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マルセルとクロードが席を立ち、ルイとエリアが残された部屋は手狭な割にはやけに広く感じられた。
離れた二人から漏れた含みのある笑い声から察するに、また街の女性の話でもしているのだろう。
扉を出る直前にのぞいたのは、クロードの鼻の下が伸びた間抜け面だった。
「あの人たちの頭の中はお花畑かしら」
エリアの嘆きとも取れる一言に、つられて苦笑いが溢れてしまう。
「今更ですよ……クロードは私が一言言えば黙らせられますが、マルセルさんに関しては厳しいです」
ため息をつきながら、エリアはゆるゆると首を横に振る。
「口を閉じていればカッコいいおじ様なのに、なんか勿体ないのよね」
飲み終わったティーカップを下げていると、ちょうど家従が入ってきたため残りを任せ、二人も部屋を後にした。
「ルイくん、この後時間あるかしら」
「如何しました?」
「少し付き合って欲しいの」
真意を測りかねたルイは頭の中に疑問符が浮かび、眉をあげた。しかしエリアの表情やオーラから察して、深刻な内容ではないようだった。
笑顔で承諾し、白外套について行くことにした。
身長の3倍はあろうかという玄関扉を押し開けると、暖かな光が二人を包み込んだ。正面からの日差しに目を細めながら、整えられた芝生に足を下ろす。
「おい、あれ、エリア様じゃないか?」
「エリア様って、あのエリア・フォーシェ様か」
「ほかに誰がいるってんだ」
「あー……やっぱり美人だよな」
休憩を回しているのだろうか、クロード率いる警備部隊の兵士2人が庭先の木陰で立ち話に洒落込んでいた。
当人たちは小声で聞こえないようにしているつもりだろうが、ルイの前では通用しない。
少しばかり漏れ聞こえる音と、唇を見れば、大体何を言っているかは察しがつく。
会話の内容には同意できるので特に口は出さなかったが。
エリア・フォーシェ。
セヴィオ帝国の医術部隊隊長。シルクのような肌触りの白外套が医術部隊の所属の証である。
ルイと並ぶと身長差はほぼない。
女性特有のメリハリあるスタイルと花が咲くような笑顔は、軍の男性陣にとってオアシスの如き存在だった。
透き通る栗色の髪をそよぐ風に乗せ、陽の光を取り込むように大きく伸びをした。
「それで、どちらに?」
「クイーンオブローズよ。そろそろ咲いているんじゃないかしら」
薄い雲が風に流され漂う青空を仰ぎ見て、そういえばそんな時期かと独りごちる。
クイーンオブローズには文字通りバラが植えられ、ソフィの誕生月にはバラが咲き誇っていた。
そういや、昔はよく深紅のバラを見ては二人で──
「……ルイくん?聞いてる?」
「…………すみません、少しぼんやりしていました。徹夜明けなもので」
嘘だ。1回の徹夜ごときで感覚が鈍るほどヤワではない。
が、人の発言を聞き逃したときは大概呆けてた、なんて言い訳しておくのが一番便利だ。
深く詮索もされない。
そしてルイの思惑どおり、徹夜明けは眠くなっちゃうわよね、とエリアから相槌を得ることができた。
城の裏へ回り、壁に沿ってしばらく歩けばバラの聖地──クイーンオブローズにたどり着く。
聖地というのは、かつて王家から許しを得たものしか入れなかったためにそんな別名が付けられていた。
セヴィオ帝国の者なら誰でも柵の外から眺めることができるが、その柵の中に入ることができるのは、専用の鍵を託された、一握りの人間だけだった。
今となっては柵も扉もないので、誰でも自由に出入りできるようになっているが。
「……小さくても、バラの香りはちゃんとするのね」
「これから年々香りが強くなって、きっと大輪を咲かせてくれますよ」
深紅のバラの前で、歓喜し絶望し、それでも足掻いて大切な人を守るために、何度ここで気持ちを奮い立たせてきただろうか。
(約束……ね?)
(もちろん、約束だよ)
緩い風がまだまだ小ぶりなバラを揺らし、頬をかすめていく。あの時と同じ、甘い匂いがした。
「奇襲で焼けてしまってもう見られないかと思っていたのに」
「私が庭師さんにお願いして、種からもう一度育ててもらったんです。同じバラが育つ保証はないので博打ではありましたが……」
バラは変異しやすいので、同じ種から育てたとしても原木と同様の花を咲かせるとは限らない。
それでもローズヒップ2つ分だけは焼けた庭の中から見つけ出せたので、一縷の望みをかけて庭師に頼み込んだのである。
「なので、先程すれ違った庭師さんには頭が上がらないんです。私がお願い……というより、子どものようにしつこく駄々をこねまくったら、根負けしてくれたので」
「そんなにこのバラが見たかったの?」
「好きなんです。このバラが外の空気を吸って、のびのびしているところを見るのが」
だから、もう二度とこのバラを枯らしてはならない。
「そういえば、ルイくんはここに入る鍵はもらっていたの?」
「いえ、警護部隊の任命式で渡される予定でしたが、その日に奇襲に遭ったのでもらっていません」
ルイは少し眉を下げ、ため息をこぼした。
「なので、部隊隊長4名の中で唯一私だけは部隊の配属を任命されていないのです。内定は既にいただいていて、奇襲の際に私より上のものが殉職されたので、流れで警護部隊隊長という位置付けになっています……しかし、任命もされていないのに部隊の長と名乗っていいものか、1年経っても悩みます」
「ルイくんはよくやっているわ。隊長クラスで最年少だけど、かつての隊長に引けを取らない仕事ぶりよ」
とくに、とエリアが付け足すように続ける。
「ハイズ前警護部隊長に、ルイくんの姿を見せたかったわ」
「きっとダメ出ししかされませんよ」
でも、もう叶わない師からのダメ出しも、一度くらいは受けてみたかった。
彼にはこの景色がどう見えていたのだろうか。
少しでいいから、同じ位置に立つ者として話をしてみたかった。
「よお、そろそろそやつの世話をしたいんだがいいかな?」
振り返れば、ハサミやら軍手やら、沢山の手入れ道具を腰に下げた庭師がこちらに歩み寄ってきた。
二人を通り過ぎる直前、庭師の手が頭上に上がった。かと思えば、突然ルイの頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「おわっ、やめてくださいよ、子ども扱いされてるみたいだ」
「十分子どもだ。バラの一つも発芽させられなくて駄々こねてるようじゃなぁ」
「そ、その件ではお世話になりました……」
もう苦笑いするしかなかった。この話を持ち出されるとどうやっても勝てない。
「子どもだが、何かを成し遂げんとする背中は頼もしいな。この国も、ソフィ様も、頼んだぞ」
庭師はそれ以上口を開かず、やっと一輪咲いたバラに集中し始めた。
エリアと目配せし、そっとこの場を立ち去ることにした。
柵扉の跡がうっすら残る境界線で立ち止まると、改めて庭師の奥に咲くバラを見つめ、そして目を瞑る。
(約束……ね?)
(もちろん、約束だよ)
あの時の約束は必ず果たすよ、ソフィ。
もう鍵穴のない鍵に、胸に手を当てるようにしてそっと触れ、幾度目かの誓いを胸に刻んだ。
約束のブレスレット 斉藤 尚隆 @Enadiz
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