第3話 怪力少女アーニャ
――寝ていた……のだろうか……?
今現在、俺は仰向けで横になっている。背後には冷たく湿った石畳の感触。
そして腕は体の前で固定されており、なぜか手枷のようなものがはめられていた。目は……まだ開けられない。開けられないというよりも、開けないほうがいい。それよりも今は情報取集することが最優先だ。
目視こそ出来ないものの、この湿っぽさと手枷、腐った木や錆びた鉄のニオイに、水が滴り落ちる音のみが反響する空間。
牢屋……だな、おそらくは。これまでの冒険で何度か入ってるから感覚でわかる。
それにしても、どうしてこんな所に……?
俺は目を瞑りながら、目が覚める前の出来事を頑張って思い出そうとしていた。
そうだ。
たしかエンドドラゴンに運ばれて、雛に食べられかけて、それから──
──ん?
なんだ? 声が聞こえてくる。
「……きて……くさい……」
微かに聴こえる少女の声。
いや、これは話し声というよりも……語りかけてきているのか、でも誰に?
「起きて……ください……」
どうやら、この声の主は俺に語り掛けてきているようだ。さっきよりも、声の感じが近い。
けど、俺は起きない。
ここでピクリとも動けば、即刻死刑にされたりするからな。実際、それっぽいことも前にあった。だから、俺はこのまま少女がここからいなくなるのを待って――
「あひゃーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!?」
変な笑い声が出る。
何事かと思ったけど、今、俺は脇に手を突っ込まれて、くすぐられているのだ。
「お、起きてください! 起きて!」
「お、起きます! 起きますから! やめて! 死ぬ! 笑い死ぬ! ほんと……あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃー!!」
そこまで言って、少女ははじめてくすぐるのをやめてくれた。
なんだこのテクニシャンは。あまりにも的確に弱い所を責めてくるから、おもわず変な声をあげちゃった。はずかしい。
「あ、起きてくださいましたか?」
そう言われ、俺ははじめて涙で滲む目を開けた。
「申し訳ありません。手荒な事をしてしまって……」
そこには申し訳なさそうな顔で、俺の顔を覗き込んでいる天使……いや、美少女の顔があった。年の頃は十歳から十二歳ほど。紛う事無く少女。
しかし、その顔つきは幼いながらもどこか大人びており、物腰は柔らかそうで、たしかな気品を感じる顔立ちをしていた。
貴族か上流階級といった、名家出身の娘。
それが、俺がその子に抱いた印象だった。ウェーブのかかった綺麗な金の前髪が時折、所在なげに揺れている。
そしてなぜか異常なほどに顔が近い。近すぎる。
俺はその視線から逃げるように、少女の手元へ視線を移動して──固まった。
「え?」
少女の手には俺と同じ枷がかけられていた。
なぜこんな娘が手錠を? と、疑問に思った俺は再び顔を上げるが、依然として少女の顔は、俺の顔の真ん前にあった。
「あ、あの、近いんですけど……顔……」
「は! ……も、申し訳ありません!」
少女はそう謝ると、ぴょんと跳ねるように俺のそばから離れた。
「気持ちよさそうに眠っていらっしゃったので、なるべく静かに起こそうと試みたのですが、なかなか起きてくださらなくて……」
「それで、俺のわき腹をくすぐったの……?」
「は、はい。わたし、わたしも、くすぐられると起きちゃうので……」
少女はそう言うと、頬を赤らめて俯いてしまった。
かわいい。
……じゃなくて、どういう神経してるんだこの子。やっぱりちょっと世間知らずな感じなのかな? と思いながら、辺りを見回してみると──ある事に気が付いた。この子の影になってて今まで気づかなかったけど、もうひとり、ちがう女の子が倒れていた。
目の前にいる子と同じ金髪で、ひと回りほど年上に見える。
顔立ちはあまり似ていないけど、お姉さんか何かだろうか? 俺がそう疑問に思っていると、少女が口を開いた。
「あ、あの子はですね、わたしのおとも……ええと、パーティの戦士さんなのです」
「パーティ? ということは、キミも冒険者なんだ?」
「はい。……あ、いえ、そんなに立派な者ではないのですが、わたしたちは……その、ただ、色々なものが見たくて旅をしておりまして……」
「色々なもの? それはそれは、なんというか……お転婆でいらっしゃる……」
「え? そ、そうですか? そう言われてしまうと、わたし、照れてしまいます……」
冗談ぽく言ったのに、少女はまた頬を赤らめて、顔を伏せてしまった。
かわいい。
「……じゃなくて、色々なところを見たいって事は、〝勇者になろう〟みたいなことは考えてないのかな?」
「い、いえいえ! 滅相もございません! そのような事は全然!」
女の子は手枷をつけたまま、パタパタと手を横に振った。
「そうなんだ。えっと、じゃあ……」
言いかけて止まる。
そういえば、この娘の名前を聞いていなかった。このままだと色々と不便だし、話した感じだと悪い子じゃなさそうだし、自己紹介をしておいたほうが──
「あ! 申し遅れましたが、わたしはアン……ニャと申します!」
年下の子に先に自己紹介されてしまった。なんか恥ずかしい。
それにしても、さぞ良識のある親御さんに育てられたのだろう。こんな血や泥などで薄汚れた恰好の俺を、差別する様子もなく、普通に接してくれている。
まあ、いきなりくすぐってくるのはちょっとおかしいけど……。
「えーっと、アンニャちゃん?」
「あ、いえ、〝アーニャ〟とお呼びください」
「アイエアーニャちゃん?」
何をバカな事を言ってるんだ俺は。こんな女の子に意地悪して楽しいか?
