第43話 薬物取締戦線


「にゃにゃ!? ニャーは一体……!?」


「――なるほどな、失楽園の粉を嗅いだら、記憶の欠損が生じる……ということか」


「にゃあ……? 記憶?」


「ああ。記憶だ。……というか、それよりもだな……、いつまで俺の上に乗ってんだ! おまえはァ!?」



 ポセミトールの薄暗い裏路地。

 うす汚れた石畳の上で、時折チューチューと、ドブネズミが往来している。

 俺の策に引っかかった、馬鹿な男たちをまいて、ここまで来たのはいいが、こいつだけはどうしてもまけなかった。

 というか、無理だった。

 死に物狂いで追いすがってくるビーストに、タックルをかましたり、水平チョップを食らわせてみたけど、効果はなし。

 思い切って、わき腹をくすぐってみたら、ゲラゲラと笑い出したけど、ジタバタと振り回される手足が、これ以上ないほど、綺麗にみぞおちに入って、数秒間息ができなかった。

 まさに、諸刃の剣。

 俺は二度とこいつをくすぐらないと、誓った。

 そしてビーストは、そうやってうずくまる俺を、嘲笑うかのように、仰向けに寝かせ、その上に乗っかってきたのだ。

 それから先は……、思い出したくもない。



「にゃあ……、にゃんかごめんにゃ、ご主人。……て、あれ? にゃんでご主人、顔中に落書きされてるにゃ?」


「胸に手を当てて考えてみろ。そして、右手に持ったペンで額に『バカ猫』と書いてろ」


「にゃあ……わからんにゃな……」


「答えを言ったろうが……」



 ビーストは胸に手を当てるが、ぽよんぽよんと弾むだけだった。

 こいつの脳みそもどうせ、胸のように、ぽよんぽよんなのだろう。

 俺はのそのそと、ゆっくり立ち上がると、ビーストに剥がされた布を顔に巻き直した。



「それにしても、ニャーたちはどうして、こんにゃトコにいるにゃ? たしか、怪しげな粉を嗅がされて……」


「だまれ。なに不本意みたいな言い方してんだよ。けっこうノリノリだっただろうが『かぐにゃー? かぐにゃー? 悪いネコになるにゃー?』とか言ってただろ」


「そだっけかにゃ?」


「もういいや。おまえ嫌いだ」


「そんにゃあ……ニャーはこんにゃにも、ご主人が好きにゃのに……!」


「言ってろ。とりあえず、俺は喫茶店に戻ってみる」


「にゃにゃ? ご主人、それは危険にゃ。まだまだあそこには、ワルイヤツがいっぱいいるにゃよ? ニャーには、わかる」


「なんでおまえ、そんなこと知ってんだ?」


「――ハッ!?」


「……おまえ、ほんとうに酔ってたのか?」


「にゃ……にゃにゃ……、にゃんのことかにゃー……?」


「酔ったふりして、俺にくっついてたんじゃなかったのかって、訊いてんだよ!」


「にゃ……ニャーはそんにゃ、場末のキャバ嬢みたいにゃ小賢しい事、出来ないにゃよ」


「……じゃあ、なんで喫茶店にいたことを知ってんだよ。なんで男たちに囲まれていたことを知ってんだよ。説明してみろよ、場末のビーストさん」


「そ、それは……、もうひとりの……もとい、もう一匹のニャーが、事の一部始終を教えてくれたのにゃ」


「もうひとりのニャーってなんだよ。おまえはどこの無糖くんだよ。完成したパズルをプールに投げ入れてやろうか? 無糖を微糖にしてやろうか?」


「まあ……、そんにゃわけで、いろいろと知ってたんにゃ……」


「……まあいいや。この際お前の正体が、ファラオなのかどうかは置いておこう。重要なのは、まだ失楽園の臭いを覚えているかどうかだ」


「それは……バッチシにゃ! もう目を瞑ってても、どこにあるか、わかるにゃよ」


「目は開けていろ。……でも、そうか。おまえ、そんなに鼻がよかったのな」


