第88話 リヒトの心臓


 俺たちは息苦しかった牢屋を抜け、パトリシアの案内に従い、屋外へと出ていた。

 今いる場所は整備された芝生と、噴水のある見晴らしのいい、普通の広場。

 夜明け前だという事もあり、周囲に人影などは全く見当たらない。

 ここからすこし離れたところに、住宅街が見えるが、深夜徘徊が趣味のヘンなやつがいない限り、この時間帯に出歩いているやつはいないだろう。

 屋外は屋内よりも数段、気温が低く、吐く息が白くなり、昇っていくほど。

 本来なら、これほどの高所にいれば、これとは比べ物にならないほどの寒さや、酸欠などに悩まされたりするのだが、ここ、ネトリールはそのような心配はない。

 リヒトの心臓。

 ネトリールを天空都市たらしめるモノ――つまり、事実上、ネトリールという都市を浮かせている機関であり、このネトリールの中心にあるメインリアクター主動力炉が、そのへんの事を調節してるらしい。

 この都市を浮かせるだけでなく、日常生活の補助まで行う万能機関。最早、何でもありだ。科学のチカラってすげー。



「星が綺麗……」



 ユウがめずらしく、ため息交じりに、小さくつぶやいた。

 そんな余裕はないと言いたいところだけど、こいつにとっては初めてのネトリール。感慨に耽ってしまっても不思議ではない。

 そして俺も、ユウの言葉に導かれるようにして、天を仰いだ。

 上空には、鈍色に光る月。その周りには、小さく光る宝石のような星々が、チラチラと明滅を繰り返している。

 さすがはネトリールというべきか、普段見ている月よりも、空に近いぶん、気持ち少しだけ、大きく見えるような気がする。

 こいつユウが目を奪われるだけのことはある。

 そして、すこし視線を移動させて、ここより遥か先――地平線は既に白んできていた。

 夜明けは近い。

 モタモタしている場合ではないのだが……、久しぶりに見るその光景に、ユウ共々、思わず足を取られてしまう。



「いかがなさいましたか? ユウトさん」



 パトリシアに名前を呼ばれ、ハッとなって我に返る。

 そして自然と、視線が上空からパトリシアへ、そしてその横にいたクソ魔術師へとシフトしていく。

 クソ魔術師はさきほどのローブ姿から、ネトリール憲兵の服へと着替えていた。

 そういう俺とユウも、クソ魔術師と同じように、ネトリールの憲兵服に身を包んでいた。

 もちろん、これらは道中遭遇した、不運な憲兵たちからはぎ取ったもの。

 銃や警棒といった武装も、きちんと拝借している。

 これで先ほどよりも戦えるようになったものの、やはり、まだすこしだけ懸念点も残されている。

 俺はクソ魔術師からユウへと、視線を移動させる。

 懸念点。そのひとつが、ユウの格好である。

 俺やクソ魔術師は特に問題じゃないんだけど、女のユウには、どうしても丁度いいサイズという物がなかったのだ。女の憲兵はいるにはいるものの、その数は圧倒的に少なく、結果、仕方なく男用のもので、袖を捲ったりして代用しているのだが……。



「……おにいちゃん。そんなに見つめられると……恥ずかしい……」



 ユウが俺に視線に気付き(なぜか)照れ臭そうに、帽子のツバで顔を隠すが……、一番肝心なところ――胸が隠れていない。

 パツンパツンである。

 すこし見ただけで、ボタンが悲鳴を上げているのがわかる。



「無駄に育ちやがって……」


「おかげさまで……?」


「なに人のせいにしてんだよ。何年も、顔すら合わせてなかったろうが。それにあの時のことは……いや、やっぱり、なんでもない。それより、大丈夫か? 疲れてないか?」


「心配してくれてるの?」


「まあな。そりゃ心配するさ。主にその胸部装甲とかな。……なんてったって、今回の作戦はおまえありきで――」


「ありがとう、おにいちゃん」



 そう言って、いきなりユウが俺に抱きついてくる。

 俺は条件反射的に、ユウの肩を掴んで引きはがそうとするが――



「ちょ、相変わらずチカラ強いな!? く……、び……ビクともしねえ……ッ!」



 ユウの細腕が、まるで拘束具のように俺の胴体にガッチリとはまる。

 なんとかして引き剥がそうと試みるが、暴れれば暴れるほど、引き剥がそうとすればするほどに、腕が、胸が食い込んでくる。というか、食い込ませてくる。

 なんなんだ、こいつは……俺と同化しようとしているのか……!?

 新種のスライムか!?



「だああ! もう! うっとうしい! いちいち抱きついてくるな! 今回の作戦はおまえありきの作戦なんだ。最重要人物といっても過言じゃない。つまり、おまえがヘマすると、俺たち全員が全滅するんだよ! だからべつに、おまえの事が心配とか、そういうので言ったわけじゃねえんだよ!」


「ツンデレ……?」


「あ、あんたのことになんか、誰も心配なんてしてないんだからねっ」


「ぎゅっ……」


「もういいって……! とりあえず、さっさと俺から離れろ……!」


「まあ、これがアン様の言っていた……。なるほど、これが兄妹愛というものなのですのね……!」


「ちがいます! あの、見てないで助けて……」


「いえ、ここで水を差すのは、あまりにも無粋というもの。私、わかっておりますわ!」


「いやいや、『わかっておりますわ』じゃなくてさ……」


「私の事は気にせず、そのまま兄妹で愛を育んでくださいませ」


「ありがと。……さ、おにいちゃん、たっぷり育もうね」


「おまえのは十二分に育ってんだよ! これ以上、育む必要はないんだよ! むしろその駄肉を削ぎ落してやろうか……!」


「お願いします」


「ふふふ、とても微笑ましいですわ」


「……ッ! 歪な兄妹愛もいいですが、人影が……。誰か来ますよ……!」



 クソ魔術師が遠くのほうを、目を細めて睨みつけて言った。

 さっきは、この周囲には誰も確認できなかったが、誰か来たのだろう。でも――



「こんな時間にか……?」


「ええ。とりあえず、そこに丁度いい茂みがあります。変装していたとしても、ここで人に会うのは得策じゃない。一旦身を隠しましょう……!」


「ああ、そうだな」



 俺は頷くと、ユウを抱えたまま、近くの茂みに身を隠した。



――――――――――――


二週間ほど失踪してまい、大変申し訳ありませんでした!

……というのも、この季節の変わり目、なにをトチ狂ったか、全裸で、さらに窓を全開にして寝てしまうという、奇行をやってのけてしまったのです。

そして案の定、その翌朝、体調を崩してしまうのですが、このときはまだ「すこし怠いな…」程度で済んでいました。

問題は、そのあとの行動で、ここで頭のおかしい作者は、「まあ寝れば治るだろう」と思い、その日の夜も前日と同じような格好、条件で寝てしまい、結果、質の悪い風邪にかかってしまったのです。

視界はかすみ、腹はぎゅるぎゅると音を立て、水のような粘度の鼻水が滝のように流れ出てました。それでも一応、なにか書こうとは思ったのですが、意識が朦朧としている状態の人間というものは、自分で自分が何をしているのかわかっていないようで、なぜか主人公が突然、学校でラブコメしてたり、手から気の塊かなんかを放って、宇宙人と戦っていました。

これはいかんという事で、方々なんやかや色々と手を尽くして、ようやく最近収まってきた次第です。

今後はしっかりと体調の管理はしていくつもりですが、こういったことがないとは言い切れません。ですので、もし、また一週間以上間が開けば、なにかやらかしたか、今度こそ死んだかだと思います。

本当に申し開けありませんでした。

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