第9話 金魚の糞
「あれ? おにいちゃん?」
おにいちゃん。
この世界でただ一人。
俺をそう呼ぶ者がいる。
俺は
そして導き出した答え、それは、ユウが近くにいるのではないか、ということ。
うん。
アーニャのなんだかよくわからない、ふわふわしたオーラのお陰で、上手く頭が働かない。
「おい、ユウト。取り込みのところ悪いが、あそこの女子がおまえのほうを見て、『おにいちゃん』と呼んでいるのだが、これはもう、どう考えても……?」
「おにいちゃん……だよね? あたしだよ、ユウだよ」
「……ワタシハ、オニイチャンデハナイ。ヒト・チガイデス」
「な、なんだと……っ!? 急にユウトの口から電子音が……! ユウト、おまえはもしかして、ロボットなのか……!? 機器人なのか……! ささ、サインをくれないか!?」
ヴィクトーリアの声色が少々うわずっている。
なんというか、興奮しているようにも聞きとれた。
なんだ? ロボット好きなのか? ……て、いまはどうでもいいな。
それよりも、この状況だ。
俺の前方。
アーニャを隔てた向こう側。そこにいるのは、十中八九
なんということだ。
この場面で、一番会いたくなかったやつと、真っ先に出会ってしまうなんて。
ユウは唯一にして、無二の俺の妹だ。
俺が冒険に出る前までかなりのお兄ちゃんっ子で、四六時中ユウは俺にベッタリだった。
文字通りの意味で。
食事中から風呂に入っている時、寝ている時、用を足している時なんかも付いてきていた。
おはようからおやすみまで、暮らしをみつめるユウ。
そのあまりのくっつき具合に俺は『金魚の糞の金魚のほう』なんて揶揄されていた。
なぜ俺のほうが、そう揶揄されていて『糞のほう』であるユウは揶揄されなかったのか、甚だ疑問であったが、たぶん、当時から人目を引くほど、可愛い子だったからだろう。
だから、『糞』なんて言葉が適用されなかった(言ってて悲しくなる)。
だったら、無理にそんな例えなど、使わなければいいのではないか。と考えていたが、俺のあだ名は変わらず『金魚の糞の金魚のほう』だった。
その頃からだろう。
よく、考えることを止めたのは。
もちろん、ユウが俺にそこまでベッタリなのは、当然理由があった。
当時、ジマハリは
ある日、たまたま母さんが出かけていて、たまたまジマハリに戦えるヤツがいなかったとき、たまたま魔物たちの襲撃があった。
……さすがに、そこまで『たまたま』は重ならない。
たぶん魔物たちが、なんらかの手回しをしたからだと思うが、真相はわからない。
そしてその時、俺とユウは最初で最後のケンカをしていた。
今では、そのきっかけは覚えていないから、とても些細な事だったと思う。
ユウはその時、運悪く家を飛び出しており、俺はそのあとに魔物の襲撃について聞いた。
俺はそれを聞くや否や、知らせに来た大人の制止も聞かず、家を飛び出した。
俺は血眼になってユウを探し、ジマハリ中を探し回った。
そこで俺が見たのは、ユウは魔物に襲われているところだった。
俺は必死に魔物の注意をひき、自分が囮になって、なんとかしてユウだけは逃がした。
しかし、当時の俺はまだ子供。
奮闘虚しく、かつ力不足だった俺はその時、死を覚悟した。
――目が覚めたら、俺の目の前には、涙を流して俺を覗き込んでいるユウの姿があった。
俺はなんとか、寸でのところで助けにきてくれた、母さんに救われたらしかった。
ユウは何度も何度も俺に謝った。
俺は『当たり前のことをしただけ』となだめようとしたが、ユウはそれでも泣き止まなかった。
なんとか頭を働かせて、考えついたのは『もう、二度と俺のそばを離れるな』だった。
ユウは泣きながら何度も何度も頷いた。
それからだ。
ユウが『金魚の糞』になったのは。
……でも、よくよく考えたら、あれからもう何年も経ってるんだもんな。
もう、あいつもいい歳だ。
ヴィクトーリアとだいたい同い年くらいだろう。
さすがにもう『金魚の糞』が如く、俺の後をついてくる心配もないだろう。
しかも、その歳の女の子っていったらあれだろ、兄とか弟とか父親とか、身内の男というのはもう、侮蔑の対象としてしか見ていないだろう。
となれば、だ。
尚更、何ら問題はない、ただの感動の兄妹の対面シーンだ。
俺は両手を広げ、ユウを迎え、ユウはそれを気持ち悪がって拒絶する。
これだ。
これが一番いい、再会の仕方だ。
これが――これこそが、なんだか、ふんわりとした優しいかほりに包まれて出した、俺の結論だ。
「こら、ユウト! 長いぞ! 早く離れてやれ、アーニャが困っているだろう」
「あ、いえ、わたしはいいのですが……ユウトさん?」
「それと、早く返事をしてやれ。妹さんが困っているだろう」
「おにい……ちゃん?」
