第4話 龍様退治
「あ、あの、ユウト様? どうなさいました……?」
アーニャはそう言うと、心配そうな目で俺を見てきた。その天使と見まごうほどの可愛さに、俺は思わず視線を逸らしてしまう。
だがしかし、よく考えてみろ。
果たして天使は素手で鉄格子を、飴細工のように曲げられるものだろうか。
──曲げられる。たぶん。
「いや、どうなさいましたかって……? うん、あれだね。すごいね」
「す、すごかった……のでしょうか……?」
「うん。すごい。おにいさんもびっくりだ。……でもアーニャちゃん、その鉄の棒を曲げられるのなら、ここを自力で出られるよね? なんでまだ捕まったままなの?」
「知らなかったとはいえ、わたしはこの村の法を犯してしまいました。それがいかなる理由であったとしても罪は罪、罰は罰なのです。〝自分がやったことには、きちんと責任を取らなければならない〟……それが父の教えでした」
「うん、さすがはアーニャちゃんのお父さんだ。たしかに
「それでも、です」
アーニャはきっぱりとそう言い放った。決意は固そうだ。これはなんというか、俺がアレコレ言っても意味はないだろう。
ただ、いまアーニャちゃんの気持ちを聞いたことで、ひとつ、疑問が生じてしまった。それは――
「えっとさ、アーニャちゃん? じゃあ、なんでそこの戦士さんは気絶してるのかな? アーニャちゃんたちはここから出ようとはしてないんだよね? だったらその手の傷は、ここから出ようとしてついた傷じゃないってことになるけど……」
「傷……?」
俺が指摘すると、アーニャはわかりやすく首を傾げてみせた。
「あ、もしかして、ヴィ……彼女の手についてる赤い液体の事ですか?」
「赤い……液体……?」
アーニャちゃんの言い方からすると、どうやら血……ではなさそうだ。
「えっと、あれは血ではなくて……んー……んー……なんと説明したら……」
「説明するの、難しいならべつに強制はしないよ?」
「あ、あの、スープ! です!」
「は?」
「ヴィ……彼女はですね、いただいたスープが口に合わなかったからと、村の方にトマトソースを要求したのです」
「す、スープにトマトソース?」
「えっと、地方によってはケチャップとも呼ばれるものです」
「ああ、うん、わかってるよ。それについては何も引っかかってないけど……」
彼女、一体どういう味覚をしてるんだ。……というツッコミは今は置いといて、話がなんだか妙な方向へ向かっている気が──
「はい。ヴィクトーリアはスープを持ち、鼻息を荒くしながら器を掲げ、『アーニャ、私は今からこの味気のないスープを、トマト風味のスープにするんだ! 美味しいぞ! 絶対美味しいぞ!』と息巻いていました」
今まで散々隠してたみたいだったけど、今度はハッキリとあの女戦士の名前を言っちゃったな、アーニャちゃん……。
「わたしはせっかくいただいた物なので、勝手に味付けを変えてしまうのは失礼に当たるのでは? と、止めたのですが、ヴィクトーリアは次の瞬間、支給されたソースをブチュウゥゥーっと、勢いよくスープの中に投入したのです。……わたし、それですこし気分が悪くなってしまって……」
「まあ、目の前でそれやられたら確かに嫌だよね……」
「それでわたし、持っていた器を置いて、ヴィクトーリアから少し目を離していたら、突然ヴィクトーリアのほうから『ブフホォッ!?』と、ものすごいむせるような声が聞こえてきたのです。何事かと思い、急いでヴィクトーリアのほうを見たのですが、ヴィクトーリアはすでに気を失っていて……まず、毒の可能性も考えたのですが、わたしも少しスープを飲んでいたので、毒ではないなと……それで、思い切ってその……な、舐めて、みたのです……」
