第10話 父親との約束
俺の実家はジマハリの郊外にポツンとある、普通の一軒家だ。
懐かしい。家の中もあの頃のまま。なにも変わっていない。
柱には俺の身長とユウの身長が、一年ごとに刻み込まれている。
庭には小さな畑があり、その季節季節によって採れる野菜が違ってくる。
俺とユウは、その野菜を食って大きくなった。
何もかもがあの頃のまま。そして――
「はーい、みんな。おかわりもあるからねー。いっぱい食べてねー」
母さんもだ。
何一つとして変わっていない。
シワも増えていなければ、体型も変わっていない。なんなら、若干若返っている気もしなくはない。
おかしくないか? ……いや、おかしくない。あれが母さんだ。
俺はもうとっくに、このことについて、考えるのを止めている。
いまさら、あーだこーだと蒸し返すのはナンセンスである。
そして唯一、変わったことがあるとすれば――
「どうぞ、皆さん。お庭で採れた野菜で作ったスープです。コンソメの他にも、出汁を使っているので、味に奥行きが出て、とても美味しいですよ」
ユウが料理を作れるようになっている、ということだ。
まあたしかに、前々からなんでもできるやつだったけど、料理は苦手だったはずだ。
ものすごく努力をしたのだろう。
……待てよ。
女の料理が上達したときって、その陰には必ず好きな人がいるって、ばっちゃが言ってたな。
我が妹ながら、いっちょ前に色気づきやがって。
嬉しい反面、なんだかすこし悲しくもある。
「……あ、ほんとうだ。これ、とても美味しいです。ユウさん」
「うむうむ、たしかにこれは美味い。……ところでトマトソースはあるか?」
ヴィクトーリアは相変わらずトマトソースが好きらしい。
どうなってるんだろうな、あの子の舌は。舌根が壊死しているのかもしれない。
一度、医師に相談したほうがいいのかもしれない。
このスープにトマトソースって……。
いや、ちょっと待てよ。
アーニャの杖についていたあの青や緑の液体って、調味料だったよな……。
もしかしてあれは、ヴィクトーリアのために拵えた……、いや、考えるのはやめておこう。
なんだか若干、眩暈がしてきた。
「え? と、トマトソースですか……?」
「そうだ。できるだけ、あまいやつがいいんだ」
当然というか、なんというか、ユウも困惑しているようだ。
これはまさに、完成している絵画に、泥をぶちまけるがごとくの愚行。
世が世なら処されて然るべき案件だ。
「ごめんなさい、今切らしているみたいで……、チリソースならあるんですけど……」
「ひぃっ!? ち、チリソースこわい……!」
ヴィクトーリアも、難儀なトラウマを植えられているみたいだ。
すこしばかり同情してしまう。
「それにしても、ビックリしました。まさか、ユウトさんが勇者様で、勇者様だったなんて」
「うん。ごめん。ぶっちゃけ、何言ってるか、よくわかんない」
「あれだ。アーニャが言っているのは、
「あれ? なんだ、ネトリールでも親父のことは知られてたのか」
「ああ、
「そうだったんだ。……て、大丈夫なのか? 冒険者っていや、おまえらの生活を脅かした侵略者だろ。話してて辛くないのか?」
「たしかに、そういった目で冒険者を見ているネトリールの人は、少なからずいたな。けど、わたしのまわりにはほとんどいなかった。なにより、閉鎖されていた空間で生きていたんだ。外の世界に興味を持つのは当たり前だろ?」
好奇心。
あれほどの文明を作り上げた都市だ。
恐怖心うんぬんよりも、地上世界に興味が勝ってしまったのだろう。
それがネトリールがネトリールである所以か……。
「特に、アーニャはそうだったな。毎日のように勇者の酒場に行っては、目を輝かせながら、冒険者たちの冒険譚を聞いていたっけ?」
「そ、そうだっけ?」
「ははは、アーニャは生粋の冒険好きなんだな」
「うう……、おはずかしい限りです……」
「……ふふ、そのたびに、アーニャの父上は怒っていたっけな」
「へえ」
確かにな。
アーニャを見ていればわかる。いかに親に愛されていたかを。
この年齢でここまでできた子供なんて、そうはいないだろう。それだけ、アーニャの親御さんが目をかけてきたということ。
でも、それだけにやはり気がかりなのが、アーニャがここにいるということだ。
おそらく、アーニャの両親はアーニャの旅に対して、賛成していたとは思えない。
そもそも、ネトリールからなんらかの手段を用いることなく、ただ降ってきたということ自体がおかしい。あそこにはちゃんとした下界に降りる手続きも、手段だってある。
……だったら、アーニャを親御さんのところに返すか?
