第73話 アン王女
――ドンドンドンドンドン!
ウルサイ……騒音……。
なにか、木材を激しく叩きつけているような音。
それが、ドアを叩いている音だと気がついたとき、ヴィクトーリアはすでに、俺の部屋に入ってきていた。
「タイヘンタイヘンタイヘンタイヘンヘンタイだ!」
「なんなんだ……一体……」
寝起きで、焦点が定まらない。
寝ぼけ眼に映っているのは、髪をほどき、白いネグリジェを着ているヴィクトーリアだった。
そして、その様子は大変取り乱しており、俺の部屋を縦横無尽に「ヘンタイ」と連呼しながら、うろうろと徘徊している。
普段なら、こんなヴィクトーリアの、無防備な姿を目にするものなら、『エッチスケッチワンタッチ!』という呪文を叫ばれながら、睨みつけられるのだが、どうやら、今はそんな場合ではなさそうだった。
「ユウト! ああ……! ユウト! どうしよう……!」
「どうした。……て、それよりもおまえ、さっき俺の事、変態とののしらなかったか?」
「そんなことはどうでもいい!」
「え? あ、すみません」
「ちがう! ごめん……、じゃない、えっと、その……、ああ……、何と言ったら……!」
「よし、まずは深呼吸しろ。吸って吐け。ゆっくりだ。それでも出来ないなら、マウストゥマウスで、丁寧に教えてやる」
「ああ、うん! わかった! お願いする!」
「ええ!? や、やっぱ自分でやれ!」
「おーけー! すーはーすーはー……」
「……どうだ、落ち着いたか?」
「ああ、だいぶ」
「それはよかった」
「おはよう、ユウキ」
「うん、おはよう。……て、今更かよ。いやいや、いきなり落ち着きすぎだって」
「そして、おはよう、ユウ」
「うん、おはよう。ヴィッキー」
「うおい!? おまえ、いつからそこに!?」
俺はガバッと、おもいきり布団を引きはがした。
見ると、ユウが俺の布団に潜り込んでいた。
鍵はかけておいたはずなのに……、そうか、だからヴィクトーリアが入ってこれたのか。
こいつはこうやって、隙あらば、俺の布団に潜り込んでくる。
一緒に旅をして、それなりに慣れたはずなんだが……、やっぱりまだビックリする。
というか、こんな状況に慣れたくない。
「おちつけ、ユウト。深呼吸だ」
「お、おし、わかった。すーはーすーはー……」
「おはよう、おにいちゃん」
「ああ、おはようユウ。今日も清々しい朝だな……て、そうはならねえよ。何やってんだ、おまえは。こんな朝っぱらから」
「朝からじゃないよ。昨日の夜からだよ」
「そういう問題じゃねえって……。てか、鍵はどうしたんだ。鍵は」
「ドアノブを握って回したら、『ガギッ』て……」
「ぶっ壊してんじゃねえか。……おいおい、おまえの夜這いの為に、修理代とか払いたくねえぞ」
「き、昨日の夜から……だと……? ユウ、もしかして、アーニャの姿を見なかったか?」
「アーニャちゃん? ううん、べつに、見てないけど……」
「……おい、ちょっと待て。その言い方、アーニャがどうかしたのか?」
「そ、そうだ。そのことで来たんだ。今朝、アーニャの部屋へメンテ……起こしに行こうとしたんだ。けど、ノックしても全然返事がなくて。この時間はいつも起きてるんだけど、それでも返事がなくて……、それで気になって部屋に入ってみたら、その、これが……」
そう言って、ヴィクトーリアが差し出したのは、封筒と、
封筒には、まるっこい字で『ユウトさん、ユウちゃん、そして、ヴィッキーへ』と書かれており、可愛らしい便箋には、その続きとなるメッセージが綴られていた。
「これっておまえ……」
「いいから、そこに書いてあることを、読んでみてくれないか?」
