第42話 怠惰の代償
「どうよ、お兄さん。いまなら、さらに『失楽園』のほかに、この目出し帽もセットだよ。これで、俺たち売人とおそろいだね。買うっきゃないね!」
そう言って、差し出されたのは薬包紙に包まれた白い粉と、ふぁさぁっと置かれた黒い目出し帽だった。
『買うかァァァァァ! どこに
――というツッコみをいれてやりたかったが、ここでそんなにハッスルしてしまうと、後々の作戦に影響を及ぼしかねないので、俺はグッと耐え忍んだ。
「……えっと、なんというか、随分とフランクな感じなんですね。バレたら困るとか、そういうのはないんですか?」
「ん? なんだよ、初心者さんか?」
「初心者……さん?」
「ああ。この街の暗黙のルールってやつだ。顔を隠して『ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノ』を飲んでいるやつは、薬のバイヤーなんだが……」
何その偶然!? そりゃ確かに、俺に薬売り付けに来るわ!
「……それを知らねぇってことは、どうやら、あんたは違うみたいだな。邪魔したな」
男はそう言って、手に持った『ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメル ソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノ』をグイっと飲み干すと、そのまま、そそくさと喫茶店を後にした。
……あれ? てっきり、『秘密を知られたからには、生かしちゃおけない』とか言って、襲われるかと思ったけど、そんなことはないのか……?
でも、どのみち、あいつはこのまま放ってはおけない。
バレないように、このまま尾行開始だな。
幸い、隠者の布で気配は遮断できるものの、足音などは消すことができない。
だから、それなりに俺自身の、純粋なスニークスキルは必要となってくるわけだが……、もちろん、そんなもんは俺にはない。
それに――
「にゃおん、にゃんにゃん……にゃがにゃが……」
しきりに体を擦り付けて、低く鳴いている、
失敗するのは目に見えているのだ。
だが、そこは男ユウト。
ここで引き下がる男ではない。
俺はここで、この状況を速やかに打破し、さらに次の一手を差し込む。
それが俺に課せられた
さしあたっては、今の状況において、一番優先すべきことは、
俺は強引にビーストを引っぺがし……引っぺがし……!
「ぎぎぎぎ……にににに……ぐぎぎぎぎぎ!」
なんて力だ。
人間か、こいつ!?
いや、人間じゃないな。
俺はビーストの顔面がぐにぐにと、変形するほどの力を込めているが、一向に離してくれない。というかむしろ、より強く、よりパワフルに、俺の体に豊満なビーストバディを擦り付けている。
やめろ、ビースト。
俺は男で、おまえは一応、魔物とはいえ、雌だ。
そんな豊満な豊満を、俺の豊満に豊満したら、俺の豊満が殊更、豊満になってしまう!
うん。なんというか、もう、うまく思考が働かなくなってきた。
気のせいか、豊満がゲシュタルト豊満してきた。
嗚呼、これが、豊満が豊満足りうる所以とでも豊満のか。
なんだかもう、どうでもよくなってきた豊満。
俺、頑張ったよね? 豊満?
あれ? そもそも、なにこれ? 豊満ってなに? 友達? 幼馴染? ライバル?
「――こいつか、連絡にあったのは」
突然の男の声に、俺はハッと我に返る。
いつの間にか、俺は見知らぬ豊満たちに囲まれていた。
どれもこれも、どいつもこいつも、あいつもそいつも、皆して、人相が悪い。
なんだその人相の悪さは! 俺が怖がってると思ってんのか!?
土下座するんで、帰ってもらっていいですか?
「あのぅ……、何か御用でしょうか?」
俺は、俺の正面――いちばん人相の悪くない、普通そうな男に話しかけた。
そして、今、気が付いたが、まわりにいた客も、店員も、いつの間にかいなくなっていた。
どうなってんだ、えらく人捌けが早くないか?
「いや、なんかね。うちのやつが、迷惑をかけたみたいで、その詫びにね」
詫び詫び詫び詫び。
ここの人間はどんだけ、詫びって言葉が好きなんだよ。
詫びって言ったら、なんでも許されると思ってんのだろうか!
というか、もう逆に許してやろうか!
それでどうか、俺を許してはくれないだろうか!
