第134話 予兆


 寝て、目が覚めるようにして場面が切り替わる。

 ……いや、ちがう。この表現は適切ではない。

 朝の目覚めのような清々しさはなく、むしろ、気絶していたところを無理やり覚醒させられるような感覚。全身が鉛のように重く、視界はかすれ、挙句の果てに頭がボーっとする。

 俺は半ば強引に頭を揺すると、無理やり頭脳をたたき起こした。

 多少の前後不覚を覚えつつ、俺は自分がいま、親父の見せている幻覚の中にいる事を思い出す。

 まだすこし震えている膝を支えに立ち上がり、辺りを見渡してみた。

 ……魔王城だ。

 一瞬で俺が魔王城にいる事を理解できたのは、目の前に例の巨大な扉があったから。たしかここをくぐると、応接室のような、こじんまりとした個室があったと思う。

 そして、ユウ、アーニャちゃん、ヴィクトーリアの三人の姿は確認出来ない。

 四人一緒にこの体験をしているはずだが……、おそらく、認識は共有していても時間は共有していないのだろう。

『他三人をここで待っていても仕方がない』という結論に至った俺は仕方なく、目の前の巨大な扉を開けようと手を伸ばした。



『ん? ……あれ?』



 取っ手がない。

 そういえば、ここを開けたのは親父だったか。ということは、内側からしか開けられない造りになっている、というふうに考えるのが普通だけど……。

 そして、よく見るとあのふざけた貼り紙も貼られていない。まあ、わかってはいたが、あれは親父の趣味だったのだろう。

 なんて分析している暇もない。どうにかして、このバカでかい扉を開けなけば──



「よう、そんなところで何してんだ」



 突然、背後から男の声。

 急いで振り向いてみると、そこには角の生えていない親父の姿があった。



『お、親父……!? あんたこそ、ここで何──』


「最後の戦いなんだ。気を落ち着かせなきゃならんだろ」



 突然どこからともなく、セバスチャンと同じくらい体形のゴツい男が現れた。重騎士のようなアーマーやヘルム、シールドを装備しているので、おそらく戦士系の職業だと推察される。

 それと同時に、いま俺がいるこの空間が創られたものであると確信する。

 さきほど戦士と肩が触れ合った時、ぶつかるのではなく、戦士のほうにザザザとノイズが走り、俺を通り抜けたからだ。

 とにかく、ここではあちらから干渉することは出来ないし、その逆もまた然りのようだ。



「まあ、それもそうだな……そっちのふたりはどうだ? もう準備万端か?」



 親父はそう言って視線の先を戦士よりも後ろへ移した。

 いや、それよりも、どうしても『ふたり』という言葉に反応してしまう。

 俺は急いで親父の視線の先を目で追った。



「こちらは大丈夫だ」


「ええ、いまのところ問題ないわ」



 木の杖を持ったすこし痩せ型の男と、黒く大きいとんがり帽をかぶった女。

 このふたりが俺の本当の両親なのだろうか。

 たしかに親父……ユウの父親に比べたら、こっちのほうが俺に似ている気がしなくもない。



「じゃあ、開けるぞ」



 戦士はそう言うと扉の前まで歩いていき、丸太のような腕を前へ突き出して、手のひら全体を扉につけた。



「破ッ!!」



 鼓膜を激しく揺さぶられるような声と同時に、戦士の腕にビキビキと亀裂のような血管が浮き出る。

 そして次の瞬間、爆発音とともに戦士の触れていた扉が粉々に砕け散った。



「いくぞおまえら! 気合入れてけ!」



 砂ぼこりが舞い、視界不良の中、親父の怒号が鳴り響く。それを合図に四人分の足音が一斉に聞こえてきた。

 俺は出遅れてはならないと思い、何も見えない中を、耳から聞こえる四人の足音を頼りに進んだ。



「──ククク……よく来たな、勇者ども」



 地鳴りのように腹の底まで響くような低い声。

 勇者のパーティにはいなかった者の声が辺りにこだまする。

 大きい声を出しているわけでも、脳内に直接語り掛けているわけでもない、ただの肉声。ただ声を発しているだけなのにも関わらず、聞く者全てを威圧するかのような声。

 刹那、突風が巻き起こったように、砂ぼこりが視界から一掃される。


 こちらからは干渉できないし、向こうからも干渉されない。

 そのルールはわかっているはずなのに、おもわず目をつむり、口に手を当ててしまう。


 俺はゆっくりと目を開けると、とりあえず現状を把握することに努めようとした……が、しかし、俺は俺の眼前で繰り広げられている光景に思わず息を呑んでしまった。

 虐殺行為。

 慈悲も余韻も感傷もない、ただの一方的な虐殺行為。扉を開けて、ものの数秒ほどでそれはすでに始まっており、俺がいま視認している時点でそれは既に終了していた。

 


『──ククク……よく来たな、勇者ども』

 たった一言。

 それだけを言い残して、魔王は事切れていたのだ。後に残っているのは、魔王と思しき魔物の亡骸や残骸片。どのような虐殺行為が繰り広げられていたか想像するに難くない。

 さすがは各人が一個師団を凌駕する戦闘力を保持するパーティ。凄まじい事この上ない。



「ふぅ、終わったようだな」



 戦士はそう息を吐くと、臨戦態勢を解き、額の汗を前腕部で拭った。それを皮切りに、パーティの面々も一様に臨戦態勢を解いていく。



「……魔王とかいうのも案外呆気ないものね、僧侶なんて必要だったのかしら」


「まあまあ、そう言うなって。今の戦いには必要なかったかもしれないけど……、予言してやる。これからの人生、必ず俺が必要になってくるって事をな」


「ふ、ふん! いい気になってるのも今のうちなんだから!」



 僧侶と魔法使い。二人がイチャコラ言い合っているのを、親父と戦士はすこしニガそうな顔で見ていた。たしかにこんなノリを、同じパーティで、四六時中やられた日にはおかしくなりそうだが……て、あれ?

 俺の両親ってこんなキャラだったのか?

 やべぇ、ものすごく恥ずかしくなってきたんだけど。

 ただでさえ両親がいちゃついてるのなんて見たくないのに、こんなノリとか、もはや地獄でしかない。しかもこれをユウはともかく、アーニャちゃんやヴィクトーリアも見ているという事実に、気絶してしまいそうになる。

 もしかしてこれが死因なワケないよな……親父に限ってないとは思うけど、ムカついたから殺したなんてないよな。

 俺がそう思っていると、その場にいる皆が一斉に臨戦態勢に戻った。



「なるほど、これが勇者とその仲間の力か……!」



 さきほど聞いた腹の底に響くような声。魔王の声だ。

 魔王の遺骸はそのまま、ピクリとも動いていないところから、おそらく念波かなにかで直接その場にいる者に語りかけているのだろう。



「確かに我々にとって脅威的で、恐るべき力だ。……だが、それと同時に人間どもへの脅威にもなる。この意味が分かるか」



 魔王の問いかけに対し、口を開く者はいなかった。



「……条件は整った。勇者よ、己が保持する強大な力を恨むがいい」



 そこで念波が終わった。

 条件? 強大な力? 人間への脅威?

 抽象的すぎて理解が追い付かない。


 ──しかし、次の瞬間、俺の頭が真っ白になる出来事が起こった。

 俺の目の前で、戦士の首が宙を舞ったのだ。

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