第139話 決戦 vs魔王


 頭がクリアに──スッと澄み渡っていくような感覚。

 さきほどまで感じていた息苦しさも、眩暈も、全身を包むような気怠さすらない。意識はハッキリしていて、手足の感覚もある。


 ただ──ただ、体がまったく言う事を聞いてくれない。なんとか動かそうと肩から腕、手から指にかけて力を加えてみるが、まるで地面に埋められているように、ピクリとも動かすことが出来ない。

 首はもちろんのこと、頭や目も動かすことが出来ないので、ただ一方通行のように視覚から無理やり脳へと情報が送られている。それと同様に、聴覚、嗅覚、触覚も問題なく機能していた。

 自分の体であって、自分の体ではない感覚。


 ──パキパキパキ……。

 俺の体が勝手に、自分の体であることを確かめるように、何度も拳を握る。



「馴染む……馴染むぞ……!」



 俺が声を発していないのに、勝手に俺の口が開き、喉が震え、声が漏れる。



「勇者の肉体ではない事が気がかりだったが……まさか、これほどまでとは……!」


「おにい……ちゃん……?」


「いや、違う。こいつはユウトじゃない! この腹の底まで響いてくるような声……これはユウの親父さんが見せてくれた、あの記憶の中の声だ!」


「その通りだ小娘。……フム、成程。そこで間抜面を晒している貴様が勇者か。ヌルい。永劫に続くと思われたこの巫山戯た環も最早──幕引きか」



 ぞわぞわと背筋が凍りつくような感覚。

 その瞬間、俺の体から──魔王の体から、想像を絶するほどのドス黒い魔力が溢れ出た。

 ユウキのものとは比べ物にならないほどの魔力の奔流。

 この魔力量は俺だけのものじゃない。俺が本来保有している魔力と、そこに魔王の魔力がうまくブレンドされているようだ。

 たしかに、これだけ相性が良かったのなら、魔王が馴染むと言っていたのも頷ける。



「構えてください! ヴィッキー! ユウちゃん! 来ます!」



 アーニャちゃんの声を合図に三人が俺と対峙する。俺に敵意を向けてくる。

 実際に三人のその矛先にあるのは魔王であり、俺ではないのだが、目の前でこの光景を見せられると、やっぱりなんというか……複雑な気持ちになってしまう。

 親父もこんな感じの気持ちだったのだろうか。……いや、自分が仲間を斬った感覚まで残ってるって言ってたからこれ以上にキツイのか。

 

 ──なんて、言ってる場合でもない。

 しかし、この状態で俺に何か出来る事は……皆の無事を祈ることくらいか。

 無力だな。

 せめて完全に魔王に取り込まれる前に、三人に強化魔法のひとつでもかけていればよかった。けど、それでも、こっちだって、勝算のない状態で三人を残したわけではない。

 俺の推測が正しければ、変な話だが無力・・である事こそが、この避けようのない災厄の突破口になる。



「慈悲も恩情も躊躇もなく、赤子を撫でるが如く貴様らのその命、刈り取ってくれよう」



 魔王がユラリと手のひらを前へ突き出す。

 ──ズズズズ……!

 それと同時に、周囲に流れ出ていた魔力の奔流が手のひらへと集まっていく。魔力は黒煙のような禍々しい光を放った途端、ヴィクトーリアへ一直線に飛んでいった。

 この間、およそ一呼吸。

 その間に、ヴィクトーリアはこの部屋に大穴を開け、体ごと吹き飛んでいった。



「ヴィッキー!?」



 アーニャちゃんの悲痛な叫びが部屋中に木霊する。

 そして──



「アーニャ、あぶな──」



 咄嗟にアーニャちゃんをかばったユウも、ヴィクトーリアと同じように部屋から消え去った。



「そ、そんな……ユウちゃんまで……」


「ク……ククク……ハハハ……! まさか、これほどまでとは……! 次は──貴様だ!!」



 魔王はそう言いながら感触を確かめるように、何度も何度もアーニャちゃんに魔法を浴びせた。やがて煙が消え、埃が部屋の穴へ吸い込まれると、アーニャちゃんの立っていた所にもはや影も体も残っていなかった。