「にゃにゃん。これからも、ニャーを頼りにしてくれていいにゃよ、ご主人」


「とりあえず、喫茶店はどうだった? 俺はあそこがアヤシイと思ってんだけど」


「にゃ。ご主人の言う通りにゃ。あそこは失楽園のにおいがプンプンしたにゃ。間違いにゃい。ニャーの鼻は、誤魔化せにゃい」


「ふーん、てことはやっぱり、あそこにいたときは意識があったんだ?」


「にゃにゃ!? ご主人、ニャーを嵌めたのにゃ!?」


「バカめ。猫のくせに、とんだ狸だったようだな」


「し、しまったにゃあ……! ご主人がここまでの策士にゃったとは……!」


「……まあ、これでトントンだな。せめて、喫茶店への案内はきちんとしてくれよ?」


「にゃあ……、ご主人はまるで、溶けかけたスライムのように、にちゃにちゃと陰湿だにゃ」


「うん、ま、そこまでいくと、ただの悪口だよね? いいの? 傷つくよ?」


「とにかく、あそこは限りなく、限りなく黒に近い黒にゃ」


「真っ黒なんだな……」



 このまま見に行こうかと思ったけど、やっぱり危険なのか。

 よし、止めておこう。そうしよう。



「にゃ。にゃから、ふんどししめてかからにゃいと、危ないにゃよ、ご主人」


「……え? 何言ってんの?」


「にゃ? にゃにが?」


「もう場所はわかったんだから、あとはみっちゃんに報告して、それで任務終了ミッションコンプリートだよ?」


「そのルビの振り方は、ちょっとイラっとくるにゃが……、突入して、壊滅させないのにゃ?」


「それは俺の仕事じゃないし」


「にゃー……?」


「そもそも、そんなとこに俺とおまえで突入してたら、命がいくつあっても足りないからな」


「にゃんてこったにゃ……、まさか、ご主人がここまで腑抜けだったとは……」


「おまえ、ほんと毒舌だな」


「まあ、いいにゃ。任務が終われば、そのぶん、ご主人との時間も長くとれるからにゃ」


「おまえはそればっかだな」


「にゃにゃ? ご主人はニャーといられるの、嬉しくないのかにゃ?」


「……なんでそんな質問すんだよ」


「即答しないってことは、まんざらでもにゃいってことにゃ?」


「嫌いっつったろ、さっき!」


「そんにゃこといって、ニャーがスリスリしてたとき、ご主人のご主人は硬――」


「ダァァァァァ!! 水道の蛇口ひねったら水が出るだろ!? アレと一緒だよ! 不可抗力なんだよ、抗えないんだよ! クイってやったら、ギューンなの。わかる?」


「にゃんでそこで諦めるにゃ! にゃんで自分の息子くらい制御できないんにゃ! ご主人にゃら、出来るにゃ! 根性みせるにゃ!」


「そ、そう……だよな。俺、何も頑張ってないのに、努力すらしてないのに、無理だって、出来っこないって、決めつけて、諦めてたかもしれない……そうだよ。おまえの言う通りだ。俺、今日から頑張るよ!」


「にゃにゃ、それでこそ、ご主人にゃ」


「――なんて、言うとでも思ったか、この、ネコー!!」


「うにゃ!?」


「もう問答は終いだ。……とにかく、これから三人と合流してから、みっちゃんに報告しに行くから。おまえはさっさと三人を呼び戻してきてくれ」


「にゃ。了解にゃ」





「――なるほどねェ、あそこの喫茶店かい。灯台下暗しとはよく言ったものだわね」


「灯台下暗しというか、もはやマザーは、何も照らしてなかったと思うんですがね……」


「……んだと、コラ。おまえを海に浮かべて、照らし出してやろうか?」



 やばいわ。

 この状態のみっちゃん、まじで怖いわ。ジャバンナ周辺の魔物よりも怖い。

 どうしてこうなった?