アーニャはそう言うと恥ずかしそうに顔を赤らめ、目を伏せた。
「そ、それは、どのように舐めたんですか……ッ!?」
「……え?」
「──は!?」
やってしまった。
なんて質問してるんだ、俺は。そりゃこんな感じで目を丸くして、訊き返されるよ。でも幸い、ものすごい早口だったから聞き取れなかったようだ。ここは変態の汚名を被るより、何もなかったことにしておこう。
「い、いや、ごめんね。持病の発作で時々こうなるんだ。それで、結局その時渡されたトマトソース……らしきものの正体はわかったの? その……な、舐めて……みたんだよね……?」
「い、いかがなさいました? ユウト様? とても息苦しそうですが……大丈夫ですか?」
「は、はい! 至って健康体ですので、続きをどうぞ!」
「は、はあ……その、じつはですね。すこし舌先がピリピリしたので、もしやと思い、あとから見回りに来た村の方が尋ねたのです。そうすると、その村の方は、この村には〝トマト〟というものは存在しないと仰っていました。なので、色が似てるから……という理由で、〝チリソース〟を渡されたそうなのです」
「ちりそーす」
「はい。そして、それと気づかずに、大の甘党だったヴィクトーリアはチリソースが大量に入った、チリソーススープを口にしてしまい悶絶して……」
「気絶してしまった、と」
「みたいです……」
「それはなんというか……」
間抜けすぎる。その一言に尽きる。というか、あのヴィクトーリアさん、バカだったんだな。
「え? じゃあ、その
「あ、それはわたしのものです。お豆のスープ、ほんのすこし味は淡白でしたが、健康的で美味しくいただけました」
「あ、そうなんだ……」
俺は今もなお、苦悶の表情を浮かべながら気絶しているヴィクトーリアさんの顔を見た。なんというか、よくよく見たらマヌけそうな顔をしてなくもない。
「……でもさ、俺は牢獄から出ていいの? アーニャちゃんの信念に反しない?」
「はい。これはあくまでわたしの信念です。これは決して他人に強要するものではありません。ですから、ヴィクトーリアにも出てほしかったのですが……わたしが出て行かないのなら、自分も出て行かない、と……」
アーニャの顔に影が差す。
やはりというかこの二人、俺には言えない事情を抱えていそうだ。
でもまあ、そんなものは誰しも持っているものだからこれ以上、俺のほうから何か訊くのは無粋だろう。
俺は口を閉じると、アーニャちゃんになんて声をかけようか考えた。
「そ、それに――」
俺が気を使っていたのがバレたのか、アーニャは顔を上げると無理に笑顔を作って笑ってくれた。
「それに、ユウト様もなにやら訳ありのご様子。〝目の前に困っておられる方がいたら手を差し伸べるべし!〟 ……というのも、わたしの父の教えですので!」
「アーニャちゃん……」
なんて健気でいい子なんだ。
「……あ、それともわたし、もしかして余計なお世話……をしてしまったのでしょうか?」
「いやいや助かってるよ、すごく。でも、やっぱり俺だけ出るのは気が引けるな……て、思ってね」
「お気になさらないでください。わたしたちなら平気です。なんとかヴィクトーリアだけでも減刑していただけるよう、わたし、頼んでみます!」
アーニャちゃんはそう言うと、気丈に笑った。こんなときでも他人の心配か。つくづくお人好しなんだな、アーニャちゃんは。
さて、俺はこんな子を見捨てて、先へ行けるのか?
こんな子を見捨てて、おめおめと故郷へ帰れるのか?
──無理だ。
関わってしまった以上、アーニャちゃんを見殺しにはできない。
そもそもこの法律自体がおかしい。なんなんだ、踏み入れただけで死刑って。どんな理屈だよ。
でも、だったらどうする? 無理やり連れていくか?
