第2話

 俺の年齢はよくわかってない。俺がこの肉体のまま成長が止まってから何年経過したか俺は数えちゃいないし、成長期なんてろくすっぽ年齢の概念すらなかった。ただ、人間より成長が早いのは確かだ。──そういう風に管理されてたのかもしれないけどな。毎日、普通の餌の他に、弱酸で溶ける人工真珠を食わされた。あの真珠、何が入ってたんだ。クソ。

 まあ、俺がヤク浸けにされてようがなんだろうがどうでもいい。とにかく、俺たちは受精卵だった頃からずっと、身体の隅から隅まですべて、実験体だったってことだ。

 俺たちの仲間はみんなそうだった。アルバコアも、フラッシャーも。

 アルバコアは俺より少し前に生まれた。母体も違っていた。俺はフラッシャーと同じ母体から生まれていて、本当なら俺は──男のはずだったんだ。

 まあ、男か女かなんて、結局突き詰めたらワケがわからなくなるんだけどな。実際、俺は今の俺様を、立派に男だと思ってるぜ。なぁおい、わかったら二度とMs.なんて呼ぶんじゃねえ。

 俺のY染色体がどう弄くられたかは知らねえが、俺が曲がりなりにもこの形の胎児になったころには、既に俺は生物学的に男である証拠を失っていた。出生と同時に俺は雌であると登録され、ある程度の年齢になったら、フラッシャーとアルバコアと引き合わされた。今日から、彼女たちが貴女のおともだちです、ってよ………。人間でいうなら十三歳かそこらだった。潜水訓練で五百メートルの水圧に耐えられるようになった頃だな。

 俺はアルバコアの奴が大嫌いだった。なんだかいつでも陰気で、俺よりデカいくせに上目遣いでねめつけるようにこっちを見て、手足は骨のように細長くて。オーロラ色の、長い長い髪と鰭が、夜の昏さをひそませて、いつでもぼうっと淡く光っていた……女の陰気なところを、全部より集めたような、蒼白くって、湿った感じの奴だった。

 初めて見た同胞に、俺はショックを受けて動けなかった。そんな俺を、アルバコアは、水底に沈んできた溺死体を見つめる瞳でみた。

「あなたが、トートグですか。…最後の、ひとり。……へえ」

 気の抜けたような、幽霊の吐息みたいな声を漏らしたあいつの髪をひっつかんで噛みついたのが、ファースト・コンタクトだった。

 俺はあっという間にアルバコアと仲たがいして、ガキみたいな嫌がらせをしたけど、あいつは黙って受け流すか、じっとりとした目で見つめながら、なにか皮肉を返してきた。水が滴る氷みたいな、俺とは正反対の女だった。

「仲良くしろとは言わない。でも、同じ群れの魚さ。同じ方向くらいは、むいてほしい」

 俺たちにそう言ったフラッシャーは、見た目こそ幼かったがなんにでも淡々とした、どこか人形じみた印象の奴で、今から思えばあいつはそういう術を知っていたんだろう。俺の姉妹とは、到底思えないほどだった。

 どんなときでも揺るがないフラッシャーの冷静さと淡白さが、俺たち炎と氷を仲裁していた。

 引き会わされてから数日間は、三人でひとつの水槽に入れられていた。パックのメンバー同士、親睦を深めるため……かは知らねえが。だが、俺が毎日のように水槽で暴れ倒したせいで、最終的にはひとり水槽から出されて枷をつけられていた。

 俺たちは海に潜るとき、鰓呼吸に切り替えて、体表面を硬化させる。そういう身体を持ってる。だけど、俺はあまりにも暴れるから、薬を投与されて訓練以外では人に近い状態を保たされていた。陸に打ち上げられたメロウだ。陽光のもとでは生きられぬ、醜い異形。

 毎晩、蒼白い光だけが外から部屋に降り注ぐすべてだった。昼は窓が閉められて、出撃が始まるまでは、俺たちは太陽を見ずに生きてきた。

 俺たちが初めて見たのは、戦場の太陽だった。



 血に染まった海を、夕陽が照らしている。血なのか夕陽なのかもうわからない。引き裂かれた肉体が破片となって漂流している脂まみれの波間の奥、海の中で、俺たちはゆっくりと沈んでくる骨のきれはしや、軍装の一部を見送り、それらが海月に集られて、淡く発光しているのを眺めた。戦場にも海月はいるんだな。驚きだぜ──もしかしたら、俺たちが殺した奴らのゴーストだったのかもしれないけどよ。

 俺たちと似たような見かけをした敵の兵器たちは、体も大きく、力も強そうだった。本物の軍人みたいな見かけをしていたし、動きもそうだった。

 だが、俺たちは軍人ではない。兵器だ。

 陸上と違って海中には逃げ場がない。だが、深海は別だ。飛び交うエコーやソナーの音波を感知するまで何日でも、俺たちは深海に、それこそ機雷かなにかの兵器のように潜航した。水槽よりもずっと冷たくて、ずっと昏い海の底は、永遠に続く闇の庭園のようだった。身体に取り付けられた魚雷発射装置は硬くて重たくて、化け物の鱗のように俺たちを鎧おっていた。