──楽しいです。
「えっと……えっと……アイエアーニャではなくて、その……」
「ごめんごめん、冗談だから。そんなに困らないで」
「冗談……ま! そうだったのですね! ……うふふ。面白い方」
アーニャは口元に手を当て、くすくすと上品に笑ってみせた。
かわいい。
「……じゃなくて、俺は〝ユウト〟だよ」
「〝ユウトダヨ〟様……で、よろしかったですか?」
「いやいや……」
「くすくす……申し訳ございません、ユウト様。冗談、でございます」
アーニャはそう言って口に手を当てて、楽しそうに笑っている。
かわいい。
「……じゃなくて、アーニャちゃんはどうしてこの牢屋に入ってるの? 悪戯したバツとして入れられてる……にしては重すぎるよね」
そう言って、改めてこの檻の中を見渡す。
鉄格子の頑丈そうな檻に、石を削り出して作られた石畳。部屋の隅には粗雑な作りの木の器に、木のスプーン。
片方の器には飲みかけのスープ……なのだろうか。黒い液体燃料のようなドロドロした液体が入っている。
そしてもう片方の器は空っぽ。
この状況から察するに、おそらく、あそこで気絶している女の子は、あのドロドロのスープを飲んで気絶したのだろう。
ひどい話だ。ここでは少女を捕えるだけでなく、こうやって拷問紛いな事もやっているのか。
「わたしたちは、えっと……大変言いにくい事なのですが、この村で崇められている、龍神様のお家に入ってしまったところを、この村の方に見つかってしまって……」
「〝龍神様〟? ……てことは、そこ禁足地だったんだ?」
「はい」
よくある話だ。
村によって、或いは町、国によって神聖な場所として
アーニャちゃんたちは、そこへ何も知らないまま入って罰せられた……という事だろう。まあ、ここまでの罰を与えるところは記憶にはないが──
「もちろん、知らないで足を踏み入れた、わたしたちが悪いのですが、その……まさか、死刑にされるとは思わなくて……」
「しけい……ふうん、そうなんだ。へえー……まさか死刑にねー……て、死刑!?」
「は、はい……」
ウソだろ?
禁足地に入っただけで?
それも少女を監禁し、拷問した後に死刑? どこの僻地なんだよ。未開の村にもほどがある。
「それでも、ヴィッ……えっと、そこにいる戦士さんが、必死に抗議したのですが、村の方は全然聞き入れてくれなくて、それで、今日……」
そこまで言うと、アーニャは口をつぐんで目線を落とした。可哀想に……肩まで震わせている。
それによく見ると、あの戦士の女の子も、手のひらに血のようなものがついていた。おそらく、檻を必死に開けようとしたのだろう。
そんな子に対し、ここの住民はドロドロの……飲めもしないドス黒いスープを面白半分に飲ませたのか。
胸糞悪い。
それに、そんなことがあったのに、アーニャちゃんは俺に優しく接してくれている。自分と同じく捕まった者として――
「ん? ちょっと待てくれ。俺……なんでここに捕まっているんだ?」
「えっと……村人の方が言うには、わたしたちと同じ罪らしいです」
「あれ? てことは……もしかして俺も禁足地に踏み込んでいたのか?」
まじかよ。記憶にないぞ。だって、龍の禁足地だろ?
俺はただ気絶していただけ。気絶している最中に動けるわけはないから──待てよ。〝龍神〟? それって、もしかして――
「エンドドラゴンのことかァーーーーーーーッ!!」
「きゃっ!?」
「ご、ごめん。いきなり大声出して……」
「い、いえ……」
「あの、アーニャちゃんは、ここの龍神様ってのを見たことある?」
「い、いいえ。ただ、その……龍神様のお家はとても高い所にあると……」
「まじかよ……繋がっちゃったよ……」
この村はエンドドラゴンの巣の下にあったんだ。俺はそこで気絶していることろをここの原住民にしょっぴかれ、牢屋に入れられた……と。
何たる不運。
いや、生きているだけ幸運なのか?
