第66話 割れた試験管


「さ、細菌兵器ですか……!?」



『細菌兵器』

 その言葉を聞くと、ぷりぷりと怒っていたアーニャの表情が、一変した。

 アーニャと同様に、遠くのほうにいるヴィクトーリアも、同じく、驚いた顔をしている。



「なんだ、アーニャ? 知ってるのか?」


「いいえ、存じていません」


「……なんでそんな反応したの?」


「で、でも、聞いたことはあるんです。えと……、アニメでだったかな……。そうだ、ヴィッキーが詳しかったかと……」



 そう言われ、ヴィクトーリアに視線を送る。



「ふぇ!? わ、わたしか……!? 知っているのは知っているが……」


「教えてくれ」


「何と言ったらいいか……、細菌兵器……別名、生物兵器は……まぁ、専門的な事は置いておいて、簡単にいえば、毒みたいなもの……を散布するものと思ってくれればいい」


「毒の散布……? だったら、解毒剤が――」


「うん、そう。ただし、毒のように解毒剤・・・が効果を発揮できるとは限らない」


「いや、でも……毒……」


「なぜなら、毒自体が生きているし、ここでは便宜上『毒』に置き換えているだけで、ほんとうは毒ではないからだ」


「生きている……毒……?」


「そう。細菌兵器の細き……じゃなくて、毒は、実際の毒のように、数えきれないほどの種類があるし、それを元にいろいろと作れて、その数もさらに無数。星の数ほどある」


「じゃあ……」


「そう。一度散布されてしまえば、もう、どうすることもできない。除去するのも、抗体を作るのも、一苦労なんだ。……けど――」


「ククク……、そうことだ、若造。どうする? 絶対不可避の細菌兵器、それが俺の切り札にして、奥の手。もはや、逃れられるすべはない。わかったら……、オイコラ二代目ェ!! テメェ、さっさとその、血と油で薄汚れた刀を、俺の首元からどかしやがれ!」


「うるさいよ。あんたに決定権はないのさ。黙って、ユウくんの決断に従いな」


「でも、そんなのを散布したら、おまえだって……」


「アマいな、若造。こんなこともあろうかと、俺は常に、この……防護マスクを常備しているんだよ」


「……フ」



 この局面で、なぜか俺の口からは笑みがこぼれた。



「……なにがおかしい……、クソガキ……!」


「……奥の手用意したり、セバスチャン雇ったり、防護マスクまで用意したりと……、ただの式に、随分と用意周到じゃないですか。ねえ、親分さん?」


「……何が言いたい?」


「細菌兵器? 散布すればいいじゃないですか。こっちの意見なんて聞かずに、無慈悲に、無遠慮に発射すればいい。なんでわざわざそうやって、敵である俺たちにまで義理立てしてくる必要があるんですかね? まあ、ええ、……わかってますよ。これは単なる脅しだ。細菌兵器なんて大層なもの、持っているはずがない……でしょ? 今回はヴィクトーリアが、その兵器の危険性を説明しましたが、本来、その役割はあなた、もしくは、ここにいるあなたの構成員の誰かが担っていたはず。そして、その危険性を十二分に、俺たちに理解させたうえで、俺たちに取引を持ち掛ける。……なぜならそれは、俺たちを御しやすくするため。……そして、あえて云えば、奥の手は細菌兵器などではなく、その取るに足らない、つまらないハッタリってところですかね。……残念でしたね、そんなものに俺たちは屈しな――」