ダメだ。それをすると、この子の気持ちを、信念を踏みにじってしまうことになる。それに、こんな怪力少女を力ずくで連れだすなんてこと、俺にはできない。命がいくらあっても足りない。……だったら、ここはやっぱり
「──アーニャちゃん。ちょっとでいいから、俺と一緒に来てくれないか?」
「え? でも……」
「頼む。俺にはアーニャちゃんの力が必要なんだ」
「ですが……」
「うーん……ねえ、そもそもさ、アーニャちゃんたちが入ったって言う禁足地って、つまりは龍神様の、この村で一番偉い神様のお家だったんだよね?」
「はい、そう聞いています」
「だったらさ、まずは龍神様に会いに行かない?」
「ええ!? ど、どういう……?」
「直接龍神様に会って謝りに行くんだよ。死刑云々はこの際抜きにしてさ、悪いことをしたらまず直接本人に……というか、本龍に謝りに行かないと。このまま牢屋の中で待っていたとしても、時間が来れば結局殺されてしまう。そうなってしまえば、もう永遠に龍神様に謝ることが出来なくなっちゃうよね。それってアーニャちゃん的にはどうなの?」
「わたしは……出来れば直接会って謝りたいです」
「だよね。……そう、まずは誠意だ。村人といっても、結局は部外者。こういうのはまず、当人同士で話し合わないとね。それに、必死にこちらの気持ちを伝えれば、もしかしたら減刑してくれるかもしれないしね」
「そ、そう……ですよね。たしかにこのまま……こちらから何の謝罪もないまま、死刑を執行されても、お互いのわだかまりは解消されないですよね……」
「そう。だから、まずは会いに行こうよ」
……というのはもちろん方便である。
この村で龍神様と呼ばれ、崇め奉られているのは間違いなく俺を咥えていたあのエンドドラゴン。
アーニャちゃんには悪いけど、このまま牢屋を出たら、アーニャちゃんにはまず龍神様を殺す役目を担ってもらう。そして村を混乱させ、その間に荷物とそこのヴィクトーリアを回収して、村を出る。
アーニャちゃんを騙しているようで気乗りはいないが、どのみちここで村人の手にかかって死ぬよりは百万倍はマシだ。
「わ、わかりました。では、わたしもお供させていただいてもよろしいでしょうか」
「うん、もちろ──」
──バキィ!
アーニャちゃんはそう言うと、軽く両手をひねって手枷を破壊した。
「ひゅ……ひゅーひゅー! さっすがアーニャちゃん!」
「や、やめてください、ユウト様……照れてしまいますわ」
「……あ、俺のも破壊してくれる?」
「はい、もちろんです」
俺がおずおずと両手をつき出すと、アーニャちゃんは何のためらいもなく、ズバン! と、手刀で手枷を両断してみせた。
「すんげぇー……」
情けない声を洩らす。
──ということは、だ。
この怪力は彼女の地力だということ。……魔物や妖怪の類にも見えないし、一体なんなんだ、この少女は。本当に人間なのだろうか。
もしかすると、
それに、いま警戒するのはアーニャちゃんではなく、そこで寝ているヴィクトーリアさんだ。このアーニャちゃんを差し置いて、〝戦士〟を名乗っているという事は、つまりアーニャちゃんよりも力が強いという事。……想像もつかないな。
まったく、なんて二人組だ。
あの勇者のパーティで一通りの、実力派パーティは潰してきたと思ったけど、まだこんなポテンシャルを秘めたパーティが残ってたとは──
「──それではいかがいたしましょう、ユウト様」
「そ、そうだな……、とりあえず俺についてきてくれ。まずは牢屋を出ないと」
「あ、あの、ヴィッ……ヴィクトーリアは?」
「あの子はここに置いていく。そっちのほうが都合がいい」
「え? でも……」
「大丈夫。あとできちんと戻るさ」
「し、しかし、ヴィッキーがこのまま起きてしまったら……」
〝ヴィッキー〟? ……ああ、たぶんあだ名だろうな。
でも、そうか。
突然、アーニャちゃんがいなくなったとすれば、ヴィクトーリアさんはアーニャちゃんを探す事になるだろう。その際、ふとしたことが原因でいざこざが起こり、ここの村人をねじ切って殺してしまう恐れがある。そうなってしまうと、話が余計にややこしくなってしまうな。
アーニャちゃんが危惧しているのはそれだろう。
「そうだね。書置きくらいは残しておこう。……でも、困ったな。紙やペンなんて気の利いたもの、持ってないぞ」
「あ、それなら、問題ないです」
「え? 問題ないって……?」
アーニャちゃんは突然、ブス、ブス、ブス、とテンポよく石畳に指で穴を開けはじめた。
「えー……と、『す・こ・し、お・散・歩・に・行・って・き・ま・す。そ・の・う・ち、帰・って・く・る・の・で・心・配・し・な・い・で・ね』……と、どうでしょうか?」
「結構なお手前で」
満面の笑みでこちらを見てくるアーニャに対し、俺はひきつった笑いしか返せなかった。
「さあ、参りましょうか。ユウト様」
「はい。お供しますわ、アーニャさん」
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