第3話 鹿内奏太と黒い猫
【前回までのあらすじ】
変身したら女の子になってた。
§ § §
「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って!!」
ぼくは、机の上で星空色の目を輝かせて優雅にたたずむ黒猫に向かって叫んだ。
「どうしたんだい、鹿内奏太」
「どうしたもこうしたもないよ! なんでそんなに平然としてるの!? なんなの、これ! な、な、なんで女の子になってるの!?」
頭を触ると長い髪。
体には白いブラウスに黒いミニスカート。
足には太ももまで覆う黒いニーハイ。
手の指は白くて細くて、左の中指には指輪まではまっている。
足と足の間に手を当てても何の感触もなくて、
胸に手を当てるとそこには――、何もない。
えっ、ない?
はっと我にかえって体を見下ろす。
白いブラウスはピッタリとぼくの体になじんでいる。よく見るとボタンの模様が結構凝ってて、首元にヒモのような細さのリボンタイが結ばれている。でも普段と違うのはそれぐらいだ。胸元がふくらんでいたりはしない。
触れた手でなでたり押してみても普段と変わらない。強いていえばちょっと柔らかいような気がしないでもないような……。
……そう、胸がおっきくなったりはしないんだ……。
と、とにかく!
「黒猫さん! なに、なんなのこれ! どういうことなの!?」
そうやって叫ぶ自分の声も妙に高く柔らかい。なんだかほわほわしていて緊迫感のない声で、叫んだぼく自身でさえ気が抜けそう。
「どういうことって、その女性の体のことを言っているのかい?」
対して、星空色の目をした黒猫は、遠くから響くような声で穏やかにそう答える。
ぼくはこんなに慌てているっていうのに、黒猫のたたずまいは落ち着いていて、その様子がますますぼくを焦らせる。
「そうだよっ! なんでこんな、お、女の子になっているの⁉」
「ほら言っただろう、別の体になるって」
「聞いたけど、その身体が女の子のだなんて聞いてないよ!」
「それは言ってないからね」
「だから言ってー!? なんで言わないの! こんな重要なこと、言ってくれなきゃ困るでしょ!? ねぇ!」
「だってほら、事前に伝えたらアレだろう?」
「アレ?」
「恥ずかしいから嫌、って断られていたかもしれないじゃないか」
「確信犯じゃんかー!」
だまされた! 落ち着いてて穏やかだから信頼できると思ってたのに!
「鹿内奏太、それじゃあ確信犯の意味が違うよ。確信犯というのは『良いことだと確信して罪を犯す人』のことを言って、『悪いことだと知った上で罪を犯す人』を指す言葉じゃ――」
「あ、そうなの? 全然知らなかった――じゃないよ! 今、そういう話してないからぁっ!」
場違いなことを言い出した黒猫さんにそう言い放つ。ううー、ちょっとはこっちの焦りを共有して欲しい……。
「まぁ、少しは落ち着きなよ」
「これが落ち着いていられるかー!」
「夜中にそんな大声出したら、近所迷惑だろう」
「う、それはそうだけど……」
この猫に常識を語られると、なんだかもやもやする。
「その体で魔法が使えるのも、努力次第で願いが叶えられるというのも噓じゃない。別に一生その体というわけじゃなくて、元の君の体に、男性の体に戻ることもできる。だから、そこまで焦ることはないよ」
「うー……」
確かに、一生女の子のまま、ってことはないだけでも少し安心できる。そんなことになったらお母さんたちになんて説明したらいいか分からないし、最悪有紗に二度と会えないかもしれないし。
まぁ、焦っても仕方ない……。
なんとなくそんな気分になってくる。
女の子にするのにも何か理由があるかもしれないし、落ち着いて話を聞いた方がいいよね。