「……と、お客さん、すまないね。報告ありがとさん。あとはこっちで調査しておくよ。なにかあったら、こっちから連絡入れるわ」


「そうにゃ。アネゴ、ご主人たちの装備はどうなったんにゃ?」


「それは……すまないね。じつはこんなにも早く、案件を片付けてくれとは思ってなくね、装備のほうはまだなんだ。でも、手配はしているよ。明日になれば、情報くらいは入ってきているだろうさ。朝までには、なんらかの連絡は入れるよ」


「あ、いや、そんな、気にしなくていっす、うす」


「……はぁ」



 みっちゃんは俺の顔を見ると、これみよがしにため息をついてきた。



「……今日はもう遅いからね。宿にでも泊まって、ゆっくりしておいてくれ」


「す、すみません、アネゴ様。わたしたち、お金のほうも取られてしまっていまして……」


「軽く飲み食い出来る分の手持ちはあるんすけど、五人分ともなってくると、さすがに……」


「ん? ……はっはっは! 大丈夫、金の心配はいらないよ。こっちで宿は、すでに手配してあるからね。でも、うちの系列の宿屋だからねぇ。すこし窮屈かもしれないけど、まあ我慢してくんな」


「それは、有難いのだが……、よいのか? アネゴ殿、こんなに世話になってしまって」


「ああ。問題ないよ。それくらいあんたらの、今回やってくれた功績がデカいってことさ。生産場所は掴んだ。あとは潰すだけさね。感謝するよ、あんたたち。……そうそう、この街にいる間は、金の心配はしなくていい。レストランや酒場での飲み食いは、全部『ミシェール』につけといてくれて、構わないよ」


「アネゴ様……!」

「アネゴ殿……!」


「あと、その呼び方はやめてくれないかい。アネゴって……ちょっと、あんたたちの姉みたいで、くすぐったいんだよね……」



『マザー』って呼ばれるのも、どうかと思うんだけど……と言おうとしたが、やめておいた。



「マザーって呼ばれるのも、どうかとおもうんですがねぃ」


「これはいんだよ。名前で名前を縛る。あたしらんトコは昔からこうじゃないか、何寝ぼけてんだい?」


「いやね、大将が不思議そうな顔してましたんで、代わりに訊いたまででさぁ」


「え?」


 そこで、俺にキラーパスですか、捌ききれませんよ、まじで。


「そうなのかい?」


「ま、まあ、してたっちゃしてたし、してなかったっちゃしてなかったっすね」


「なんだい、そりゃ……中途半端だね。まあいいや。とにかく、あたしが言いたいことは、アネゴ呼びはやめてほしいってことだ。わかったね?」


「はい、アネゴ様!」

「はい、アネゴ殿!」


「……うん、まあ、いいわ。こういうのは所詮、ただの呼び名だからね。好きに呼んでくれて構わないよ」


「はい、アネゴ様!」

「はい、アネゴ殿!」



 どうやら、やっぱり、根っこのところはみっちゃんのようだ。

 優しくて、あまり人には強く出れない。

 だからこそ、テッシオさんに対する態度は、意外といえば意外なのだ。

 それほどまでに信頼している相手……、もしくは、気安い関係なのだろう。

 ……もしかして、付き合ってるとかか?

 いやいやいや、親子ぐらい年の差があるぞ?

 あれ? でも、聞いた話によれば、そういうのも珍しくないんだよな……。

 うーん、気になる。



「……さて、悪いけど、仕事の時間だよ。カタギさんたちは、どうぞ、お引き取りくださいな」


「そうだな。今日のところは、大人しく引き下がっておいてやろう」


「なんで上から目線?」



 俺たちはみっちゃんに追い出されるようにして、ビト組を後にした。

 次に、俺たちはその足で、みっちゃんに紹介されたホテルへと向かった。

 そこはビト組が経営しているホテルの中でも、特上の、五つ星のホテルだった。

 今まで泊まっていた宿屋が、ぼろ宿に見えてしまうほどに、それは豪華で、絢爛で、もひとつ豪華だった。

 ユウキ肥溜のパーティを脱退してから、こういったホテルは随分ご無沙汰だったので、正直、引くくらい舞い上がっていた。

 俺たちは、今までの旅の疲れを払拭すべく、存分に羽を伸ばした。



 ――そして、後で聞いた話だが、その日、みっちゃんはビト組に帰らなかったという。

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