 アルバコアも、フラッシャーも、目に見える範囲になんてもちろんいるわけがない。だが、俺たちには俺たちにしか聞こえない音波があって、それを頼りにお互いの位置は把握できていた。あんだけ反りの合わないアルバコアとも、そのときばかりは協調したぜ。俺は誤射なんかで死にたくねえし、何より音波じゃあ喧嘩できないからな。

 それから先は、語るだけ無駄だ。俺たちのやったことを知りたきゃ、作戦報告書でも読めよ。殺した人数、壊した隻数、沈めたトン数……海の塩と混ざったそいつらの血の臭いがどんなだったか、船に乗ってた奴らの最期がどれだけ残酷だったかなんて、語ったところでなんにもならねえだろ。

 フラッシャーは自分よりずっとデカい相手を沈めるのが巧かった。アルバコアは指揮官を的確に狙い打つのが巧かった。俺は……なにも狙わなかった。射程圏内に、鰭の先っぽでも入ったのなら、全員殺した。

 俺たちは、隕ちる星のように水の下の世界をめちゃくちゃにし続けた。

 血の海ってのは、苦いんだぜ、人間。



 初仕事から帰還したあと、俺たちは水槽へ戻されず、母艦のうえで「人間的な」衣服に着替えさせられた。甲板にいた俺たちは肺呼吸に切り換えたばっかりで、胸を貫かれるような冷たい酸素をよく覚えてる。

 支給された黒いスーツは特別製で、鰭やらなにやらが引っ掛からないように仕立てられていた。真っ黒な、濡れた夜のようなスーツ。

 初めてあの白い水槽の部屋以外に呼び出された俺たちは、慣れない二足歩行とヘンテコな布の感触にほとほと嫌気がさしていた。

 俺たちが血なまぐさい気配をまとったまま通されたのは、でかくて白い机と、お偉いさんらしい男たちがいる、だだっ広い部屋だった。いや、本当は、俺たちの棲んでいた部屋と同じくらいだったんだ。俺たちの部屋には、あまりに大きな水槽があったから。

 お偉いさんのうちのひとりが口を開いたが、俺にはそいつの声も、顔も、なにひとつ頭に入ってこなかった。敵味方どちらかさえ区別できれば、あとは知ったこっちゃねえんだ。俺たちは、ただ、殺すだけだから。

 何を言われたって耳に入らねえ。俺は床に座り込んで奴らの話から耳を塞いだが、部屋を出ていくことはしなかった。どうしてかって──俺にだって、周りを固める職員が隠し持ってる銃の気配くらい判るからさ。

 そんな俺の心中を知ることもなく、おっさんどもは色々と俺たちにくっちゃべった。実験体としてろくすっぽ社交性さえも身に付けさせなかったくせに、いきなりそんなに喋りかけてくるとは、こいつは只者じゃねえ大間抜けだ、と思ったもんだ。そこにいる奴らがみんなそうだった。奴らは言った、俺たちの初仕事を誉れある任務だって、バカ野郎、ただの殺しじゃねえか。何ほざいてんだ。新しい黒い服だって、嬉しくもなんともありゃしねえ。本当さ。だってお前、人を殺して、こんなの着て、──これから先一生、黒しか着れねえんだぜ。人殺しってのはそういうもんさ。

 一生、黒しか着れねえんだ。

 ぼーっと聞き流していたおっさんの話は、俺たちの権利についてのくだりに差し掛かっていた。働きのいい奴隷には報酬を、ってか。くだらねえ。剣闘士に褒美をとらせるのと変わらねえ。なにがほしい、ということを回りくどく訊ねるおっさんに俺は突っ込んだ。

「じゃあ、水槽から出してくれよ」

 周囲はぎょっとした顔をして、フラッシャーは俺のケツをつねった。アルバコアは小さくため息をついた。

 人間どもがどう答えたかなんて知らねえし、聞く気もなかった。どうせ否定の言葉を吐こうとしたんだろう男の喉笛目掛けて俺は飛びかかった。

 その瞬間、銃声が響いた。降り注ぐ弾丸より速く俺は机の上に着地し、水の中のように喉笛を噛みちぎろうとして──

「トートグ!」

 鰭を捕まれて膝にすがりつかれ、そのまま床にねじ伏せられた。人間の動きじゃない、思いっきり白い床に叩きつけられた顔をなんとか振り向けて俺の足を固めた相手を見れば──アルバコアだった。