「ねぇ黒猫さん、なんでわざわざ女の子にする必要があるの? 別に男のままでも戦えるんじゃない?」
戦うのなら、筋力とか体格的に、男の子の方が有利だとすら思う。
「もう一つの身体、転身体を元の身体そっくりに作るわけにはいかないんだよ」
「え、どうして?」
「そうなると、元の身体をスペアのように使うことになりかねないからね」
「スペア?」
「同じ姿をした魔法の使える体、なんてあったら、魔法の使えない元の身体で生活するかい?」
「あぁ、なるほど……」
そしたら学校でも家でも魔法で出来た体で生活して、元の体は放っておいてしまうだろう。
それは、あんまりよろしくない気がする。自分の、人の肉体の扱い方としてはおざなりに過ぎるというか。
「だから転身前後の身体的特徴はできる限り異なっていた方がいい。それに二つの肉体があるのなら、その二つは別々の機能を持っていた方が便利だろう?」
「べ、便利って……。人の体にむかってそんな言い方……」
黒猫さんの言い方にもやっとして、つい口をはさんでしまう。
「実際便利だと思うよ。例えば人間は男女で入れる場所も違うし、男性の方が信頼されやすい場面も、女性の方が信頼されやすい場面もあるからね」
「まぁ、それは便利だろうけど、だますみたいで悪いし……。それに、人の体に対して道具みたいに『便利』って言っちゃうのはどうなんだろ、っていうことなんだけど」
「人の肉体だって道具の一種じゃないか」
「え、ええ~……?」
あんまりの発言にちょっと顔がひきつる。全然違うと思うんだけど……。
「人にとって肉体は生命維持に不可欠だから、全く同じではないけれど。でも基本的には物を手に取ったり、見たり、聞いたりする為の手段で、道具だと僕たちは思うよ」
……うーん。
言っていることは間違ってないよね。
確かに手は物をつかむ為に、足は歩く為にある。人の体は何かをする為の手段として存在していて、なら道具と言っても間違ってはいない気がする。
正直ぼくにはあんまり好きにはなれない考え方だけど。
「ん、そっか。分かったよ」
でも黒猫さんがそういう感性なら、しょうがない。そういうことに対して、ムキになる意味もないし。
「まぁ、それはいいとしても、『便利』とかそんな理由で女の子にされちゃったのは、やっぱりちょっとなぁ……」
そう言うぼくの声も、やっぱりいつもよりずっとぽわぽわと柔らかい声で、慣れないというか、妙に気持ち悪い。
「まぁそう気を落とすことじゃないよ。カクレクマノミ、って知っているかい?」
「えっと、ファインディング・ニモの奴だよね? オレンジと白のしましまのお魚」
「そう。インド太平洋などに生息する熱帯魚の一種だね。あの種は、全てオスとして生まれて、群れの中で一番大きな個体がメスになるんだ。カクレクマノミだけじゃなく、熱帯魚の約八割が後天的に雌雄が変わる」
「へぇ~!」
ファインディング・ニモは十回ぐらい観たのに、そんなことも知らなかったなんて、結構ショックだった。
「もっと身近な例で言うと、植物は一つの花の中におしべとめしべがある種や、同じの木の中に雄花と雌花がある種がいる。生物全体で考えると、人間のように雌雄があってそれが一生固定されたまま、という生物の方が珍しいんだよ」
「ほぇ~。なんだか黒猫さん、すっごく物知りで落ち着いてて、学校の先生みたいだね」
理知的な表情を崩さず、分かりやすく説明をするところも先生ポイントが高い。
「…………」
「…………」
「…………もしかして、だから女の子になっても気にすることないよ、って言いたいの?」
「そうだよ」
「お魚とかお花と一緒にされても困るんだけど!? わたしは一応人間なんだから!」
やっぱりこういうところの感覚違うよなぁ、この黒猫さん。発想が結構ズレていることが多い。気をつけておかな――ん?