それはない。ないな。ないない。
だって、逸材だもん。こんな規格外な
ここで手放したら、絶対後悔すると思う。
だとしたら、あれだな。極力ネトリールに近づくのは避けたほうが無難だな。
ネトリールは浮遊都市。
したがって決まった場所には在留せず、天候のまま、着の身着のままだ。
たまたまドラニクスを早めに出たのが、功を奏したかもしれない。
あのまま、あの村に滞在していたら、追手が来ていたかもしれないからな。
……いや、それはないか。
あのとき、ネトリールの真下にはエンドドラゴンの巣があった。
待てよ? ってことは、アーニャたちは決死の覚悟で、降りてきたってことか?
それほどまで、行きたいところがあったのだろうか。もしくは、それほどの事をしなければ、都市の外へは出られなかったということか……?
それほどまでに、行動を制限されているお嬢様……もしかして、アーニャは貴族なんかじゃなくて――いや、これは考えすぎだろう。
そもそも、アーニャ自身も、知らないで踏み込んだって言ってたからな。
あの時点で、アーニャが嘘をついていたなんて考えられない。
というか、アーニャが嘘をついていた、なんてこと自体が考えられない。
だって、あのアーニャちゃんだぜ? ありえねーよ。うん、ないない。ないな。
「……ところで、そろそろ話してくれないか。そのパーティで何があったかを」
ヴィクトーリアは残っていたスープを一気に飲み干し、俺に問いかけてきた。
アーニャもいつの間にか、食事の手を止め、俺の顔を見ていた。
ユウはヴィクトーリアの空の器を見ると、ノータイムでその器にスープを注いだ。
「あ、ありがと……」
「いえいえ、まだまだありますから」
ユウは鼻歌まじりにやっと、食卓の席に着いた。
ヴィクトーリアは手に持った器を見て、小さく「お腹いっぱいなんて言えない……」と洩らした。
「さて、ユウもひと段落したし、話すか」
◇
俺は一通り話した。
いままで、どういった風に他のパーティを蹴落として、自分たちが成り上がってきたことを。
あいつに騙されて、エンチャンターになったこと。
そして抜けた際に、どういう仕打ちを受けたのかを。
すべてを三人に話したときには、すでにとっぷりと陽が沈んでおり、夜中になっていた。
「そんなことが……あったのですね……」
もうすでにそれなりの時間で、眠くもなっているのに、アーニャは俺の話を真剣に聞いてくれていた。
ヴィクトーリアは顎に手を当て、『むーん』と唸っている。
母さんは席を外してくれたのか、料理を作り終えると静かに家から出ていった。
ユウはというと、なにやらぶつぶつ言いながら、机の下でもぞもぞしている。
「ちょっと、いいかユウト。みっつほど、聞いておきたい事があるんだが……」
「ああ、俺に答えられることならなんでも」
「ひとつ、なんでおまえはそこまで勇者に固執しているんだ?」
「これは、親父との約束だ」
「! 勇者との約束か」
「ああ、今となっては断片的にしか思い出せないけど、大事なところは覚えている」
「……それは?」
「俺もかなり小さい頃の事だ。『おまえもいずれ勇者になれ、俺に追いつけ。そして、絶対に魔王を倒すんだ。なんとしても。何を犠牲にしても、な』親父はそう言ってた」
「むむ……妙だな。その言い方ではまるで――」
「親父が魔王に負けることをわかっていた。……みたいな物言いだってことだろ?」
「う、うん」
「不思議な事じゃない。現に親父が俺に会いに、この家に帰って来た時――もう魔王と七日七晩の死闘の後だったんだ」
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