俺は意を決し、アーニャから離れると、バッとわざとらしく両腕を広げてみせた。
眼前にいるのは、ユウ……なのだろうか。
その姿形は全く記憶にないものだった。
声は違うし、顔も違えば、身長も違う。ましてや、胸なんかは当時の面影をフルスイングでホームランするほど、違っていた。これはたぶん、母さんの遺伝だろうな……。
唯一、垂れていた優しげな目元だけは、なんだか昔の名残を感じさせられる。
当時、黒のツインテールだった髪型は、肩までに切り揃えられており、ショートボブになっていた。
手にはバスケットが握られており、中の物に赤いテーブルクロスがかけられていた。
たぶん、近隣の村か街へ、買い出しにでも行っていたのだろう。
「い……いよう! ユウ! 久しぶりだな、おい! 元気にしてたか?」
「おにいちゃ……」
ユウが顔を下げたまま、ずかずかと近づいてくる。
そのせいか、表情を窺い知ることができない。
『今更、何しに帰ってきたの? なんで死んでないの? うちには帰ってこないでよね。友達といるときは兄と名乗らないで。洗濯物は別々にお願い。くさい、近寄らないで。死ね。氏ねじゃなくて、死ね』
などと罵られるのだろうか。
……若干、哀しい感じもしなくはないが、それはそれ、これはこれ。
さすがの俺も美少女とはいえ、身内の罵倒に興奮したりはしない。
そう。
俺は分別のできる男だっ――
「おかえりなさい……! おにいちゃん……!」
広げた両腕にするすると収まるように、
ユウはどうやら俺のことを蔑むどころか、あの頃となんら変わっていないようだった。
というか、前よりも距離が近くなっていた。なってるよね?
気がつくと、ユウは俺の背中に手を回し、そのままギュッと抱きしめてきていた。
鼻腔をくすぐるのは、懐かしい洗剤のかほり。
なんだ、うちはまだあの洗剤使ってるんだ。
俺はなんだか事態が飲み込めず、ただただ鼻をひくひくさせていた。
端から見たら、ドン引きだろうが、俺はいま、この時点で、鼻をひくひくさせること以外の選択肢が頭に浮かばない。
案の定、ヴィクトーリアは……ドン引きしてはいないが、なにやら自分の体に付着した、吐瀉物を見るような眼で俺を見ていた。
アーニャはその位置関係からか、幸いにも俺が鼻をひくひくさせているところは見えておらず、うっすらと涙を浮かべながら、手を叩いて俺と妹との再開を祝福している。
そんなアーニャの顔を見て、俺はハッと我に返った。
「アーニャはもしかして、天使なのか……!?」
ちがうちがう。
危うくまた、よからぬことを口走ってしまいそうになった。
「……じゃない。おい、ユウ。いい加減離れろ。いつまでくっついてんだ」
「……もう、どこにも行かないよね?」
消え入りそうな声。
……顔が確認できないため、どういう心境で言っているのか全く分からない。
ただ俺は――
「いや、ここへは帰ってきたわけじゃない。仲間を集めに来ただけだ。それが終わったら、ここを出る」
正直に言った。
さすがにこの場面でふざけられるほど、俺は無責任なやつじゃない。
俺はユウの肩を掴むと、グイッと俺から引き離した。
ユウの目には大量の涙が、いまかいまかと、零れ落ちそうなほど溜められていた。
「……仲間? ……でも、おにいちゃんを誘惑した、あの男の姿が見えないよ?」
「それだ。聞こう聞こうと思っていたんだが……、ユウト、なぜおまえはあのパーティを離反したんだ? なにか理由があってのこと、なのか? もし、理由があったのなら、是非聞かせてほしい」
……まあ、そうなるわな。
アーニャやヴィクトーリアにとって、俺はあくまで救世主
ユウにとっては……この場合、
そんな俺が、そのパーティを離反して
ジマハリにも着いたし、ここらで話しておくか……。
「なあ、ユウ。今、家に母さんはいるか?」
「いると思うけど……、おにいちゃん、やっぱり帰ってきてくれるの?」
「ああ、予定変更だ。久しぶりに実家に帰るのも悪くない」
「ほんとに? やった」
「……アーニャ」
「は、はい」
「ヴィクトーリア」
「む、なんだ」
「俺の家に招待するよ。茶くらいしか出せないけど。そこで、一旦会議……て、ほどの事でもないけどさ、俺のことについて話してなかったことを話す。……その話を聞いて、それでも俺のパーティに残ってくれるんだったら、そのあとは、今後のことについて話をしたい」
「……はい、わかりました。お邪魔させていただきますね。ヴィッキーも、いいよね?」
「ああ、無論だ。こちらとしては、話を聞けるのは願ったりかなったりだからな」
「よし、じゃあ、ユウ、俺たちを案内してくれ」
「うん。皆さん、こっちです。ついてきてください」
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