第13話 男の娘の策動で混乱する先生

「何が起こっているのか、わかりません」

 俺は職員室でうなだれていた。2時間目の後の長い休み時間。

 今、クラスで起こっていることが理解できない。

 尾木は苦笑いしながら、俺を見ていた。

「どんな風なの?」

「今まで女子は結束していたように思います」

「でしょうね」


 女子は小夜子のグループを中心に安定していたが、今はボロボロにほころんでいる。とにかくどの女子も安定していない。


「今はバラバラになりました」

「誰かがけんかでもしているの?」

「違います。でも明らかに心理的に安定していた女子が、バラバラの状況です。お互いを気にし合い、お互いにけん制し合い、お互いに遠慮している」


 小夜子の取り巻きだけではない。


「ああ、でも、6年生の女子ってソレが普通なんだよ?」

「え、でも今までのうちのクラスは……」


 俺は覚めたコーヒーを口に含んだ。


「上原がいたからねぇ。女の子の緩衝地帯にして、女の子限定倫理化マシーン。あの子のおかげで女子は対立なんかしていられなかった。醜い女の自分を彼に見せたくなかったの。そんなことをすれば“上原の理想の女子”から外れてしまう」

「今だって、上原はいますけど」

「男、のね。あの子達の理想の男。彼女たちのコミュニティから外れている」

「いや、だってあいつ……俺に」


 思い出す。苦しいわ。さすがに男にキスされたことがないから苦しい。


「ああ、キスをされたんだったわね。お疲れ様」

「うう」

「でも良かったわ。行った価値があったじゃない」

「ありませんよ。俺、あれ以来、あいつの目を見づらいんですよ。冗談じゃ」

「良かったわよ」


 冗談じゃない――そう言おうとした口を尾木先生が言葉でふさいだ。


「良かったに決まっているじゃない。まず一つ。彼が何かをたくらんでいることが分かった。ただ単に女装をやめたのなら、あなたにキスをするはずがない。彼は相変わらず彼女で、何か理由があって変わった、ということが分かった。二つ目。あなたのことを彼が好いたこと」

「勘違いですけど」

「勘違いでも何でもいいのよ。あなたの存在がそこにあることそれでいいの。それで上原は制御できる。上手くいくように利用しきりなさい」


 子供の恋心を利用するのはさすがに咎める。


「ちょ、それは」

「あのね、奇麗事で教育者を気取らないでくれる?ありとあらゆる手段を用いて、上原はあなたの方を向けておく。あなたの言うことを聞く状況にしておく。男だからセクハラで問われることは少なそうだし」


 考え方は古いけれど、一面の事実ではある。


「嫌だ、という言葉は」

「認めないっていってんじゃないの。あのね。しょうがないじゃない。彼はあなたが好き。男として大好き。ソレを尊重していい方向に導いてあげることに教育者として不満が?」

「ありません。でも」


 俺は食い下がろうとした。


「で、建前だけ並べてあげることも出来るけど、ここのキモはその上原がこの事件を引き起こしているということ。彼を抑えておけるあなたの存在は貴重。貴重すぎる。あなたが上原をコントロールできればクラスは何とか卒業まで持っていける」


「えっと、一体感とか」

「ああ、馬鹿ね。甘いわね。どんなクラスだって問題抱えて卒業すんの。私たちの仕事は卒業するまで子どもたちが満足しながら学校に通わせること。通わせないと教育なんて出来ないから」


「でも先生、俺、あの6年生のときのクラスにあこがれて教師になったんすよ?」

「ああ、あのクラスねぇ。ひどかったわねぇ」


「ひどい?」


 俺はひどいといわれて驚いた。完璧なクラスだったと思う。


「あんたは知らないと思うけれど、あのクラスの子供同士がセックスして親同士が鬼のような形相で校長室で鉢合わせ。“お前のところの餓鬼はどういう躾を”“ソレはこっちの台詞だ一人息子をたぶらかすな”みたいな展開を」

「うそっ」

「いや、ほんとほんと。まいったわー」

「でも、みんな卒業泣いてたですよ」

「ああ、当たり前じゃない。その二人は、私がきつく叱って、尚且つ二人の気持ちを認めたような顔をして、『それでもキミら二人は結婚するのよ。だから静かにキミらの愛を育てなさい。10年後の結婚式まで。先生を呼びなさいね、結婚式』的な話までして口止めしたから。その二人は別の人同士で結婚してたけど。まぁそんなことがたくさんあったので。そういやあんただってリコーダー事件……」


 藪をつついてもいないのに蛇が出る。


「ひぃぃぃ。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「あはは、まぁ、そういう事件を全部飲み込んで対応すると感動するクラスに」

「うぅ」


 人生はあけてはならないパンドラの箱がある。あけないでほしい。


「で、男子の様子はどうなの?」

「男子は急激に大人になった感じがします。どうも上原と氷川がえらく仲良くなったようで、いままでひねていた男子が急に明るく吹っ切れた感じに」

「ん、少し怖いけれど。で、ブルーンは?無断欠席じゃなかったっけ」

「一応、風邪ってことで連絡がついたのですけど、いまいち日本語が通じにくい両親なもので」

「そうね。一度家庭訪問行きなさい」

「必要ですか?」

「わかんないけれど、保険的な意味合いで。何かあったとしたら聞いておかないと彼潜っちゃうかもしれないし」

「そうですね。わかりました」

「じゃ、行ってらっしゃい。部活は私が手を打ってあげるから」

「ありがとうございます」

「そうね、今度はキスをされないように」

「されませんっ」

「あらムキになって、ファーストキスだったの?」


 違うやい……

 