「『ユウトさん、ユウちゃん、そして、ヴィッキーへ。突然のことで驚かせてしまい、申し訳ありません。ですが、このまま、黙っていなくなってしまうのも忍びないので、ここに筆を執らせていただきました。今までの旅、本当に楽しかったです。こうして目を瞑っていると、思い出すのは楽しかった思い出と、皆さんの笑顔ばかり。時には困難なこともありましたが、この旅で、わたしはより、人間として成長できました。身体的にも、精神的にも……。ですが、わたしの旅はどうやら、ここで終わりのようです。心配なさらないでください。べつに、なにも、思いつめたわけではありません。ただ、ひとつ申し上げるとするなら、時が来た……とだけ。わたしの旅はここで終わりますが、皆さんは、どうか、旅を続けてください。そして、できればこのまま、わたしの事は忘れてください。それが、わたしの最後の我儘です。こんなわたしに、いままで優しくしてくれて、ありがとうございました。こんなわたしに、普通に接してくれて、ありがとうございました。ただひとつ、心残りがあるとするなら、ユウちゃんのご飯を、もう食べられないことでしょうか。……なんて』……なんだよ、これ」
「わ、私にも、なにがなんだか……。どうしよう、ユウト」
「どうしようって言われてもだな……、探しに行くしかないだろ」
アーニャが夜に出てったとなると、今は……どのへんだ?
アーニャの足だと、そこまで遠へは行ってなさそうだが……、いや、アーニャの脚力だとかなり遠くまで行っている可能性もある。
なんにせよ、手当たり次第にこの周辺を探しても、まったくの時間の無駄。
そうこうしている間にも、アーニャがどこか遠くへ行ってしまう可能性のほうが大きい。
「なあ、心当たりはないのか?」
「こ、心当たりは……その……」
そう言ってヴィクトーリアは、目を伏せる。
よほど言いたくない事なのだろう。こんな状況だというのに。だけど――
「今はそんな事、言ってる場合じゃないだろ。おまえが何も言ってくれないと、こっちはどうすることもできない。探したくても、探せないんだ。もう事態は、おまえだけの問題じゃない。俺の……俺たちの仲間であるアーニャが消えたんだ。なら、その事情を知っていそうなおまえに訊く。それが筋だろ?」
「で、でもでも……」
しまった。こいつは強く言いすぎるとダメなんだっけ。
でも――
「……ねえ、ヴィッキー。あたしたちのこと、そんなに信用できない?」
「そ、そんなことは……ない! 本当だ! それに、信用してるからこそ、今こうやって――」
「じゃあ、もう無しにしない? 隠し事」
「それとこれとは……」
「大丈夫。あたしたちを信じて。ヴィッキーが信じてくれるあたしたちなんだもの。問題なんてあるかな?」
「ユウ……。うん、わかった。でも――」
「大丈夫。ほかの人には絶対、言わないよ」
――この間、ユウは俺の布団にくるまったまま。
なぜその状況で、そんな、シリアスに話せるのか。
俺はいま、こいつの神経を疑っていた。
「ね、おにいちゃん」
「あ、ああ。言わない。絶対。言わない。俺、言わない」
「でも、どこから話せば……。そうだ、まず、『アーニャ』という名前は、じつは本名ではないんだ」
ヴィクトーリアが、切り出してきたのは、俺の予想の斜め上だった。
アーニャが本名じゃない?
ということは、俺たちがいままで接してきたアーニャは……?
「あ、安心してくれ。本名ではないといっても、偽名でもない。アーニャというのは
――――――――――――
読んでいただき、ありがとうございました!
アン王女がアーニャって、どこのヘップバーンだよ!
みたいなツッコミをもらうかもしれませんが、事実、ネタは例の映画から頂戴致しました。これからもユウトたちはアン王女の事を「アーニャ」呼びしますが、たぶん、間違いじゃありません。意図的にやっています。ややこしくて申し訳ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます