第113話 ギガントマキア


 ――突然の悪寒。

 直後、全身の毛が逆立ち、髪の毛の先がチリチリと焦げていく。



「――これは……! パトリシア! 息を止めろ! 後ろへ跳べ!」


「うオラァッ!! 燃えろォ!!」



 ジョンが声を上げると同時に、俺の足元から、とてつもない勢いの火柱が立ち昇った。

炎柱フレイムポール

 中級魔法だが、こいつが扱うと息を吸うだけで肺が焼けただれる魔法へと変化する。

 予備動作がないし、出も早いうえ、判断するには経験が要る。

 俺は直前で察知していたため、後方に跳んで難を逃れたが、それでも、息を一瞬でも吸ってしまえばアウトだった。

 それにしてもジョンのヤツ、本気の本気で元パーティの俺を殺しにかかってきている。しかも、パトリシアもろともにだ。手加減している様子は微塵も見受けられない。



「大丈夫ですか!? パトリシア様!?」



 ヴィクトーリアが(俺ではなく)パトリシアの身を案じて駆け寄ってくる。



「んー! んんんんん、んんー!」 


「……あの、パトリシア? もう息をして大丈夫だぞ」


「ぷはぁっ……! だ、大丈夫ですわ、ヴィクトーリア様。ただ……ユウトさんが……」



 パトリシアが申し訳なさそうに俺の顔を見つめる。



「ん?」


「お、おいユウト……それ……」



 ヴィクトーリアが震える指で俺の額を指さす。何事かと思い、俺はおそるおそる手で額を触ってみた。

 すると――ポト……。

 何かもじゃもじゃした黒い塊が、俺の手のひらの上でパチパチと音を立てて燃えていた。

 これは、もしかして……いや、もしやしなくても……!



「……俺の髪……前髪……なのか!?」



 俺の前髪がチリチリになって、ごっそりと抜け落ちていた。

 ぴゅーと風が吹くと、気のせいか、以前よりも風通しが良くなった気がする。



「おま……よ、よくも……ふ、ふざ……ふざざ……け……フザケンナー! うんぬおおおおおおおお!!」



 俺は手に持っていたチリチリの前髪を、思い切り・・・・ジョンに投げつけた。



「ブフォッ!? ……ギャーーーーハハハハハハハ!! 前髪が! ねェ!! クソダセー!! つか、よーーーーーーっく似合ってんぜ! そのマヌケづ――」



 ――ゴッ!

 俺のチリチリの前髪は、ジョンの顔面にぶち当たると、ゴンゴンゴン……という重低音を鳴らしながら地面に転がった。

 地面の前髪のぶつかった場所が、べこっと凹んでいる。

 そのあまりの威力に、ジョンも踏み潰された蛙のように仰向けに倒れた。



「あほか。俺がエンチャンターだってこと忘れんな」



 俺は俺の前髪を投げる瞬間、俺の前髪に超硬化を施していた。

 したがって、今のあの前髪は超硬質の金属と同じかそれ以上の硬度を誇る。

 セバスチャンのような筋肉ゴリラには毛ほども効かないだろうが、相手はあのジョンだ。特に何もしなければ、俺とさほど身体能力は変わらない。生身で、しかも油断していたやつに対しては効果抜群だろう。

 ……それにしても綺麗に決まったな。たぶんあの衝撃だと頬骨はイカレているだろう。

 当然、脳みそもグラグラだ。首の骨は……どうだろう。

 元仲間ながら、呆気なさ過ぎて哀れにさえ思えてくるが、それはそれ、これはこれ。あとは気絶しているこいつをふん縛って暴れないように拘束すれば――



「ユウト!! 伏せろ!!」



 ヴィクトーリアが声を荒げる。

 と、同時に俺はヴィクトーリアの言う通りにした。

 何が起こったか、何が起こっているのか、なぜヴィクトーリアは叫んだのか。

 そんなことを確認する前に、俺はまず、第一に、速やかにヴィクトーリアの言う通りにした。

 ――ゾリゾリゾリ……!