「あれ、わたし今、わたしのことをわたしって言っ――!?」
え、え、え。
言葉が思ったとおりに出てこない。
「え、なにこれなにこれ。なんでわたし上手く――にぎゃっ!?」
また『わたし』って言った! なんでなんでなんでぇ!?
頭の中が急速にパニックになる。
何故か無意識のうちに、自分のことを『わたし』と呼んでいる。今までそんな風に呼んだことなかったのに、いつの間にか自然にそう話している。一瞬気づくのに遅れたぐらい自然に。
こ、こんなことって……。
ぼくは恐る恐る黒猫の方を見る。
「ああ、口調などで気づかれたら面倒だろう? その体はある程度女性らしい振る舞いをするように、あらかじめ設計されているんだ」
頭の熱が一瞬で引いていく。
「あの、えっと、せっ……、え?」
頭の中が塗りつぶされて、考えがまとまらない。深い穴に落ちていくような寒気が足元からはい上がってくる。
「あらかじめ設計されている、って言ったんだよ。体のクセを事前にプログラミングしておくようなものかな」
黒猫の口から『設計』や『プログラミング』といった単語が、当たり前のようにつむがれる。
人の体に対して使わないような言葉を、平然と口にする。
多分この黒猫にとって、肉体というのはそういうものなんだろう。人間というのはそういうものなんだろう。
美しく輝く星空色の目が、静かにぼくをみつめている。
「ううー……」
冷静に、冷静になろう。恐怖と混乱で黒猫さんに向かってどなってしまいそうな自分に言い聞かせる。
「黒猫さん、やっぱりわたしは、……わたしは人間だから、自分の体に対して『設計』とか言われるのはショックだし、勝手にしゃべり方を変えさせられたりするのは嫌だよ」
「そうかい? ならそういう発言はひかえるよ」
黒猫は拍子抜けするほどあっさりそう言った。
「でも、そのしゃべり方については、諦めてもらうしかないね。こちらとしても、魔法使いのことは隠す必要があるからね」
「うーん、しゃべり方を変えるのは別にいいんだけど、勝手にそういう体にされちゃうのがさ……。やっぱり自分の体だから、黙って手を加えられたら嫌だよ」
「でもそもそも君は、もう一つの体については承諾していたじゃないか」
「そ、そりゃあそうだけど、こんなだなんて聞いてないもん。女の子になっているし、なんでか自分のこと『わたし』って呼んじゃうし。
黒猫さんだって、なんだろ、パワーアップさせてあげるよー、みたいに言われて、勝手に豚とか鳥に変えられちゃったら嫌じゃない?」
「ああ、別にそんなこと気にしないよ」
「え、えぇ~、気にしないの……」
「だってほら」
「!」
そう言うと黒猫さんの顔がどろっと融け出した。
星空色の目が黒い液体に埋もれて見えなくなる。顔だけじゃない。首も胴体も尻尾も、形をなくして崩れていく。
やがて黒猫さんの全身が融け、机の上には真っ黒な水たまりが残るだけ。
ぼくは、こわばったのどを開いて、おそるおそる開く。
「…………、く、黒猫さん……?」
「僕たちにとって、形も肉体も意味はない」
「ひっ!」
こんな異常な状況でも変わらない落ち着いた声に、背筋が震え上がる。
黒い水たまり以外に、黒猫さんの姿はもうどこにもないのに、黒猫さんの声が聞こえる。
水たまりがしゃべっている!
「意識生体である僕たちには、そもそも脳が必要ない」
その凪いだ声に紛れるように、水たまりの中から細い触手のようなものが、音を立てずに、何本も伸びてくる。
黒い体をくねらせながら、互いに複雑に絡み合いながら、次から次に水たまりの中から触手が本数を増やしていく。
思わず後ずさりした足がもつれて、床にしりもちをつく。
「脳だけじゃない。骨や筋肉、臓器などの組織も僕たちには必要ないんだ。形ある肉体である意味がない」
黒猫さんの声が静かに響くけれど、何を言っているのかよくわからない。
床に座り込んでしまったので、机の上の水たまりは見えない。あの不気味な触手が今どうなっているのか、ぼくにはわからない。恐ろしく気になるのに、とても立ち上がって確認したくなんてない。
やがて机の上から、星空色の目をした黒い猫が顔を出す。
「――だからね、僕たちの体はこんな風に液体で出来ているんだ」
…………っ!
