第8話 明鏡止水
天空都市ネトリール。
その都市は地上から遥か、一キロも上空にて浮遊していた。
都市の人口は五千人ほど。
地上から隔絶された都市で、人々は自給自足で暮らしていた。
――最近まで。
ネトリールを天空都市たらしめたるは、その都市の持つ、高度な文明だった。
水と空気でクロレラを培養し、人工肉を作る技術。短時間で野菜の成長を促進させる技術。
そして、都市全体を浮遊させる技術。
これが近年まで、ネトリールが下界との関わり合いを断ち、独自の発展を遂げられてきた
しかし、こと現代においては、この限りではなかった。
現在、飛行船や浮遊魔法の発展によって「空を飛ぶ」という行為は、夢物語ではなくなっていたのだ。
侵略者。
地上一キロ上空にある天空都市ネトリールは、自分たちの生活を豊かにする技術に関しては優れていたが、自分たちを脅かす、外的要因に対しての防衛技術はその限りではなかった。
初めて見る下界人。初めて見る魔法。そして、初めて見る冒険者。
勇者の名のもとに行われる、合法的な侵略行為。
かくして、天空都市は大挙して押し寄せた冒険者の前に、なす術なく陥落し、冒険者たちが支配する都市へと変貌を遂げた……わけではなかった。
勇者狩りである。
突如として現れた、その
彗星の如く現れた
華麗な剣さばきと、多種多様な魔法を扱う勇者ユウキ。
剣を持たせれば右に出る者はいない屈強な戦士セバスチャン
殲滅から回復までを一手に担う、稀代の天才魔法使いジョン。
あとは、えーと……ユウト?
「うおい! 雑だな! 一番活躍したの俺だってば!」
「し、仕方ないだろう。エンチャンターは縁の下の力持ち。いわば裏方だ。目立たないのも無理はない」
「それにしても『あとは、えーと……ユウト?』は酷いだろ! せめてなんか、もっとこう……、あるじゃん! ひねり出せるじゃん! 妥協しないでよ! そこはさ!」
「うう……、そ、そんなに怒鳴らくても……」
「ああ……! だ、ダメですよ。ユウトさん。あまりキツく言ってしまっては、ヴィッキーが泣いてしまいます」
「ご、ごめん。そんなつもりはなかったんたんだ。なんというか、ちょっとキツめにツッコんでしまった。今度からは、もっと優しくツッコむから!」
「ほ、ほんとうか……?」
「ほんとほんと」
ヴィクトーリアの顔がぱあっと明るくなった。
……とても、めんどくさい子だ。
飛竜信仰の村『ドラニクス』を出立した
俺のことを恨んでいそうだった国王も、二人が俺のパーティに入るなり、『ああ、そういえばおぬしにはなんも恨みはないんじゃった。失敬失敬湿度計』なんて抜かしてやがった。
正直、ぶん殴ってやりたかったが、アーニャの手前、軽く脛をキックすることで、その場を治めた。
ドラニクスといえば、ジマハリからそう遠くはない。
どうやら俺は、エンドドラゴンに
だが、結果そこでアーニャとヴィクトーリアという強力な仲間も加入し、俺の旅は順風満帆……かに思われた。
「………………」
「ム、なんだ? 何をじーっと、わたしの顔を見ている」
「いや……二人は、幼馴染、だったんだよね?」
「うむ。そうだぞ」
アーニャとヴィクトーリア。
二人は歳こそ違えど、幼馴染であり、親友であり、姉妹のようでもあった。
そしてなんと、この二人は近年までその存在が伝説とされてきた、天空都市ネトリール出身ということもわかった。
ドラニクスにある龍の巣に、空から降ってきた。というウソのような話は本当だったのだ。
さきほどヴィクトーリアの話にも出てきた通り、俺は……俺たちは一度、天空都市に行ったことがある。
観光で。
それは「たまには息抜きにどっかいこーぜ」的なノリで、定期船のチケットを購入したのが始まりだった。
ネトリールについた俺たちは、街に
宿探しのためだ。
当時、ネトリールには宿がなく、冒険者たちは勝手に民家へ上がりこみ、我が物顔で、そこを占拠していたという。
そんなこととは露知らず、意気揚々と酒場へと向かった俺たちは言葉を失った。
そこで見たものは
ルーキーと呼ばれる期待の新人パーティ、熟練の冒険者パーティ、様々なパーティがそこで、我が物顔で傍若無人に振舞っていた。
