第3話

 俺たちはほどなくして、また戦場に出るようになった。人間どもは俺たち、特に俺に用心して、最初は単なる偵察から、次は機雷の敷設、その次に魚雷を持たされた。

 俺たちはつまり、極めて身軽な潜水艦だったんだな。一匹一匹を造るコストはそこそこかかるが、本物の潜水艦一台よりはマシ。人間の乗組員はいらなくて、魚雷も四本は撃てて、自律思考戦略構築可能で、捕虜の処理にちょうどいい。──餌のことだぜ。

 こんな扱いをするくらいなら、戦争についての教育のほかに、多少なりとも一般教養をブチ込んできたのはなんのつもりだったんだろうな。

 例の俺の一件以降、俺たちは、一日に一度学習の時間を設けられ、地上の映像だの日常生活のシミュレーションだのを見せられた。ヴァーチャルの映像のなかで、俺たちはベッドから起き上がり、身支度をして、廊下を歩き、キッチンでサンドイッチを作る。馬鹿馬鹿しいったらありゃしねえぜ。あんまりにも馬鹿馬鹿しいから装置をブチ壊しちまったら、そこから三ヶ月拘束された。アルバコアはそんな俺に「おめでとうございます、拘束期間の最長記録をみごと更新ですね。まあ、あなたの一人相撲ですけど」とほざき、フラッシャーは「電子機器を水の近くで壊さないで、感電するから」と淡々と小言を述べた。あいつら、よくあんな映像延々見せられて大人しくしてられるよな。

 まあ、当然のごとく拘束期間中も暴れたおしていたら、見張っていた人間のひとりが耐えかねて叫んだ。なんて叫んだと思う? 聞いて驚け、「女ならもう少しおとなしくしろ」ってな。二百年前のミソジニストだって使わねえようなだ、こんなもの。

 だが、そのときの俺には、その言葉が効いた。具体的にどう効いたかというと──まあ、端的に言って、怒りのあまり、我を忘れた。

 俺にとっては、兵器扱いされることよりよっぽど存在を侮辱された気がしたんだ。

 気がつくと、俺の鰭棘には人間の髪の毛が頭皮ごと絡みついていて、見張りの首は折れていた。



 鰭を体に巻きつけて固定され、手枷足枷をはめられて、鎮静剤まで打たれた俺は、朦朧としつつある意識を覚醒させるために毎晩叫び続けた。喉が裂けて血が出るまで。

 俺はあの殺人を後悔しない。敵の兵器も味方の人間もどうせ同じだ。同じ血と肉をいれた皮袋だ。だったら殺したって構わねえじゃねえか。あいつらが、俺たちに「殺せ」と命じたんだから。

 そのために俺たちを造ったんだから。

「クソ、死ね、あのクソッタレども!

 俺の体は女で、心は男だって? くそぅ、あいつらどうしても男か女かに分類しなきゃ気がすまねえのかよこんちくしょうめ。兵器に性別なんざあるもんか。男に殺されるのと女に殺されるのと違いがあるもんか。みんな同じだ。みんな同じのクソッタレだ、こんな世界!」

 俺は燃え尽きかけの炎みたいに、火柱となってぼやけた水に吠えた。何もかもが腹立たしかった。誰もわかんねえ、何をいっても伝わんねえ、鉄格子とガラスに覆われた、浄水の牢獄が………。

 どれだけ騒いでもどうにもならないのはわかっていたから、ひとしきり暴れたあと、俺は動きを止め、逆さまにふよふよ浮いて体力を回復させた。俺が動かなくなれば、他に生き物のいない水槽のなかで、大竜巻になっていた泡が少しずつ消えていって、……そしたらそこに、クソッタレな白と青以外の色が見えた。淡い黄みを帯びた光沢、水色の鱗。

「やっと気づきましたか。トートグ」

 アルバコアが、ガラスの向こうからこちらを見ていた。

「……よお、辛気くさいツラ見せやがって。テメェの首もへし折ってやろうか?」

「強がりとは、実にあなたらしいですね、トートグ」

 拘束された尾鰭でガラスをひっ叩きかけたが、鎖に阻まれた。アルバコアは相変わらず辛気くさい表情を変えず、「もう喋ってもいいですか。別に聞かなくていいですから」と言った。