ヤッバいよ、これぇっ……!
声にならない悲鳴が口からもれる。
足元からぞわぞわと鳥肌が立ち上ってくる。
目の前で生き物が形をなくしていく恐怖。そして、何もなかったかのように元の姿に戻っている恐怖。
そっか、この黒猫は人間じゃないんだ。
当たり前のことだけど、そんな当たり前のことが、ぼくにはまるで分かってなかった。よくよく考えてみれば、ずいぶん失礼な話だ。人の言葉を話すから、なんとなく心の底で人と同じように思っていた。
この黒猫は、人間でも猫でもなくて、たぶん生き物ですらない。
黒猫さんは静かにこちらを見つめている。
静かに凪いだ黒猫の目が、その星空みたいな輝きが、ぼくの中の恐怖をかきたてる。
思わず開きかけた口を一度閉じて、ゆっくりと深呼吸する。
「なる、ほど……。液体で……」
ようやくしぼりだした声はひどく震えている。
うー……。
できる限り普通にしようとしたけれど、まるでうまくいかない。
ま、しょうがないか。気持ちを落ち着かせようと、目を閉じて、もう一度深く呼吸をする。
どれだけその姿が恐ろしくて不気味なものでも、そういう理由で怯えたりして黒猫さんを傷つけたくはなかったから。
「えっと、ごめんね。ちょっと思ってもなかったから、びっくりしちゃって」
今度は、自然に声が出せた。
「無理もないよ。君たちは僕たちのようなものは見ないだろうし、ショッキングなんだろうね」
「う、まぁ、そうだね……。多分そのうち慣れると思うから、それまで待っててもらってもいい?」
「……別に構わないけれど」
そう言う黒猫さんの声は、やっぱり変わらず落ち着いている。いつもと同じ調子だ。
……大丈夫、なのかな?
さすがにこんな風にあからさまに怖がるような態度を取ってしまったら、黒猫さんも傷つくんじゃないかって思ったんだけど……。
黒猫さんにとってはこんなことは大したことじゃないのか、傷ついていても気を遣って表に出さないだけか。いやもしかしたら、この黒猫には人間みたいに傷ついたり悲しくなったりする感情はないのかも?
なんにしても悪いことしちゃったなぁ……。黒猫さんからしたら、自分の体がああなるのは普通のことだろうし、それで怖がられるのは嫌だろうから。
うーん、でもなぁ……。初めてあんなものを見せられて、それでびっくりしないの、絶対無理だよね。むー、難しい……。
「……君は変わっているね」
「へ!? な、なに?」
考えごとをしていたから、声が裏返っていやに高い声が部屋に響く。
黒猫さんの方を向き直ると、珍しく不思議そうに顔を傾げていた。クエスチョンマークでも浮かびそうな顔でこちらを見上げている。
「鹿内奏太。君はどう――」
そうして話し始めた黒猫さんは、しかし途中で唐突に黙って、ぼくの後方、部屋の扉の方を見る。
何かあるのかと思い、振り向こうとした瞬間、
――コンコンッ
「っ!?」
小さなノックの音が部屋中に響き渡る。心臓がビクンと跳ねる。
血の気がサアッと引いて、指先から体温が下がっていくのを感じる。耳元でバクンバクンと鼓動の音がうるさい。
ノックから数秒後、ぼくにとっては十数分にも感じられる数秒の後、扉の奥から声が聞こえた。
「奏太ぁ? さっきからこしょこしょうるさいんだけど。誰と話してんの?」
――お姉ちゃんの声だ。
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