第65話 大猩猩墜つ
「ぶちかませ! アーニャ!」
「な――!?」
「はい! てりゃーっ!」
セバスチャンは突如として、背後より現れたアーニャに目を丸くし、体を強張らせた。
そこへ、アーニャの振りかぶった、チェーンでグルグル巻きにされた凶悪な杖――略して凶杖が、ジャラジャラと音をたてながら、セバスチャンの脳天にクリーンヒットした。
躊躇のない一撃。
ドガァという、耳を塞ぎたくなるような重低音。
殴られたほう――セバスチャンは、まるで重力に負けたカエルのように、床の上にベチャっと這いつくばった。
その額は床に大きくめり込んでおり、床にはあとから、ドクドクと血が染み出している。
やりすぎたか?
やりすぎだな。
いくらゴリラとはいえ、所詮霊長類。
エンドドラゴンをも爆散させる一撃の前には、その鎧のような筋肉も、ただのたんぱく質の塊に過ぎない。
防御不可、無慈悲の一撃。
俺の渾身の
……うん、まあ、細かいことは気にしないでおこう。
当の本人、殴りつけたアーニャも、足元に転がっているゴリラを、『やってしまった』という表情で、見つめていた。
……まあ、アーニャからしたら、そのゴリラも恩人……もとい、恩ゴリラだからな。
気に病むのはしょうがないっちゃ、しょうがないけれども……、今度、アーニャには、力加減というものを教えてあげなくちゃならないのかもしれない。
もちろん、こっちが死なないようにだけど……。
ちなみに、今回の作戦は至ってシンプル。
ただの陽動だ。
俺がセバスチャンの注意を引いている間に、アーニャが裏からこっそりと、回り込む。
この会場内には長机も多く、身を隠しやすいうえに、アーニャはかなりの小柄だったため、実現できた作戦だ。
もちろん、セバスチャンの言った通り、俺に、あいつらの仲間になる気などはさらさらない。
そこは、さすが元パーティメンバーだと、褒めてやってもやぶさかでない。
俺はいまだ、うまく動かない体で、なんとかして――具体的にはハイハイで、セバスチャンの死体に近づいていった。
やがて死体のすぐそばまで近づくと、首の横――頸動脈に、人差し指と中指をクイっと押し当てた。
「………………」
「ど、どうですか……? ユウトさん……? 生きて……らっしゃいますか……?」
アーニャは、いまにも泣き出しそうな顔で、俺の顔を覗き込んでくる。
俺はその顔を見ていると――
「し、死んでいる……!?」
……と、悪戯したくなった。
まあ、本当は生きているが、さきほどのお返しである。
それにしても、なんてゴリラだ。
毒の危険度の指標を、成人男性の何人が死ぬ――とかで表すときがあるけど、これ、普通の成人男性が喰らったら、十人以上は死ぬ一撃だぞ。
オーバーキルにもほどがある。
そして、それにも瀕死ではあるが、耐える男……、いや、オスか……、敵ながら天晴れというか、なんというか――
「………………」
俺は気が付くと、ゴリラの死体の前で、両手のひらを合わせ、合掌のポーズをとっていた。
どちらにせよ、もうこんな怪我では戦闘復帰は不可能。
……昔の仲間のよしみだ。
トドメは刺さないでおこう。
「ほ、本当にお亡くなりなったのですか……?」
「いいやつだった……いや、救いようがないほど、ワルイゴリラ……略してワルゴリだったけど……、最後はきちんとマウンテンゴリラとして逝ったよ……」
「そ、そんな……わ、わたし、なんということを……」
「とまあ、冗談はここまでにして……」
「じょ、冗談なのですか……!?」
「おい、ユウ。大丈夫か?」
「………………」
さきほどから、
しょうがないよな。
生まれて初めて、ここまでボコボコに、徹底的にやられたんだ。
ショックをうけないほうがおかしい。
俺はユウをそのままにして、みっちゃんのほうへ視線を向けた。
「……っ」
そして俺は息をのんだ。
みっちゃんはまるで、俺たちとは別の空間にいるかのように、そっちに集中していた。
それも、並みの集中状態ではなく、極限に研ぎ澄まされていたものだった。
立ち回りの練度がさきほどよりも、かなり洗練されており、隙が一切なかった。
