第6話 若い担任はドキドキしている

「不思議な光景でしたね」


 俺は学年主任の尾木と話しながら苦笑いをした。


「まぁねぇ、榊原先生はああいう子うけもつのはじめてでしょ?」

「5年目の自分には結構驚きがありますね」

「でしょでしょ?」


 学年主任の尾木は50台を越えているはずだが、いまだ独身で出産暦もないことから年齢不詳で30台と言えば30台に見えないこともない。よく笑う。


「尾木先生はあの子を昨年受け持ってましたけれど、男装してきたことあります?」

「ないない。だから息飲んだよ。すごくかっこよくない?」

「というか、自分は驚きましたね。ああ、ほんとにコイツ男だわって思いましたよ。んで、なんでだと思います?」


 ふっと、尾木は目を細めた。


「わからないわ」


 語調が変わって、彼女は続けた。


「でも気をつけたほうがいいわね」


 すこし冷たい空気が流れる。


「ん、そうですか?」

「あのね、この6年生の夏をなめちゃいけないわよ?ありえないくらい変わるから」


 俺は書類に目を落とした。


 卒業学年を受け持つのは初めてだ。この学年自体は昨年も持っているから、人間関係は把握しているつもりだったが、確かに少し変わりそうだ。


「少し?なにいってんの?」


 尾木が少し怒り気味に言った。


「は?」

「あのね、榊原君、クラスの勢力図一気に変わったのわからない?」

「まさか、転校してきたわけでもないのに、そんな一気に……」


 尾木は俺の言葉をさえぎった。


「甘すぎる」

「んなこといわれても」


 俺は精一杯自分をふるいおこしていった。放課後の雑談程度だと思っていたのだが、思いもよらず詰められている。


「あのね、まずは上原についての認識の甘さ。あの子は接しててわからない?あの子の危うさ。生粋の女の子ではないということに対するあの子自身の認識」


「まぁ、あいつは男ですけど」


「精神的なものよ。何度か話していればわかるでしょう。死ぬほど女でありたいと願っていることが」

「ん、そんなにですか?」


「未熟者」


 そう言われたら俺はうなだれるしかない。


「そのあの子が男の格好をすることを選ぶわけがない」

「そうでしょうか」

「そう。なのに男の格好をした。何かがあって、何か考えたに違いない。あの天才児に男装を覚悟させるほどの何かが。日本でも指折りの天才児よ?想像つく?」


「つきません、たしかに、です」


 少しゾッとした。たしかにあの上原が何の考えもなしに男装なぞするわけがない。たかが子ども、と考えるにはあまりにも能力がありすぎる。


「でしょ?次に甘いのはクラスの人間関係の把握」

「はい」


 俺に言い返すことなどできない。


「ただでさえ女子の注目の的であった上原が、彼女たちの理想の男となって現れた。この思春期の入り口に立ったあの子達の前に。女は変わる。そして男たちも上原の影響を必ず受ける。いえ、実際受けているでしょう?」


 俺は男子の顔を思い浮かべた。


「あ、今日は比賀が後ろについてました」

「だーかーらー把握が遅いって。比賀は最近いつも上原の近くにいるわよ。隣のクラスの私でさえわかるのだから、あなたが把握しないでどうするのよ」

「……はい」


 ひどく叱られている。だが、甘いといわれても仕方ない。


「わからないことはたくさんある。でもね、今、あなたのクラスは超ピンチ。そこは理解しておかなくちゃいけないと思う。下手するとクラス崩壊するかも、ね」


 言うだけ言って最後はニヤッと笑ってみせる尾木。


「ん、かもしれません……」

「だとしたらまずやることは?」

「っと……直球勝負でいいですか」


 変化球とか投げられるほど経験はない。勝負するしかない。


「やってごらんなさいな。失敗したときはいつでも尻拭いをしてあげる。やらない後悔は榊原君の教師生命を殺すけど、やった後悔はあなたの経験となって次のときに生かされるからやってごらん」


 尾木はぽんっと俺の肩を叩いた。


「えー?後悔一択ですか?」

「当たり前よ。この物語の最後はたぶん悲劇。あの子の、もしくはクラスの誰かの。ひょっとしたらクラスの。それくらいの意識はもってやりなさい」


 妙に真剣な目で尾木は俺を覗き込むように言った。


「はい、じゃ、早速後悔してきます」

「ってらっさい~教え子よ。ポイントは愛を持って接すること。あなたの教師愛をあの子にぶつけてやりなさいねん」


 こちらを向きながらぴらぴら手をふる尾木先生。15年たつが、相変わらずこの人は俺の担任らしい。

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