第18話 フェアリナ救出作戦④

 耳をつんざくような女たちの悲鳴が、緑に囲まれた山の、この静けさを打ち払うかのごとく響き渡った。


 そして訪れる恐ろしいまでの静寂。木々のざわめきや鳥の囀りさえも、最早カナデの耳には届かない。


 いくつもの後悔とともに、カナデは振り下ろしたその黒いナイフの切っ先を見つめ続ける。


 はたしてこれで良かったのか。カナデの選択は間違っていなかったのか。答えを見いだせないまま、カナデは濃霧のような思考の迷路に入り込んでしまう。


「どうして……の?」


 庇うように頭を抱えたまま、銀髪の女が、地面に伏し震えている。それでも銀色の瞳だけは、不思議そうにカナデを見上げていた。


 ――わからない。


 憎い。許せない。殺したい。負の感情だけが、さっきまでのカナデに渦巻いていたはずだ。


 ――それなのに。


 カナデの良心がそうさせたのか。彼女たちを信じてみたくなったのか。結局、カナデは彼女たちを殺すことが出来なかった。


「わからない。でも振り下ろすその瞬間、確かにお前たちの心が折れ、生きることを欲したと思ったからだ」


 彼女たちの涙を見た。彼女たちの悲鳴を聞いた。そして生きたいと願う想いが、カナデの心を突き刺した。だから、カナデは彼女たちを信じようと思ったのだ。


「折れる?」


 赤髪のチナがムクッと起き上がる。


「私たちの心が?」


 黒髪眼鏡のユナが、クスクスと笑い始める。


「甘い、甘い、甘い。だから、ラファエリアは終わるのよ。生徒たちを守れなかった最低最悪の学校として、永遠に淪落りんらくの淵に沈むの」


 銀髪の女は、地面に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。そして三人は固まるように集まり、カナデに対し魔法のステッキを構えた。


「甘い? 力を持たない人間が、よくも世迷い言を言えたな」


 まだ戦おうというのか、あれだけの力の差を見せつけられて。まだ起き上がろうというのか、死の恐怖をその身に刻んだはずなのに。


「そうよ。あなたは甘過ぎるわ。確かに恐ろしく強いかもしれないけれど……」


 カナデに背を向けないように後退りしながら、女はゆっくりと建物へと近づいていく。


ははたしてどうかしら?」


 銀色の髪の女がニヤリと笑った。


 ――しまった。


 建物にはじゃないか。


 ――油断。


 守れると思い込んでいた強さに、カナデは足元を掬われた。いや、強さ故の自惚れが、相手に攻撃の隙を与えてしまったのだ。そう、彼女たちは、その身を使い、ずっと魔法の詠唱をしていたのだから。


「目的は達せられた。さあ、我が身よ終われ、散れ、破壊を尽くせ。魔力融解マナティックフュージョン!!」


 白い光に包まれていく3人。そしてその光は1つの丸い塊となり、やがては全魔力の解放と共に破裂した。激しい爆発音とともに、真っ白になる視界。破裂音で耳がキーンとなり、何も聞こえなくなる。


 ――まさか。


 


 血の気が引く。


 ――なんで。


 息が詰まる。


 ――どうして。


 心臓が止まりそうになる。


 白い光に包まれながら、ボロボロに破壊された建物が煙や炎を上げている。廃墟と化した瓦礫の山の中で、残った魔力の結晶が、ホタル火のように空中を漂っている。


 3人の姿は見えない。魔力を解き放ち、その命を代償として自爆したのだろう。目の前に広がる瓦礫と焼け野原に、カナデの胸は急激に苦しくなった。


 ――変わっていない。


 去来するのは空しさ、悲しみ、切なさ。そして狂おしいまでの罪悪感が、カナデの心をズタズタに引き裂いた。


 ――何も変わっていないじゃないか。


 そう、カナデはあの日から、何1つ成長していなかった。


「何が『大切な人を、大切な時に守る力が欲しいです』だ。何が大切な人を守りたいだ。たった一人も守れなくて、何が強さだ……」


 守れなかった。


「そんな強さなんて、何の役にも立たないじゃないか?!」


 また守れなかった。


「だったら、強さなんて、いらない。大切な人を失うくらいなら、もう強さなんて必要ない」


 また、大切な人を失った。この世界で見つけた唯一の光を、そして希望を、今カナデは失ったのだ。


「ごめん、フェアリナ……僕が……」


 ――助けられなかった。


 カナデはその場で膝をつき、ガックリと項垂れたのだった。



 ――ガタッ。


 カナデの側で、瓦礫の崩れる音がした。風の影響かとカナデは顔を上げ、瓦礫の崩れた山を見る。


 ――!?