 俺は驚きのあまり、一瞬抵抗を忘れた。筋力なら俺の方が上だったが、その一瞬の隙を逃さず、アルバコアは腿と腰に乗り上げて俺を地面に縫い付けた。首と顎を固定され、なすすべもなく俺は呻いた。殺し損ねた、と食い縛った歯の表に、そのときなにかが垂れてきた。

 血だ。アルバコアの。

 奴の肩には火傷と裂傷ができていた。言うまでもなく、銃弾の傷痕だった。悪態が喉の奥で凍りつき、口腔に満ちる鉄の味にすっと頭が冷えた。それから、……無性に腹が立った。

 それは別に、アルバコアのことが心配だったからとか……そんなんじゃねえさ。なんだよ、その顔。理解しがたいって顔だな。うるせえよ、俺だって言葉にゃできねえ、あの気持ちは。この大悪党の俺様が、いけすかねえ女に腹を立てる気持ちなんてさ。……なあ。

 なんでこいつが。なんで、俺じゃなくて。喧嘩を打ったのは俺だ。奴らが撃とうとしたのも俺だ。それをどうしてこいつが受けてやがる。そいつは、その傷は、その死は、

 変だろ。わからねえよ。今でも。俺はそういう風にしか感じられねえ。怒りという形でしか、あいつのやったことに心を捧げられねえ。

 俺は唾を吐いて、アルバコアは鼻を鳴らした。周りは騒然として、警備の人間たちが俺たちに駆け寄ってきた。フラッシャーが両手を広げて俺たちの前に立ち、淡々となにかを話していた。俺たちの命を奪う権利がないことを、よく回る機械のような口で告げていたのだろう。あいつは俺よりずっと頭がよかった。俺には理解できない人間たちの理屈と倫理とやらで、自分たちの命を最低限長らえる手法を知っていた。

 やがて、俺ひとりに銃口が向けられたまま、アルバコアは引き剥がされて医務室だかへ連れていかれた。俺は当然、手足にその場で枷を嵌められた。フラッシャーは水槽へ帰るように促されていた。

 フラッシャーの両目と視線がかち合い、悪かったという意味で肩を竦めた。フラッシャーも、死ぬならひとりで死んでくれ、と冗談めかして唇だけで囁き、そのまま出ていった。俺は床に転がされ、鎮静剤を首筋から注入されながら、横向きになった白い部屋の光景を睨んでいた。ひっくり返ったテーブルの向こうで、おっさんはまだ死の恐怖に怯えてた。銃を構えて怒鳴り散らす野郎どもは所有物の反乱への怒りと、やはり死の恐怖にとりつかれていた。クソッタレ、やっぱり人間なんてこんなものだ。



 それから、俺だけが枷を嵌められて水槽の外で夜を明かす日常が戻ってきた。

「クソが、あいつら、いつか絶対に殺してやる! 俺様が、この手で、あの首掻き切ってやる!」

 俺が飽きもせずに喚き散らしていれば、やがて、ひらり、と水の帳の向こうから、音もなくアルバコアが現れる。これも毎晩のことだった。

「トートグ、あなたという人は本当に血の気が多いですね、ちょっと医務室で輸血でもしてきたらいかがですか」

「おう上等だコラ、ちょうど今テメェの型の血液が足りねえらしいぜ。行けよ、俺様が手伝ってやる」

「……やめなよ、二人とも」

 俺とアルバコアがガラス越しにやりあっていれば、フラッシャーが闇の奥から声だけで制する。これも毎晩だ。よく飽きもしないって? 俺たちにはそれしかなかったんだよ。

 太陽も見たことがない。水からは離れられない。水槽のなかには藻ひとつない、上も下もわからなくなる完全な青の世界。俺は一人より多い人間と、会話と呼べる言葉を交わしたことがない。生まれてからずっと。

 想像できるか? できないだろう。人間は自分たちでは想像できないような地獄に、平気で他者を放り込む。

 ただひとつ──ただひとつ、俺が好きだったものは、ときどき壁の向こうから聞こえる音楽というものだった。分厚い防音の壁を通して、なんで音楽が聴こえたのかはわからない。もしかしたら、鎮静効果とかいう馬鹿げたものを狙っての行為だったのかもしれない。まんまと罠にかかったとしたら、そいつは面白くねえが………殺さずにいてやるくらいには、俺は音楽が好きだよ。

 音楽ってのは不思議なもんだよな。生きていくのになんにも必要じゃないはずなのに、人類の文明には必ずといっていいほど音楽がある。誰が最初にを見つけ出したんだ?

 俺は神なんざ信じちゃいねえが、もしも神からの贈り物が人類に与えられたというのなら、それは音楽だけだと言いきれる。火も、道具も、言葉も、ぜんぶ違うさ。ぜんぶクソッタレな人間の知能が見つけ出したもんだ。見つけ出さなくていいものをな。これらの共通点がなんだかわかるか、人間。あるいは、音楽にだけはその役目がないもの。

 解らねえのか。

 戦争に使われないのは、音楽だけだ。

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