第72話 天使の笑み
陽もすっかりと落ち、夜空には満天の星が、ひっきりなしに明滅を繰り返している時間帯。
俺たちは、リザードマンの討伐報告を済ませると、村から外れた場所で、焚火を囲んでいた。もうすでに今日の夕餉を終えており、あとは宿屋に戻るだけ。
ちなみに、夕餉のメニューはトカゲの蒸し焼きと、串焼き。
ヴィクトーリアは最初、ひーひー言いながら食べていたが、正直、味は悪くなかった。
ヴィクトーリアも、最後のほうは、悔しそうにパクパクと食べていたので、味は良かったのだろう。
以前、キメラの
多少の臭みはあったものの、肉は魚の白身によく似ており、それがすこし固い程度。なにより、ユウ特製のスパイスが肉の臭みを消しつつ、うまみを引き出していたので、レストランで出されていてもおかしくないレベルだった。
というよりも、あいつの作る料理は基本的に、どの料理もうまい。
調理器具が揃っていない、こんなときでも、とりあえず食べられる料理を作ってくれる。
母さんに仕込まれたのか、あるいは独学か……。
とりあえず、どんな人間にも取り柄はあるという事だ。
でもまあ、
神は最低でも一物は与える。
「ど、どうかしたの? おにいちゃん」
俺がずっと、ユウの顔を見続けていたからだろう。
ユウはすこし、頬を染めながら返してきた。
なんだこいつ。
見るのはいいけど、見られるのは照れるのか?
ヘンなやつ。
「……べつに、なんでも」
「そう?」
「まあでも、よかったな」
「……うん、ありがと」
何に対してのありがとうなのだろう。
俺はまだ、何も言っていない。
『取り柄があってよかったな』
みたいな、皮肉を言おうとしたんだけど……、何かを察したのだろう。
俺の『よかったな』の一言に対し、首をかしげるでもなく、ただ頷いてきた。
怖い。
「――よし、そろそろ帰るか」
俺はすっと立ち上がると、談笑していた、アーニャとヴィクトーリアの二人に声をかけた。
ふたりは頷いてくれると、火の後始末を手伝ってくれた。
俺たちはいま、一応、宿に泊まっている……のだが、
一度、食堂の飯を食べてみたのだが、なんというか……、形容できない、不思議な味で、それからまる一日、舌の痺れが収まることはなかった。
だから食事はこうして、自分たちで賄って、寝泊まりだけ利用させてもらっている。
なら、現地の人はどうやって生活しているのかというと、実はこのような僻地で暮らしている人などはおらず、ここは村といっても、
そのため、村に名前はない。
そもそも冒険者というものは、目的のためであれば、基本的にどこへでも行く。
それが、あまりにも過酷な環境でもお構いなしだ。
基本、勇者の酒場も死人が出ようが出まいが、放置するスタンスなのだが、それが度を越して危険な区域、若しくは死人が多く出る場合に限り、こういった疑似的な村を勇者の酒場が作り、冒険者たちの憩いの場として活用するのだ。
要するに、極端に腰が重いのだ。(まあ、冒険者というのは自己責任でなるものだから、勇者の酒場に非があるわけでもないけれど……)
したがって、こういった村にいるのは、勇者の酒場から派遣された職員がほとんど。……だけど、このような死地に、勇者の酒場勤めのエリート職員共が、喜んで駐在しているわけもなく、ここに駐在しているのは、ほとんどが問題を起こした職員か、なにかやらかした職員なのだ。
要するにここは出向先だ。(中には自ら志願してここに来る変わり者もいるが……)
とはいっても、ここは腐っても、およそ人が住むのに適さない死地。
駐在員も人間なので、任期は決められている。
しかし、俺たちがこれから向かうペンタローズはれっきとした、きちんとした街(といってしまうのもおかしな話だが)ここに比べれば天国みたいなところだろう。
「すみません、ユウトさん。わたし、すこし、お花を摘みに……」
ひととおり後片付けも終わると、アーニャが俺に、すこし申し訳なさそうに言ってきた。
「ん? ああ、一緒に摘もうか?」
――しまった。
俺は何を口走っているのだろう。
『お花を摘みに行く』の意味は知っている。知っているのだが、脊髄反射的に、変態発言が口からすり抜けてしまった。
「え……、ええ!?」
案の定、アーニャの顔が、暗がりからでもわかるほどに、紅潮していく。
かわいい。
て、そうじゃなくて、ここはどう誤魔化そうか。
「こ、こら! ユウト! お花を摘むというのは、便所に行くという事だ」
ヴィクトーリアが慌てて訂正しに入ってくる。
ナイスだ、ヴィッキー。
乗るしかない、このビッグウェーブに。
……それにしても、『便所』って……。
「へ、へえ~? そ、そうなんだ? ふ~ん? すまんすまん、知らなかったよ。あっはっはっは」
「な、なんだか、ものすごく嘘くさいな……。まあ、いいか。……アーニャ、ひとりで大丈夫か?」
「もう、ヴィッキーまで。ひとりでも大丈夫だよ。じゃあ、行ってくるね」
「ああ、気をつけてな」
アーニャはそう言って、そそくさと、遠くのほうの木陰へと入っていった。
「……おい、ユウト。なにをじっと見送っているんだ」
「いや、心配だからさ」
「じゃあ、その薄目をやめないか。いまこの状況で、最も危険なのはおまえなのだぞ?」
「はっはっは、これは少し眠いだけだ。ヴィッキー。心配するな」
「だだ、だれがヴィッキーだ。馴れ馴れしい」
「え? アーニャとかユウもヴィッキーって呼んでるじゃん」
「ふ、ふたりはいいんだ! けど、おまえはダメだ」
「……なんで?」
「な、なんでもだ! 理由は……ない!」
「理不尽じゃね?」
「理不尽じゃない!」
それから暫くして、アーニャが戻ってきた。
お花を摘みに行ってから、大分、時間が経っていたため、途中でヴィクトーリアが様子を見に行こうとしたが、アーニャはそれにかぶせるように帰ってきた。
老廃物を体外へ排出(キモイ表現)したというのに、なぜか、表情はすぐれないアーニャ。
ヴィクトーリアもそれを察したのか、心配して声をかけたが、帰ってくるのは、ぎこちない笑みと「心配ありません、大丈夫ですから」という返答だけ。
その日は結局、なにかモヤモヤしたものを残したまま、四人全員で宿に戻り、各々休憩をとった。
たぶん最近、野菜を摂取していなかったので、便秘かなにかなのだろう。
明日になれば、ケロッとしているさ。
――なんて、気楽に構えていた俺は、救いようものない阿呆だった。
いつも、いつでも、どんなときでも、その天使が如き微笑みを絶やさなかったアーニャが、はじめて表情を曇らせたのだ。
俺はこの時、ほんのすこしだけでも、その理由を追究べきだった。
そして、まさかこれが、後に起こる壮絶な事件の幕開けだったとは、この時点では、気付きもしなかった。
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