「滾る! 滾るぞ!! この力で我は! 世界を──」


「平和にでもするつもり?」


「な──!?」



 突如として目の前に、無傷のユウが現れる。

 それを確認する暇もない速度で、後頭部を掴まれ、地面に顔面を叩きつけられる。

 激痛。

 感触は魔王と同期しているので、鼻に、額に、口内に、鋭い痛みと鉄の味が広がる。



「はやくおにいちゃんを解放して」



 ガン! ──ガンガンガンガンガンガン!!

 何度も、何度も何度も顔面を地面に叩きつけられる。



『やめろ! やりすぎだ! 顔が原型を失ってしまう!』



 と叫びたいが、声も出せない。ユウの光を失っている瞳を見る限り、どうやら俺と魔王の間でほぼすべての五感が共有されていることを知らないようだ。地獄か。



「……ゆ、ユウちゃん」


「それくらいで止めたらどうだ?」



 ヴィクトーリアとアーニャちゃんの声。

 ようやくユウが手を止めると、髪の毛が千切れそうになるくらいの力で俺を引き上げた。

 予想通り、俺以外の全員が無事のようだ。



「ク……ッ! ひ、様ら……!? そののろ、掻っ切ってくれう!」



 魔王の手がユウの首へと伸びる。

 ググググ……!

 魔王は渾身の力でユウの首を絞めようとしているが、ユウはそれを振りほどこうとすらしなかった。それどころか、眉一つ動かしていない。



「ど……どういう事だ……!」


「説明しよう!」



 お?

 魔王の俺を縛る力が弱まったせいか、声は出せるようになった。

 しかし、相変わらず体を動かすことは出来ない。



「おにいちゃん……? おにいちゃんなの?」


「ああ、ユウに顔面をボコボコにされたおにいちゃんさ。ちなみに痛覚は共有されてるからスゲー痛かったぞ」


「ごめんね、おにいちゃん」



 ユウはそう言うと、俺の頭からパッと手を放した。

 ドシンと尻もちをつくと、魔王はそそくさと三人から距離をとった。



「き、貴様、宿主の小僧……! なぜ我の支配が解けている!?」


「おそらく魔王……おまえの力が弱まったからだろうな」


「ユウトがひとりで会話してる……」


「わかるぞヴィクトーリア。たしかに妙な光景ではあるが、ここはすこしややこしくなるから黙っていてくれ」


「五月蠅い! それに……何故三人とも無傷なのだ! 我は確かに、こやつらを消し去ったはず……!」


「消し去った? 違うな! 強化したんだよ!」


「強化……だと……!?」


「ああ! なにせ俺は強化魔法しか使えないんでな! いくら俺の体を乗っ取ろうと、ドン引くくらいの魔力をたれ流そうと、それは所詮強化魔法でしかない! だからおまえがいくら魔法を放とうと意味はないんだよ!」


「ク……ククク、強化魔法……か。バカめ! 自分から種明かしをしおって! ならば、この強化魔法を自身の肉体にかけてやればいいだけの話! 己の迂闊さを後悔せよ!」



 再び、黒煙のような禍々しい魔法が手のひらへと集まっていく。

 しかし──

 ぽしゅう……。

 何も起こらず、蒸発した水のように霧散した。



「な、なに!? も、もう一度!!」



 ぽしゅう……ぽしゅう……ぽしゅう……。



「な、なぜだー!!」



 魔王が頭を抱えて、膝から崩れ落ちる。



「いいか魔王、よく聞け! 俺は! 自分を! 強化できない!!」


「な、なんだとォォォォォ!?」

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