「知るかよ。テメェのその薄ぼんやりした声なんて聞きたくねえ」

「あなたが収容されている間、我々は、本を読む機会があったのですよ」

「話聞けや。……本? 黴くせえ前世紀の遺物だな。お前にぴったりだぜ、アルバコア」

「残念ながら刷りたて最新の防水性で、なかなかよい枕になりましたよ。それで、その本の話なのですけど」

「なんで俺がお前の読んだ本の話なんて聞かねえといけないんだよ。カウンセリングの真似事とかだったらぶっ殺すぞ」

「フラッシャーに言われたんですよ」

 俺は超音波で唸った。水中じゃ舌打ちできねえからな。フラッシャーのお節介は別に今始まったことじゃないが、それにしたってアルバコアと話すなんて、神経を逆撫でするのは解っているだろうに。

 俺の唸りを感知したアルバコアは、じゃらんと長い髪を揺らして、腹立たしいほど悠然と首をかしげた。

「というか、私があなたにカウンセリングだなんてよくもまあそんなふざけた発想ができますね、さすが狂犬」

「へいへい、俺様の頭脳は崇高にできてるからなぁ、マグロちゃんごときには理解できなかったか。つーかとっとと話せよ」

「ああ、はいはい……ある人魚の娘がいまして、なんやかんやあって、死んで泡と消えるのですよ」

「さすがにはしょりすぎじゃねえか?」

 思わずまともに突っ込んでしまったが、アルバコアはあの下がり眉ひとつ動かさず「過程はどうでもよかったので忘れました」とほざいた。

「私とフラッシャーは、この話から次のことを読み取りました──我々は死んでも天国にいかない、と」

「はあ?」

 俺は思わずでけぇ声をあげ、ぐるりと水中で回った。呆れのあまり口が回らないなんざはじめての経験だった。だって、

「そんな下らねえことが結論か? お前はともかくフラッシャーは俺の姉妹だぞ。もっと崇高な理念を読み取るに決まってんだろうが」

「人間がそんな崇高な話を書くものですか」

 さらりと言われ、俺は一瞬返答を忘れた。微かに顔が歪む。こいつはこんな様子をして、俺よりずっと人間を軽蔑している。その、底知れない絶望と諦めが、こいつの蒼白いかんばせに、永遠の夜のような静けさを与えているのだ。

「天国にいかないなどと言うと子供じみて聞こえますね。言い換えましょうか」

「俺たちは死んでも地獄にいかない、ってか?」

「ええ、そうとも言えますね」

 つまるところ、と、アルバコアはゆっくりと指を立てた。青い水のなかで、そのゆらゆら揺らぐ白い指は骨のように見えた。

「人魚には魂がないのです」

 俺は吐き捨てた。

「あってたまるかよ」

 声と一緒に、泡がのぼっていった。クソッタレな、人間どもの魂みたいに。

「冗談じゃねえぜ。魂なんざ、死後の世界なんざ、あってたまるか。そんなものあったら、俺たちはどんな顔して死にゃあいいんだ」

 俺たちが殺してきた幼い人殺しの顔が、あぶくのように無数に浮かんできた。その口が開いてなにかいう前にぱちんと弾けてグロテスクに消えていく、俺は鰭を一閃して叩くが、その動きがまた無数の泡を生む。

「地獄なんてどこにあるってんだ」

 相手が外道では、地獄も手はつけられまい。──人間の詩だ。俺たちが貪ってきた魂の持ち主の、ひややかな目だ。

 アルバコアは、鱗の光沢がある髪の隙間から、片方の目だけで俺をじっと見ていた。もしかしたら、睨んでいたのかもしれないし──憐れんでいたのかもしれない。外道である俺を──魂なんてありゃしないと信じなくちゃやってられねえ俺たち全員を。

「地獄があるってんなら、俺はまさしく地獄行きのお手本みてえな存在さ。──そんなら、俺が先陣きって見に行ってやるのも悪かねえ。てか、それしかありえねえ」

 なおも言い募るうちに、怒りは増幅され、もはや決闘を挑むような意識の際にいた。あの女の目は雄弁だった。絡めとられないよう矢継ぎ早に言葉を投げつけた。

「俺より早く死ぬんじゃねえぞ」

 アルバコアの目は動かない──瞬きもしない。睫毛の影は青く、そういえばこいつはいつだってこの眼差しを俺から離さないのだった。照準と同じように。

「俺は兵器だ。テメェよりも、俺の方が、ずっと兵器なんだ。だから、絶対テメェよりも先に死んでやる」

 そのとき初めて、アルバコアが、うっそりと嗤った。片目と、薄い唇が──月の形になった。

「無理ですよ」

 今でもあの声は忘れられない。

 一瞬で、全身に無数の掌がはりついたような感覚だった。

「私の方が、早く死にます」

 そのとき初めて解ったんだ。あの女のせいで──。俺の冷たい体のなかには──血が巡っている。あいつは言った、わたしのほうが、はやくしにます、だってわたしは──

「女だから」

 ……女の声ってのは、あんなに体をぞくっとさせるもんかね。あの、腹の底に液体を注がれるような気持ちさ。濡れた声は肌を撫でて、耳から肉体にはいってくる。それが俺のなかにあった熱源──怒りに触れ、逆巻いて沸騰した。それきり──俺のなかには、その渦がある……。



