3

 伏し目がちに近くのどこかを見つめるマルセルの瞳は、少しばかり淀んでいた。

 全ての発端は1年前、ソフィ王女の誕生祭で巻き起こった奇襲だった。

 ──警護部隊がそばにいたにもかかわらず

 ──万全を敷いて警備に当たっていたにもかかわらず


 隣国、カーラ帝国の奇襲により式典は崩壊。王と妃は殺害され、一人娘の王女ソフィは行方不明のままである。


「わしの見解だがの、カーラ帝国にソフィ陛下はいらっしゃらないのではないかと思ってな」

「どこかに逃げ延びた、ということでしょうか?」

「それは分からぬ。カーラ帝国がソフィ陛下を捕らえたい目的は多分、生まれつきお持ちだと噂される魔力であろう。もしソフィ様がお持ちなら、国を発展させることも、武力を上げて諸国最強の名を手にすることも造作無いからのう」


 だがな、とマルセルは困惑したように首を傾げた。


「カーラ帝国は全くと言っていいほど発展してないのだ。むしろ、国力で言えばソフィ陛下を失った我々の方が底力があると思えるほど……なにより、カーラ帝国の娘たちの肌艶が良くなる気配がない。栄養状態が良くないのは昔からだがのう」


 食べ物が国の隅々まで行き届かない可能性は深読みしなければ2つ。土地が痩せていたり水が少ない等で元々の国力がないか、あるいは上流階級が搾取して私腹を肥やし市民を喰いものにしているかのどちらかだ。


「軍備も何ら変わりないんですか?」

「特段、大きな変化はなかったのう」


 これにはクロードも引っかかることがあるのか、顎に手を当てて小さくため息をついた。


「あの国は昔から血の気が多い。ここに襲撃命令を下した王も例に漏れずその一人です。力を手にしたら、それこそ真っ先に軍事力増強に突っ走ると思ったんだが……」


 軍事に手を回さないということは、可能性のうち後者はハズレであろう。


「昨日の夕刻に提出してもらった調査部隊の報告はカーラ帝国周辺の土地や川等の偵察ですが、いずれも変化は確認できませんでした。帝国から細々と流れ出る川の水質も1年前の報告と変わらないということは工業発展はしていない。国の中自体も何も変わっていないと考えられます」


 持ってきた資料の隙間にさらりとペンを滑らせ、報告と調査部隊長の偵察結果が相違ないことを書き記す。


「クロード、国内の復興は進んでいると思いますか?国民の雰囲気と昨日の報告からすると、ライフラインは復興できたと思えますが」

「そうだな、建物はほぼ元どおりですね。水路と畑は取り掛かっているが、水と土の質がまだまだ低い。あとは道の補修か」


 頷きながらこれも先ほどのメモの近くに書き取る。


「思ったんだが、ルイ、もしや上がった報告書類、全部見たのか?」

「読まなきゃ俯瞰できないだろう」

 

 当たり前のようにケロッと放った一言に、クロードの表情は動揺を超えて少しばかり引きつっていた。


「今回は部隊長のサインする欄に全て私のサインが入っています。部隊ごとに箱を分けてあるので後で皆さんの部屋にお持ちします」


 湯気の減った紅茶を口に運び、一呼吸おいてポケットの中の重みに手を伸ばす。

 懐中時計は8の手前まで差し掛かっていた。


「この先方針は変えず、国内の復興とソフィ陛下奪還を目指しましょう……そこで、一つご提案です」


 資料を一枚めくると、今朝方まで目を通し続けてきた報告書から思いついたことを書き殴った乱雑な文字の羅列が出てきた。


「国の軍備強化も兼ねて、陛下奪還に向けて動いている調査部隊にも国の復興に加わっていただきたいと思いまして」

「ソフィ陛下を一刻も早く連れ戻すと言ったのはルイくんではないかな?」

「たしかに急務であることに変わりはありません。しかし……」


 ルイは窓の外から漏れてくる生きた音に耳をすます。


「ここに生きる民を守ることは、同時にソフィ陛下の帰るべき場所を守ることでもあります」

「俺はルイに賛成だ」


 賛成を口にしたクロードだが、表情は冴えない。察するに……


「……奪還と防衛の力配分、ですか?」

「カーラ帝国の線が薄くなった今、捜索範囲は点から面になったわけだ。国内に軍の9割を傾けたら探しに出る面子も減る。少人数を無闇矢鱈むやみやたらに散らしたらそれこそ、雲を掴むような話になるぞ」

「ルイくん、まさかとは思うが……」


 マルセルの視線は、ルイの口を閉ざさんと言わんばかりに鋭かった。


「なんでしょう、マルセルさん」

「……いや、まずはルイくんの策を聞こう」

「まず偵察に出ている者を含めた調査部隊と警備部隊は、復興を急ぐと共に合同部隊訓練を行います」

「偵察は……」

「我々、警護部隊が引き受けます。現在偵察を行っている数よりは減りますが、より細かく捜索は可能になります」

「細かな、とは」

「王女の部屋に入る権限を持っているのは私だけです。人を介して情報を流すより、直属の部隊に話せた方が動きやすいと思いました」

「それだけかの?」


 マルセルの表情に、一瞬だけ不安げな影が掠める。


「本当に、それだけかのう?」

「今のところは、ですが」


 そう言いながらルイは視線を外し、手元の書類をめくった。


 マルセルさんには、バレているのかもしれないな。意地になってでも探したい者のやることが。


 ただ、これ以上詮索されても今は答えを出すことはできないし、──答えを明かせば間違いなく止められる。


 折りたたんだ資料を見つけるとルイはソーサーを手前に引き、机の真ん中にそれを広げた。セヴィオ帝国を中心にして描かれている地図である。


「それに、襲撃を受けて壊滅手前までいったセヴィオ帝国にまだ息があると知れれば、隣国はこの機を逃さずに攻めてくるでしょう。カーラ帝国には一度侵入されているため、万が一潜られると此方の地の利を活かしきれない」


 改めて地図で俯瞰すると、自分たちが守っているセヴィオ帝国の右半分近くは他国に隣接していることが見て取れる。

 左は海に面しているため、陸路しか使わない隣国が船を作り海から攻めるということはほぼありえない。しかし陸路は南に密林と化した魔の森を除いて、それこそ山も谷もない。

 体力を考えなければ、1日かからずたどり着けてしまう。いわば目と鼻の先。


「再び襲撃を受けた時、以前のように簡単に侵入を許してはならない。絶対に」

「……ルイ、落ち着け」

「っ…………失礼しました」


 いつの間にか手元の書類を握り締め、軋みを上げていた。


「調査部隊と警備部隊には、連携が密に取れるよう合同訓練を敷いていただきたい。お二人だからこそ、お願いしたいのです」


 ルイは一度深呼吸をして荒だった波を沈める。座り直し姿勢を正し、各人の瞳を見つめた。


「今後はカーラ帝国、及び周辺地域の偵察に加え、合同部隊訓練を追加します。ご納得頂けますか?」


 ルイの視線を受け取り、力強い頷きが一つずつ返ってくる。


「承知した、が……ルイくん、くれぐれも無茶だけはするんじゃないぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る