 ★


 ブルーンが住む市営団地は寂れている。廃れている。今時5階建ての建物にエレベーター一つついていない。そして最上階のフロアには、基本的に行き場のない外国人の家族が住むことになる。


 ブルーンの家もその5階にあった。


 担任として訪問する。4月の家庭訪問以来だ。

 あまりいきたくはない。いつも同じように感じて、同じように扱っている子ども達に、明確な格差があることを感じてしまうからだ。


 ブルーンの家は母子家庭だ。母親は子ども達をかわいがってはいるが、いかんせん夜の商売だ。必然、家庭は長兄のブルーンの手にゆだねられることが多い。


 彼が崩れることはつまり…そう考えて、俺は体をぶるっとさせた。


 ようやく階段を上りきり、ずいぶん古い呼び鈴を押した。


 かす。


 かすかすかす。


 壊れている。

 ごんごんごん。


「おーいブルーン!」


 直接呼ぶしかなかった。ほどなくしてガチャリ、とドアが開く。


「アァ、センセェ、いらっしゃいませ」


 そう声をかけられてぎょっとした。彼の頬は痩けてげっそりとしている。今の時間は彼の弟は眠っているのだろう。何の音もしなかった。


「あ、ブルーン元気か?」


 とても元気に見えないブルーンにそう返した。


「ご心配をおかけスルマシテ」


 ブルーンはぺこりと頭を下げた。変な日本語は彼の個性と相まってクラスでも受け入れられている。

 ブルーンは勉強家で、4年生の時に日本にきてから一年と少しで日本語はほぼ完璧になっていた。性格も穏やかでとけ込もうと人に合わせることはあるが、攻撃的なところはない。


「ああ、いや、かぜか?」

「いえ、チガウノデス…。懺悔していたのデス」

 神に言い逃れのできないことをしてしまった、といってブルーンは首を振った。

「なんか、あったのか?」

「いえ…センセェに話しても詮無きことデス」

「家庭の問題か?」

「いえ、家庭は大丈夫デス。あることについてナヤンデイルノデス」


 家庭に問題なくて、ほかのことで悩んでる。

 オイオイ、それはもうすなわち俺の仕事じゃないか。なにを言っているのか。


「あのな。家庭じゃないとしたら学校だろ?じゃぁ、俺の分野だ。何の話か俺に話してみろよ」

「おぅぅ。ありがとうゴザイマス。シカシ、このことは黙っておいてほしいのデスガ…」

「まかせておけ」


 俺は胸をどんっとたたいた。

 堂々と。

 話さえ聞けば何とかなると、俺は思っていた。

 そして愕然とする。


「上原サンにレイプされたのデス」


「え?」


「上原サンにレイプされた、といったのデス」


 言葉が入らない。

 なんと言った?

 上原に、レイプ?


「い、い、いつ」

「一昨日デェス」


 一昨日。

 一昨日にこいつはレイプされた。上原に。


「ど、どこで?」

「学校の体育倉庫デェス」

 学校。うわぁ……アウトです、完全にアウトです。いったい俺のクラスになにが起こっている。

「ま、まて、ブルーン。お前の言葉を総合すると、一昨日、お前は学校の体育倉庫で上原にレイプされた」

「ハイ、イワナイデクダサイヨ、誰にも。誰かにばれたらボクはこの町で生きていけなくなるデス」


 詳しく聞くべきか、いや論は待つまい。聞くべきだ。


「ほかに誰がいた」

「比賀デス。あのデブ、ボクを売ったのデェス」


 レイプされたという発言よりも、今の発言の方が彼の怒りを感じるのは気のせいか。

 しかしそれよりもなによりも全体が見えない。見えなさすぎる。


「ちょ、まて。お前たちになにがあった?上原とお前たちとの間になにが――」

「よくわかりまセンが、堀田君がふざけて比賀を使っていたずらしたということがアリマシタ。そのときにボクも同席していたのデス。そのことを上原サンになじられました…」


 そこか。

 そこがキモだ。

 しかし、どうしたらいいか――。


「クリスチャンとして、神に背きました。その罰を自分に科しているところデェス。後一日したら、出席しますからもう少し待ってクダサイ」


 寂しげに笑うブルーン。

 ブルーンがなにを持って罰するというのか、わからないが、俺は悲しかった。

 彼の傷を防げなかったのは俺のせいだ。


「すまん」


 俺は頭を下げた。下げなくてはいられなかった。


「いいデス。センセェがいうことではありまセン。あくまでも神と私の問題なのデェス。それよりも人に言うのはやめてクダサイ。オネガイシマス」

「わかった」


 俺は彼の要求を飲み込むしかなかった。

 挨拶をして、再び階段を下りる。何という無力。なんという間抜け。

 俺は俺を呪った。

 だが。

 俺は唇をかんだ。

 まだ間に合うはずだ。

 まだ、間に合わせられるはずだ。

 勝負してやる。


 まってろ、天才児。なにをお前は考えているんだ。

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