 謹慎と名付けた拘束期間が終われば、俺はまた戦場に出た。即日だ。

 外海まで船で連れ出されて、放される。俺たちのパックの哨戒範囲は四百から六百平方マイル。艤装を施した艦の甲板は冷たかったが、俺の鰭にくるんだ裸足の方がもっと冷たかった。

 艦が、バラストを棄てるように俺たちを落としていく地点まで、あと少し。

 月を見ていた。人間たちが美しいともてはやす白い丸の、なにがそれほどいいのか、皆目わからなかったが、その晩の月は妙に癪に障った。白かと思えば、なんだかおかしな青と灰色の模様がみえ、光沢はどこか淡い黄みを帯びて──あの、いやに明るいくせにあたりを暖めるわけでなく、陰気な光は、どこかで見たことがある──

 ひたり、と足音がした。俺は振り返らず、鰭棘を少し動かした。少しするような独特の足音まで陰気だった、あいつは。

 影のかたちが隣に並んだ。少しなびいた、長い髪の先だけが視界に入ってきた。

「……ンだよ、アルバコア。突き落とされてえか」

「鰭がしおたれてますね、トートグ──いえ、気味が悪いほどセンチメンタルな背中をしていたもので」

「殺すぞ。単純に」

 頬に、アルバコアの髪が当たる。淡い月光を帯びた、寒々しい色合いの、長い髪……俺は今も、長い髪が嫌いだよ。

 あ? なんで伸ばしてるかって、それは───

「こういうとき、人間は、愛だとか、秘密を伝えるそうですよ」

「…あ? どういうときだよ」

「永遠の別れになるかもしれないときだそうです」

 舌打ちが出た。何回目の出撃だと思ってんだ。これまで毎回、永遠の別れの可能性を無機質に引きずり回して、俺たちは深海に潜っていたんだろうが。それが──あたりまえだったんだ。

 次があるなんて、一度も思っちゃいなかった。

 そのつもりだった。

 女の影が、ひたりと一歩前に出た。甲板の縁、手すりのない黒いエッジに白い指がかかる。長い髪が、ぶわりとふくらみ、俺の体に絡みついた。

「愛も秘密も言葉にできない臆病者は、キスをすればいいそうです」

「……最低の代替案だな」

 不意にあいつは俺の方を向いた。じっと、瞬きのない濡れた瞳で、俺を見てわらった。

「さようなら、トートグ」

 愛や秘密の代わりは、憐れむような眼差しだった。

 俺はアルバコアの肩を掴み、鉄の甲板に引き倒した。肉越しの骨が強打される感触があった。

「アルバコア───」

 おいていくな。

 あいつが何をしようとしてるなんてわかっちゃいた。それを許してたまるもんかと、俺の中の卑怯な声が喚いていた。あいつはいつだって死のうとしてる。いつだって、この世界から逃げようとしてる。

 俺は女の首を掴み、爪を食い込ませながら、あの女にくちづけた。

 キスは、ぬるりと腐った水を浴びせられたようだった。

 唇を押しつけたのは俺だっていうのに、跳びすさった俺は何度も舌で前歯をぬぐって、あの水気を拭き取ろうとした。ただただ奇妙で、恐ろしかった。

 人間ってのは、こんなことをしたいのか? 粘膜がずるりと溶けて、べちゃりとした泥みたいなむつみあいは、おぞましかった。獣だ。俺は産毛のはえた肌と肌の間に海が生まれるような感覚に、吐きそうになって月の下でよろめいた。鰭が脚に絡まって、ひたりひたりとロールシャッハ・テストのような水痕を残していた。

 潮風が吹く、矢のように四方から叩き、逃れようなく月にぎらつく俺の鰭が、燃え上がるようにはためいた。俺のなかのつめたい火、燃える兵器の血の温度が可視化されている。冗談じゃなかった。こんな、こんな状況は──

 仰向けに倒れた体を包み込んで、オーロラ色の鰭がたなびくただ中、アルバコアが、あのすべてを諦めた死人のかんばせで、俺ひとりを見つめていた。逆さまに、溺死した人魚のように、魂のないかんばせで。

「トートグ」

 開いた真っ赤な口が、月の下でただ一度微笑んだ。

「ここが地獄ですよ」

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