あーあ、どうせこいつら、さっきの目出し牛乳男の仲間だろうな。
やっぱり、見逃してくれるわけないよな。
ビト組が取り締まりを強化してるんだし。
ここでもし、情報がみっちゃんに渡ったら、その時点で壊滅させられるんだもんな。
だから、『情報を知られたからには、今日は返さない』ってやつだろう。
あれ? なんか違ったような……?
ともあれ、この状況ではビーストは頼りにならない。
いまでもなお、俺にへばりついてきてるからな。
なんとかして、死に物狂いで、ここから逃げるしかないだろう。
でも、ここって二階のテラス席だし……、どうしたもんか……。
ここから飛び降りるったって、俺一人の体重ですら、この高さの衝撃に耐えらるかどうかわかんないのに、いまはビーストを合わせてひとりと一匹だ。
そんな状態で、ここからスタイリッシュに飛び降りでもしたら、スタイリッシュ骨折して、そのままスタイリッシュご臨終してしまう。
しかし、こいつらを押しのけて、丁寧に階段から降りられるってのも、無理な話だ。
仮に全員、痛風かなんかで走れないとかなら希望はあるけど……。
「すみません、ここでだれか、痛風みたいなのを患っている方はいますかァ!?」
「な、なんで『この中にお医者様はいらっしゃいますか?』のテンションで、病人をさがしているかわからんが、俺たちはこう見えて、生粋の元スポーツマンだ。そこの男なんて、百
「あっ、あっ、あっ」
終わりじゃん。
勝てねえよ。
ビーストがいてもいなくても、勝てねえよ。
なにこのスポーツマンたち。
おまえら全員陸上に転向しろ!
何やってんだよ!
こんなところでなに燻ってんだよ!
おまえらには相応しいステージがあるだろうが!
風を感じて来いよ!
畜生!
「うう……ううう……、陸上、してろよ……!」
「さて、そろそろ侘びの時間だ。覚悟しろや」
くそ、侘びの時間ってなんだよ。もう意味がぐちゃぐちゃになってんじゃん。
でも、なんとか――なんとかしなければ、俺に明日はない。
ビーストの明日はどうでもいい。
頭を振り絞れ、ユウト! がんばれ! ユウト! 負けないで! 負けちゃダメ!
「……ふふふ」
「な、なにを笑っている!? 気でも触れたか!」
「……いえいえ、詫びなんてとんでもない。人間、だれしも間違うことはあるのです。問題は、その間違いを次にどう活かすか、ということです。それに、第一に、侘びをいれる前に、他にやることがあるでしょう?」
「他に、やること……?」
「はい。胸に手を当てて考えてください」
「こ、こうか?」
「はい。そして、目をつぶってください」
「こうかい?」
俺はそう言うや否や、テラスの縁、欄干に手をかけ、そこから勢いよく欄干を跨ぎ、スタイリッシュダイブを決めてみせた。
もう、これしかない。
あとは、自分の脚が折れるか、はたまた地面が折れるか、だ。
ビーストは相変わらず、にゃごにゃごと、俺に抱きついている。
こんなときでも、ベロンベロンに酔っぱらっているのだ。
いい気なもんだ。
……と思う反面、俺はこの状況で、悪魔的にいいことを思いついた。
こいつを、下敷きにすれいいんじゃないか?
いやいや、ダメだダメだ。
こんなやつでも、一応は雌、つまり女の子だ。
女の子にそんな真似、この騎士道精神の塊のような俺が、できるはずが――
「切歯を食いしばれェェェェ!!」
俺は空中で体を反転させ、ビーストを抱き込むようにした。
ちょうど、ビーストを挟んで、地面と平行に俺の体がある。
ぐんぐんと地面が近づいていき、そして――
バァン!
とてつもない衝撃が全身を貫く。
肺の空気を吐き出し、目もチカチカする。
けど、死んで……ない?
俺の腕の中で、フワフワした魔物が衝撃を吸収してくれている。
……けど、様子が妙だ。先ほどとは違って、俺に頬ずりしてこない。
というか、むしろプルプルと震えている。
俺はそーっと顔を上げ、ビーストの
「いまのは、痛かったにゃ……痛かったにゃー!」
ビーストは俺ごと、ガバッと起き上がった。
俺は身の危険を感じ、ビーストと男たちを置きざるような速さで、ポセミトールの街を疾走した。
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