参加するなら頂点だ

「逃げるな、衣装合わせにならないだろ!」

「聞いてないぞこんなの!」


 無背ナセの神童は、逃げの体勢に入りかけた鬼子おにごの白い半袖シャツのすそをつかんで、怒気どきを込めてにっこりと微笑ほほえんだ。


「衣装を決めるときに任せるって言ったよね? 原案も見せたよね? 仮いの時にもいたよね? そこまでやっときながら聞いてないってのは、ちょっとおかしいだろう? ねえ、何か間違ったことを言ってる?」


 ぐ、と、言葉に詰まって動きを止めた隙に、裾から移って、しっかりと腕をつかむ。

 それがすがりつくようにも見え、見ようによっては仲のいいカップルなのだが、周囲は確実に距離を置いている。

 もっとも、それどころではないというのもある。

 学校を上げての梅雨祭は、すぐそこに迫っているのだ。

 梅雨祭の片付けの最中さなかには来年のことに思いをせる、というくらいには、熱が入っている。下手をすれば、秋の文化祭がかすむほどだ。

 個人参加でも団体参加でも、手を抜く者はいないのが常識だ。――基本としては。


「…女物なんて」

「違いなんてあんまりないじゃない。それにちゃんと、設定図に書いてます。こっちがキミでこっちがボク。この絵、見せたね? 見て、納得したからこれでいいって言ったんだと思ったけど?」


 もしかすると唯一の、梅雨祭に乗り気でない友人に、無背の神童と呼ばれる竜見タツミ和希カズキは、手書きの衣装設定図を突きつけた。


 何故か、一度は視線を向けたクラスメイトたちが、そっと目をらす。巻き込まれたくない、という心の声が聞こえたような気がするが、無視をする。

 あと、ほんとりと和希ではなく長良ナガラサチの方に、同情めいた色が見られるが、これも無視を決め込む。

 和希自身、詳しい注釈をしなかったのはアンフェアだったかとも思うが、任せ切りにしていたのだから自業自得だ。

 そのことは、幸にも自覚があるらしく、反論の言葉は出なかった。そもそも、言う通りに、少し見たくらいでは判らないくらいの差異でしかない。


 小柄な和希に追いつめられて、同年代の中でも身長のある幸は、足掻あがくように天井を仰いだ。

 確かめるように右手首のリストバンドを見るのは、癖だろう。しかし、妙案は出なかったらしい。


「わかった。俺が悪かった」

「いやだなあ、まるでボクがいじめたみたいだ」


 そんなことを言いながらも、既に衣装を着せかけている。羽織っていくもののため、脱ぐ必要がないのは楽でいい。

 しかしこれでは着せ替え人形のようで、覚悟を決めたらしい幸は、和希の手から衣装を奪い取り、渋々と身にまとった。

 和希も、腹をくくったらしいと見定め、自分の分を身につける。


 布をたっぷりと使った服は、下手をすると裾を踏みつけそうだった。唐風からふうの衣装にしたのだと、和希が、今度は裏面りめんはなしに笑顔を見せる。

 和希は、いっそ異常なほどの記憶力で神童とまでたたえられるが、そのせいか応用しかできないのだと知っている。

 しかし、それは卑下ひげしたものではなく、時には大いに有効だ。そういったことを役立てられるのは、嬉しい。


「…ひらひら」

「素っ気ない感想ありがとう。当日は、ガクランは脱いでね。着るなら、Vネックのシャツやランニングで。草履ぞうりき替えるのも忘れないように。リストバンドは――」

「外せない」


 有無うむをいわせず言い切る言葉に、一瞬だけ目を見開いて、和希はこくりと肯いた。

 こだわりの一つや二つ、誰にでもあるものだ。例えば和希は、中学に入る少し前から伸ばし始めた髪を、肩よりも短くするつもりはない。

 そして、幸が常にリストバンドを外さず、しかも、教師にも渋々と認められているのは周知のところだ。


「わかった。じゃあ、袖に隠すように気をつけて」

「ああ。…男女逆転する意味、あるのか?」

「あんまりない」


 素直にげると、絶句した。その間抜け面に吹き出してしまい、慌てて謝る。


「意表を突けるかな、と思ってさ。奇策の外道だけど、どうせなら優勝狙いたいし。参加するなら頂点だ」

「参加するならって、これ、全校強制参加だろ」


 そうでなければ参加していない、と言外に言う幸に、和希は、わかってないなあと肩をすくめた。


「強制だろうが自由だろうが、参加は参加。やる以上は全力を尽くさないと、企画者にも他の参加者にも失礼ってものだろう? ま、現時点でキミが一番礼をいている相手は、ボクだと思うけどね」

「お前が勝手に仕切ったんだろう」

ひどいなあ、ヒトが丹誠込めてふたり分も作ったっていうのに」

「それは――ご」

「楽しんでやったんだけどね。梅雨祭、キミがさぼらず参加してくれるなら、苦労もむくわれるってものだ」


 そう言って笑って、和希は、確認は済んだから脱いでいいよと、明るく告げた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る