「な、なんだここは……?」
俺は
「ここは
そう。
俺たちは『冒険者に蹂躙された都市を救う』という大義名分で、ここにいる冒険者たちをぶちのめすことができたのだ。
魔物の仕業にみせかけたり、内部分裂したようにみせかけたり、不慮な事故に遭ったようにみせかけたり、罠に嵌めて濡れ衣を着せたりと、ここではわざわざ、そんな回りくどいことはしなくてよかったのだ。
ただそこにいる冒険者たちを、暴力という名の言語で説き伏せるればいいだけ。
それからは想像に難くないだろう。
気がつくと、天空都市にいた冒険者たちは皆、廃人と化していた。
皆一様に、俺たちの顔を見ると失禁したの後、脱糞し、泡を吹いて倒れた。
それからなぜか、ネトリールの人々にも感謝されたっけ。
なるほど、俺たちは……
それからだったな。
裏で
おそらくギルドから法外な仲介手数料をふんだくり、ネトリールにも無茶な要求をしたのだろう。
それから数日間、俺たちパーティの羽振りがよかったのは言うまでもない。
「……なんて、二人の前で言えるわけないよな」
「何か言いましたか?」
「何か言ったか?」
「ああ、いえ、なんでもないです。今日もいい天気ですね」
「そ、そうです……かね?」
「ふむふむ、ユウトの国では曇りはいい天気なのだな!」
「あ、ああ、そうそう。そういうこと」
「……と、いうわけでわたしたち、ホントに感謝していたのです。故郷を救って頂いた勇者様たち。まさか、そんな方に会えて、さらにパーティを組めるだなんて!」
「いやいや、ただの行きずりだし、そこまで感謝しなくていいよ」
マジで。
「いえ、ユウトさんは間違いなく、わたしたちの勇者です。わたしにできることなら、なんでもさせていただきます。それがわたしの、せめてもの恩返しです。……あ、ですが、準備が必要――」
「え? まじで? いまなんでもって言った?」
「え? は、はい……」
「ふむ……」
待て。
はやまるなユウト。
落ち着くんだユウト。
たとえ同意の上でも、事案になることはある。
ここは冷静に、冷静になるんだ。
しかし何でもいいということは、つまりそういうことだよな。
……なんということだ。
一言。
そのたった一言に、俺の
こんなことがあっていいのか?
俺は史上最強と謳われた、稀代の天才エンチャンター。
本来ならば、俺が敵の心をかき乱さなければいけないのに、なんだこの体たらくは!
しっかりしろユウト!
がんばれユウト!
ここはきっぱり、かっこよく突き返してやるのだ。
『なあに。キミのその笑顔が、なにものにも代え難い最上のお宝だよ』
キモ―イ!
なんでこんなに鳥肌立ってるの? バカなの? 死ぬの? 俺、凍死するの?
……やはり、ここは無駄にカッコつけず、シンプルに言おう。
そして決して取り乱さず、心を乱さずにだ。
明鏡止水、虚心坦懐、晴雲秋月、枯淡虚静。
よし、だいぶ落ち着いてきた。
「じゃあ、よしよししてもらっていいですか?」
??
なんて言った?
俺、なんか言った?
わからない。
なにもわからない。
わかりたくもないのかもしれない。
というか、消えてしまいたいのかもしれない。
だれかが穴を掘ってくれることを、待っているのかもしれない。
だれかが俺を殺してくれることを、待っているのかもしれない。
そもそも、俺が生きていること自体がおかしいのかもしれない。
そうだ。消えればいいのか。
なんだ、簡単じゃないか。
よし、消え――
「よしよし」
いつのまにか
目の前の少女が、母神が如き微笑みで、一切の嫌悪や不快感を見せることなく、ただ俺の頭を『よしよし』してくれていた。
傍らの
俺には目の前の母神しか見えない。
俺の薄汚れていた魂が浄化されているのがわかる。
なるほど、俺はこのために生きていたのかもしれない。
現在地はジマハリのすぐ近く。
パーティの募集をかけるべく、ジマハリに寄ろうとしたが、もういい。
もういいんだ。
このままアムダへ行こう。
そこで、職業を変えて、このままアーニャと一緒に暮ら――
「あれ? おにいちゃん?」
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