 俺の頭頂部を何かが掠めていく。

 それと同時に、今度は先ほどとは比べ物にならないほどの髪の毛が、パラパラと、無残に落ちていった。



「ナメてンじゃあ……ねェぞァァァァァァァーーーーーー!!」



 【超音波振動ソニックブーム】。

 魔力を帯びた風が、まるでカミソリのような切れ味で飛来してくる技。

 ヴィクトーリアがもし叫ばなければ、俺の首は完全に胴から切り落とされていただろう。

 しかし、それよりも俺にはひとつ気がかりがあった。

 ゾリゾリゾリ……と言う効果音のほうだ。俺はおそるおそる手を自分の頭へと持っていた。

 ――ぺたぺたぺた。

 あまりにも不吉なその手触りと擬音に、思わず俺は手を引っ込める。



「……た、たしかに、殺し合いの死闘になるはずだったけど……おま……これ……やっていい事と悪い事があるだろ!?」


「……ぷ、ぷぷぷ、す、すまない……こんな時に不謹慎なのだが……」



 必死に笑いをこらえているヴィクトーリアが、震える手で手鏡を渡してきた。

 ヴィクトーリアの足元が少し歪んでいるのを見ると、急ごしらえで床の材料を使い、錬成したのだろう。

 俺はそれを受け取ると、ギュッと目を瞑り、顔の前まで持ってきた。

 そして俺は次第に瞼の力を抜いていくと、希望と絶望とが入り混じった感情で目の前の鑑を見た。

 ……そこに写っていたのは、前髪と頭頂部が見事に刈り取られている男の姿だった。



「なんじゃあ!! こりゃあ!?」



 俺が叫ぶと同時に、ジョンもなんとか、フラフラになりながら、その場で立ち上がった。

 見ると、前髪が当たったであろう頬が異常なまでに膨らんでおり、顔の約三分の二ほどが腫れあがっていた。腫れあがっていた箇所からは鬱血していた血が、時折ぴゅーぴゅー……と、漏れ出ていた。



「やめろ。立つな。おまえとはもう、殺し合いをしたくない」


ははへだまれ……ははへははへははへだまれだまれ だまれー!!」


「……ああ、わかる。痛いだろう。苦しいだろう。惨めだろう。憎いだろう。だが、俺もそうだ。……この頭を見ろ!」


「ブフーーーー!?」



 ヴィクトーリアが思い切り吹き出す。あとでしばく。



「な? これ以上やっても何もならない。これ以上やっても何も生まれない。……俺たちはいい加減、和解するべきじゃないか?」


ははへだまれ……ほほははこのままほほひへはふころしてやる!!」


「フ……そうか。ならとことんまでやろう。おまえを!! ここで!! ぶっころす!!」



 無論、今までの建前だ。これで思う存分ジョンの野郎をぶん殴れる。俺はギュッと拳を握り固めると、そのままジョンに殴りかかった。



「ゆ、ユウト! ダメだ! ジョンには魔法が……! て、我を忘れて聞いてない!」



 ヴィクトーリアが後ろで何かを叫んでいる。耳に届いてはいるが、頭が理解しようとしない。

 俺は今、この憤りをジョンにぶつける事しか考えていなかった。



「死にさらせェァァー!! ジョーーーーーーーーーーーン!!」


ほはへはおまえがひへしねーーーーーーー!!」

 


 ジョンがその場で、両手を交差して構える。

 次の瞬間、文字がジョンの周りに浮かび上がり、辺りがぼうっと暗くなった。

 何か呪文を詠唱しているのだろうが『ほへほへ』言っていて聞き取れない。

 ……というかこれは……。



「まずい! 超級魔導だ! ジョン、おまえ! ネトリールごと消し飛ばす気か!」



 今のジョンは俺以上にキレている。

 任務とか関係なしに、俺をこのネトリールごと消す気だ。

 ……考えろ。どうすれば――



ほはひはおわりだ……!」


「なに!? もう詠唱が終了したのか!? 何言ってるか全然わからんかったぞ!」


はひひんほはへ灰燼と化せ! ……ひはんほギガント……はひはマキアァァ!!」



 ――シーン。

 何も起こらない。



はへあれ? ひはんほはひはギガントマキアー!!」



 はひはー……はひはー……と、ジョンの間抜けな声だけが響く。



「……あれか? ちゃんと詠唱してなかったからか? ひほひほ言ってたからじゃないか?」


ほんははふははいそんなはずはない! へひひょふはほほはへはふ詠唱は言葉ではなくほほほへふふほほは心でするものだ!」


「……あれ? そういえば俺もうまく魔法を使えないような……」



 ――ガン!

 突然の鈍い音。音がしたほうを見ると、ジョンが目を回して倒れていた。そしてその背後には――



「どうやら、間に合ったようだな」



 ガンマが立っていた。

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