向けられる銃口の直線上には決して立たず、銃を撃ち終わったのを確認すると、発砲し終えた者の手首から、優先して切り落とし、その返す刀で、首を綺麗に撥ねていた。
刀を持っていた構成員は、どこから太刀が飛んでくるかを追い切れず、的外れな場所を、闇雲に切っている。
「覚醒してんじゃん……」
……このままでも終わりそうだが、保険はあるに越したことはない。
俺は隣で、可愛くぷりぷりとむくれていたアーニャに話しかけた。
「アーニャ、悪いんだけどみっちゃんの援護を――」
「おにいちゃん」
ユウに二の句を遮られる。
「あたしがやるよ」
「いや、けど、おまえ……」
「やるから」
「はぁ……、わかったよ。ほどほどにな」
ユウは少しだけ頷くと、さきほど受けた怪我もなんのその。
一目散に、みっちゃんに加勢した。
こう言ったらもう、聞かないんだよな……。
やっぱり、さっきの戦いが相当堪えたようだ。
そのうえ、不意打ちとはいえ、あれほど苦戦したゴリラを、アーニャが一撃で沈めたからな……心の中はぐちゃぐちゃだろう。
いまはあまり、あいつには触れないほうがいい。
……ただ……、なんだろう、この胸騒ぎは……。
何かを見落としている気がする……。
ゴリラはもう動かないし、この会場にいる、バッジーニ組の構成員も少なくなってきている。
だったら……でも……、他になにか――
「ハァーッハッハッハ! しめぇだよ! オマエラァ!!」
突如、男の声が、高らかに、会場内にこだまする。
見ると、会場の出入り口の外、黒い鉄の塊に、車輪がついたものを、二人の男が重たそうに押していた。
黒い鉄の塊は、「ガラガラ」という音を響かせながら、やがて会場内へと進入してきた。
「ククク……」
バッジーニの抑えたような笑いが、俺の耳に届く。
「あの使えねぇゴリラも、時間稼ぎぐらいにはなったようだな……!」
……なるほど、胸騒ぎの正体はあれか……。
「ということは、あの鉄の塊は……?」
「そうだ。奥の手だよ、若造」
ユウには誰もこの部屋から出入りさせないよう、役割を与えていた。
しかし、それもセバスチャンに邪魔をされるまでの間。
バッジーニが命令を下したのか、はたまた、機転を利かせた部下が、独断専行で取りに行ったのか……、それは特に気にするべきところではないが、門番のいなくなった間に、奥の手を取りにいかれたという事だ。
これで、あいつらのいう、奥の手とやらが、白日の下に晒されたというわけだが……、それにしても、あの形状……、登場時には、あまりよく見ていなかったが、今見ると、移動式砲台のように見える。
普通に考えると、あの大筒から大砲の弾が発射されるのだろうが……、いくらアホでも、この魔法がある時代に、あれを最終兵器と……、あまつさえ、奥の手とのたまうヤツはいない。
なにか、トンデモないギミックが隠されていのだろう。
「降参するなら今のうちだぞ、小僧ども!」
「いや、降参しろって言われても……」
「いいか、よく聞け。そこの……それはなァ……」
「……あ、ああ……なんなんだ……、あれは一体……!」
「なんと……!」
「なんと……?」
「車輪で……!」
「車輪で……?」
「移動できる砲台だァァ!!」
「………………」
……どうやら、本当にただのアホのようだった。
「ぎゃああああああああああああ!?」
突如、バッジーニが、聞くに堪えない叫び声をあげる。
見ると、バッジーニが両手を後ろにいて、喉元に、剣先をつきつけられていた。
つきつけているのは、みっちゃん。
みっちゃんは少しだけ、息を切らしながら、冷ややかな視線でバッジーニを見下ろしていた。
「お、おい、解っているんだろうな!? いま、貴様が俺を殺せば、間違いなくその大砲でやつらは死ぬぞ」
「大砲くらいじゃ、ユウくんは死なないよ……」
いえ、普通に死にます。
「く……っ、バカめ。あれはただの大砲ではない。ネトリール特製の、細菌兵器とやらが仕込まれているのだ」
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