 薄ピンク色の髪の毛が、涼しげな風に揺れている。その主のルビーのように赤い瞳とカナデの視線が合う。


「フェア……リナ……?」


 ――ああ!?


「あれ……カナデ君? 私、見てないよ、見てない」


 彼女は焦りながらも、何故か頬を赤らめている。


 ――


 生きてくれていた。カナデは思わず胸が熱くなる。


「見てないって何をだ……ってどうして生きてるんだ?」


「えっ? 私は生きてるよ? ん? そういえば、何かあったの?」


 フェアリナは、不思議そうに周囲を見回している。


「何かあったのって、さっきまですごい音とか爆発と色々してなかったか? しかも、周囲はこの有様だしさ」


 そう、実際にあの襲撃者3人は、この場所で自爆魔法を使用した。そうしてカナデを囲んでいる風景は、あっという間に焼け野原である。


「えっとー、私わかんない。だって、ずっと一生懸命だったから。あー、でも、1つだけ思い出したことがあるよ……エヘッ」


「何をだ?」


 カナデが見ていない光景を彼女は見ているのかもしれない。もしそうであるならば、彼女は何かあの3人の情報を知っている可能性がある。


「何をって、やだー、カナデ君、照れるよ」


「はい……?」


「見てはないの。なの」


 相変わらずフェアリナは顔を真っ赤に染める。見たわけではないのか。では一体何が聞こえたのだろう。カナデは彼女の言葉を待った。


「だって、カナデ君が私のことを、って、エヘッ」


 ――


「言ったな、確かに。いや、言ってしまったというべきか。好きとか嫌いとかではなく、必要な人だって意味で、大切だって。守らないといけない人だったのにって……ああ、何言ってんだ、僕は……」


 自分でそう言いながらも、自滅していることに気づくカナデ。この世界で生きていく上では彼女は必要な存在だ。カナデはこの異世界のことをまだほとんど知らないのだから。


 ――でも、それだけのことなのだろうか?


 一度全てを失ったカナデには、想いも言葉も押し殺すことしか出来ない。それが現実であるし、今のカナデを作り上げているものだ。カナデはそれ以上、深く考えないことにした。


「それで、お前はそこで何をしているんだ?」


 彼女が無事だとわかると、必然的にカナデに浮かぶ疑問はそれである。一体彼女はどうやってこの爆発から逃れ、そして今まで一体何をしていたのか。


「セナちゃんとチナちゃん、ユナちゃんが私を縛ってくれてたの。女の子同士だから、大丈夫って」


 ――なるほど。


 やはりフェアリナは自分から喜んで縛られていたのか。そして彼女はあの3人が敵だったことにも未だ気づいていない様子だ。


「それでね、3人が急にいなくなっちゃったから、さっきまで私ね、一体どんな風に縛られたら、痛気持いたきもち良いのかとか、見た目が可愛いかなとか、色々試してたの」


 思い出すようにニヤニヤ笑いながら、フェアリナは自らの身体をその白い手で摩っている。


 ――唖然。


「ああ、そうか。それで見つかったのか。一番気持ち良い方法は」


「うん、こう胸の前で交差させるように縛って、胸を持ちあげて、両手を後ろで縛るの」


「それで?」


「後は酷い言葉で罵られると、身体が熱くなっちゃう」


!」

 

「エヘッ」


 そういえば完全なドMでした。カナデは、照れ笑いするフェアリナにゆっくりと近づき、彼女を抱き締める。薄ピンクの髪が激しく揺れる。


「へっ? カナデ君、何? ど、どうしたの?」


 声が上擦るフェアリナを、そのまま無言で抱き締め続けるカナデ。茶色く汚れた彼女の白いドレスからは、甘い香りと共に瓦礫の臭いがした。


「良かった……」


 感情や声は押し殺した。でも、カナデの身体はその心を裏切れなかったようだった。


「うん……?」


「生きててくれて良かった」


 カナデに抱き締められながらも、フェアリナは不思議そうに首を傾げている。危険が迫っていたことなど、未だに気づいていない彼女。そんな彼女をカナデは更に力いっぱい抱き締めた。


「もう……カナデ君は甘えん坊さんなんだから」


 カナデに抱き締めながら、その頭をナデナデしてくれるフェアリナ。甘えているつもりはない。それでもカナデは、彼女の生を、生きているからこその温もりを感じたかったのかもしれない。


 ――守らなければ。


 次こそは絶対に。この温もりを2度と失わないためにも、カナデは改めてそう誓ったのだった。

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