ていうか、あの高さから落ちてよく無事だったな、俺。
「それにしても、エンドドラゴンの次は人間か……」
――とにかく、ここで嘆いていても仕方がない。
一刻も早くこの集団サイコパス限界集落から抜け出さなければ、処刑されてしまう。
「あの……? ユウト様?」
「話は後だ。ここから脱出しよう。冒険者って事は、アーニャちゃんも何か職業についてるんだよね?」
「え? しょ、職業……ですか?」
「うん。あそこにいる戦士さんが気絶しているから、もうアーニャちゃんに頼るしかないんだ」
「え? でもユウト様も冒険者では……?」
「確かに冒険者なんだけど……俺、エンチャンターなんだ」
「エンチャンター……ですか?」
「その反応……もしかして、エンチャンターって、知らない?」
「も、申し訳ありません!」
「あー、いや、謝らなくていいよ。……簡単に言うと、〝何か〟を強化して戦う職業の事だね」
「なにか……ですか……」
「そう。物や動物、人……大抵ものは強化することが出来るよ。強化する内容も、力を強くしたり、物の強度を上げたり、その物の持っている長所を強化したり……基本的には何でも屋さんかな。……まあ、自分で戦う事は出来ないんだけど……」
……あれ?
なんだか、自分で説明してて虚しくなってくるのは気のせいだろうか?
「ということは魔法使い……でしょうか?」
「まあ、魔法使いと言われれば、魔法使いに分類される……んじゃないかな」
「あ! わ、わたしも……その……ま、魔法使いがいいです!」
「〝
「制限、ですか?」
「うん、杖がないと魔法が使えなかったり、呪文の詠唱をしないと使えなかったり……」
「その、杖……みたいな物は使うのですけど……」
「〝杖
俺は周囲を見回してみるが、それっぽいものは何もなかった。
「くそ、やっぱ武器の類は没収されてるよな……悪いけど、アーニャちゃん。杖なしで無理やり詠唱してくれるかな?」
「え? あの、でも……」
「大丈夫。俺も本当は杖を使うんだけど、これくらいの強度の牢なら余裕だから。安心して」
「あ、あの……」
「あー……他人に見られるとまずい系の魔法なのかな……?」
そういう魔法もあるにはある。
破壊力がずば抜けてて周りが巻き込まれてしまったり、見ると呪われてしまう魔法。そうなると、アーニャちゃんに頼るのは厳しいか。
じゃあ、どうすれば……偶然ここに入り込んできたネズミや虫なんかを強化するか?
いや、仮にそれが出来たとしても、手懐けられなければ意味がない。あの時強化したトカゲも、たまたま俺を攻撃しなかっただけで、手懐ける事自体は──
「あのっ!!」
「うわ、ビックリした……! え? どうかした? 俺、臭かった?」
「わたし、実はその……魔法がからっきしでして……」
「からっきし? 魔法使いなのに?」
「はい。お恥ずかしい話ですが、そうなんです」
「えっと、じゃあ、魔物とかでたときは、どうしてたの? あそこの戦士さんが助けてくれたの?」
「そ、それはですね……こう、杖でポカンと……」
「ぶ、物理!? それ魔法使いじゃなくない?」
「は、はい、お恥ずかしい限りで……あぅぅ……これじゃもうお嫁にいけません……」
「なんでそうなるかはわからないけど……腕力にモノを言わせるタイプなら、単純な腕力強化で──」
「あ、いえ、強化の必要はないんです」
「は? どういう――」
アーニャはそう微笑むと、おもむろに立ち上がり、鉄格子のところまで歩いていった。そして枷のはめられた小さな手で、鉄棒を掴むと――
ゴガギギギギギギギギギィィィーーーーーーーーッ!!
ものすごい音をあげながら、鉄格子が曲がっていく。
……なんだ?
俺は一体、何を見せつけられているんだ?
目の前の魔法使いを自称する女の子は素の力で、鉄の棒を難なく捻じ曲げている。最近の子供は成長が早いとか言われてるけど、そういうタイプの話じゃないよね。どう見ても。
そうこう考えているうちに、人ひとりが楽に通れるスペースが出来た。アーニャちゃんは俺のほうを振り返ると、頬を赤らめ、恥ずかしそうにつぶやいた。
「い、いかがでしょうか……」
「かわいい」
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