「撃てェ!!」


「へ?」



 いつの間にか、防護マスクを被っていたバッジーニが号令をかける。

 その合図で、大砲のドォンという音とは違った、バシュッという、空気が擦れる・・・ような音が、部屋に響く。

 大砲の弾が、会場の中心部に着弾すると、そこから爆炎ではなく、黒い霧のようなものが、会場全体に広がっていき、覆っていった。

 俺は目の前のその壮絶な光景を前に、ただただ、呆然と立ち尽くすしかできなかった。



「え? なにこれ?」


『アホめ。俺が奥の手だといやあ、奥の手だなんだよ。ハッタリや酔狂だけで、取引ができると思うなよ、若造。……極道モン、舐めてんじゃあねえぞ』



 俺をバカにする声が、マスクを隔てて、すこし籠ったような声で届く。



「え? じゃあなに? この黒いモサモサしたやつって、マジに毒……細菌兵器なの? バカなの? 死ぬの? 吸ったら死ぬの? ていうか、なんでホントに撃ってんの?」


『ああ。あいにく、この細菌兵器は即効性ではなく、遅効性だ。……といっても、効果が表れるのに、だいたい十分ほどだろうな』


「か……、換気ィー! 急いで、この部屋を換気しろ! おい、ユウ! 聞こえてんだろ! いますぐ、この部屋の窓全開にして、新鮮な空気で、この毒を洗い流せ!」


「了解、おにいちゃん」


『ははっ、やめとけやめとけぇ。そんなんで洗い流すことが出来るはず、ねえだろ。……それに、もう遅いんだよ。これはすでに、おまえらの体の中に入り込んで、おまえらの体細胞のひとつひとつに対し、壊滅的な破壊を行っている。いまはまだ気づいていないかもしれないが、あとで血反吐を出しながら、悶え苦しみ、最終的には芋虫みたいに死んでいくんだよ』


「んなアホな……」


『アホはオメーだ。人の忠告は素直に聞いとくもんだぜ。それが、俺みたいな、イジワルな大人だと、なおさら、な。……ま、これでひとつ、あんたも賢くなったってモンだ。……だが、それもこれも、あんたがドジ踏んだせいで、これからの人生に活かすことが出来なくなるんだけどなあ? ま、せいぜいこの教訓を活かし、第二の人生を歩んでろよ。とはいえ、第二の人生が、『人』生なのかすらわかんねえがな? ダッハッハッハッハッハ!!』


「く……っ、くおの、性悪クソジジイ……! 遅効性なんて、猶予なんて持たせたら、その間におまえの首をとれるじゃあねえか。せめて、おまえだけは道ずれに――」



 パタン……。

 突然、俺の体が前のめりに倒れる。

 倒れようとした意思はなく、ただ自然に、俺は会場の床に倒れこんだ。

 立ち上がろうとしても、四肢に命令系統が行き渡らず、その場で虚しく、バタバタと手足が空を切る。

 よく見ると、みっちゃんも、ユウも、その場に倒れていた。



「な……んで……?」


『ふむ、遅効性か……、ありゃあ、ウソだ』


「な……んだと……?」


『即効性の猛毒。おまえらの命はもはや数秒もない……なんていえば、是が非でも俺を殺しに来るだろうが』


「てめ……、よくも……!」


『く……、ははははは! 嘘も方便。ハッタリってのは、ここぞって時に使うもんなんだよ。これも教訓だ。……でも、本当の事は言ったんだぜ。芋虫みてえにくたばるのは本当だ。せいぜいそこで這いつくばって、後悔してなァ! バカな組の、バカな頭の下についたってことをよ! ダァーッハッハッハッハッハッハ!!』


「――大丈夫だ。皆、しっかりと意志をもて」



 パリン!

 突然、俺の目の前に、ガラスでできた……あれは試験管……、だろうか、試験管のようなものが落ちてきた。

 割れた試験管からは、白い液体のようなものが床に染み出し、そこから気化して――

 俺の体から、毒を消し去った。

 霞んでいた視界がクリアになり、痺れていた手足も正常に動くようになり、会場の淀んでいた空気も、次第に浄化されていった。

 俺は立ち上がると、試験管の飛んできた方向を見た。

 そこには、安堵した面持ちの、ヴィクトーリアがいた。



「すまない。少し遅れてしまったが……、やれやれ、どうやら、間に合ったようだな」

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