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「おはよう。今日も今日とて朝から不幸面だな」

「開口一番それか」


 カッカッと笑って無礼千万な挨拶を浴びせてきた輩は、扉の横の壁に寄りかかって腕を組み、今日もまたルイのことを待っていた。


「朝からうるさいぞ、クロード」

「俺は至って静かに話しているが?」

「お前の顔がうるさいって言ってんだ」


 自分と変わらない年齢で、減らず口を叩きながらも歯を見せて笑えるクロードが、ルイには少し眩しかった。

 いや、年相応な笑顔を持っているから、憧れに近い嫉妬を少なからず抱いているのかもしれない。


 クロード・フルドラン。


 ルイと同じ黒外套に身を包むが、筋肉質な体のフォルムまで丸め込むことはできておらず、側から見てどことなくゴツい。

 金の刺繍細工が袖口と、背の中央から裾へ広がるように施されていた。


「ルイの減らず口も相変わらずだな」

「今更俺がかしこまって話したら気持ち悪いだろ」


 もっとも、人の面前では場をわきまえた言葉を選ぶが。

 鍵穴に古金美の鍵を差し込んで捻り、ノブを引っ張って鍵がかかったことを確認する。


「行くか」

「会議とかそういうお固いものは好かん」

「好く好かんで決められるもんじゃないだろ」


 金の刺繍を背負ったものに課された責務の一つ。

 隊の仲間を、この国の民を路頭に迷わせないため、そして……。


「場所に目星はついたのか?」

「虚しくも……といったところだ」


 行方不明のソフィ・ブリア・サバランを救い出すため。










 先に歩き出せば、あとから壁のような影がついてくる。

 ルイはクロードの肩を超えられない程度の身長しかないのだ。ルイには程よい長さのレイピアも、彼に持たせれば短刀……図体の太さからしておもちゃに見えかねない。

 昔から小柄だったルイにとって、背の高いものの威圧感に囲まれた生活は当たり前の環境だったが、それでも圧を感じなくなったわけではない。

 幼い頃はクロードが頭を掻こうと手をあげたことに驚いて、何度も心臓が跳ね上がった。思い出すだけでもなんとなく痛い。


 そうこうしている間に朝日の射し込む窓をいくつも超え、気づけば足はいつもの扉の前で止まっていた。

 ちらりと視線をあげれば、クロードがこちらに気づき見下ろしてきた。そして突然のウインク。

 そういうことは美女にしてやれ。

 鼻で笑って雑にかわすと、扉を二度ほどノックし、中からの返事を待つ。


「……はい」

「クロード・フルドラン。ルイ・シガン。入ってよろしいでしょうか」


 鍵が解錠され、くすくすと楽しむ声が開き始めた扉の隙間から漏れる。


「あなたを入れない者があります?」

「そうだと思いたいところですが、一応しきたりは守るべきかと」

「そうね、こういう作法は残しておくべきね」


 柔らかい笑みで隠した言葉は、言わずともそこにいる全員が理解できてしまう。

 ソフィ様が戻られた時に、変わりない日常を送ることができるように。


「皆さまお揃いのようですね」

「サボりぐせのあるわっぱもちゃんと来たのかい」

「ルイが来いっていうから来たんですよ」

「お主はルイくんの言うことは聞くんじゃの」


 言われた張本人は鼻でため息をつき、俯き加減に後頭部を掻いていた。

 中央に据えられた木の円卓には、調査部隊である証の青漆せいしつ外套が一人。もちろん金刺繍は背に広がっているが、ルイやクロードと比べるとかなり控えめに散らしてある。


 前髪を完全に後ろに流し、俯いても後れ毛一つ出ることなくまとめられていた。顔の皺からは年の功を感じるが、そこらの兵より姿勢よく背筋が張り、立ち振る舞いが雅だ。飲みかけの紅茶が入ったティーカップを拾い上げるだけでもその品格が伺える。


「おはようございます、マルセルさん」


 このマルセル・アッシュの人となりは昔、父から聞かされていた。


 (立ち振る舞いは品がある。ルイも見習えよ……)


 纏う雰囲気は聞いたところに違わず、また歳を重ねるごとに厚みが増している。それに関しては確かにルイも見習いたいところ。


「おはよう、ルイくん」

「偵察の方はいかがでしたか?」


 しかし、しかしだ……。


「うぬ、今回の娘たちも可愛かったのう」


(……と同時に、手が早いんだ。仕事はできるんだがな〜)


 ここだけは……見習いたくねぇな。うん。


 マルセルは調査の度に、寝泊まりする町の女性を誑し込んでいる……とルイは思っている。

 本人に言わせれば、これも偵察の一環だとか。


 顎に手を当て、緩く瞼を閉じてマルセルは語る。その瞼の裏に映るのは、いい香りのした娘と過ごした潤いの時間であろう。


 いつの間にクロードも乗り気になったのか、席に着くより前にマルセルの言葉を待ち、眼差しを向けている。


 ルイは二人の様子に、ため息を必死に飲み込むしかなかった。くだらないと一蹴してしまえばそれまでだが、話して気が済めば、きっと偵察情報を……。


「娘たちの肌からは、甘いのだがどこか儚く散ってしまいそうな花の香りがしてのう」

「ほう」


 出して……。


「カウンター越しに語らっていると隣の席まで移動してきてくれてな、たわわな双丘の谷間が服の隙間から、こう、チラッと」

「ほうほう」


 出して、くれると……。


「あーはいはい、おじさまの潤ったお話はその辺にして。クロードも鼻の下伸ばしてないで!」


 ……やっぱ出してくれないよな。


 手をパンパンと叩いてエリアが話をブチ切ってくれた。多分、思考はルイと同じであろう。

 話が切れたなら切り替えるのもいい機会だ。


「それで、マルセルさんの調査と見解はいかがでしょうか?」

「……もう少し語りたいんだがのう」


 名残惜しそうな視線が、クロードではなくルイに向けられる。


 俺に話を振られても……興味、ねえんだよな。


 椅子の背を引きながら困り果てて苦笑いを零す。


「あとでクロードとごゆっくり……会議の時間もあまりないので」

「ルイくんが言うのなら仕方ないのう」


 口先をすぼめ、残念そうに軽く瞼が閉じられた。

 こんな話をされても、ルイはクロードのように鼻の下が伸びるわけでも、赤面するわけでもなかった。

 盗み見ればエリアも聞き飽きたと言わんばかりの呆れ顔。

 偵察後の会議で口を開けば必ずと言っていいほど、この類の話題を出してくるのだから呆れられるのも致し方なしと言ったところだろう。


「……かの奇襲から、1年が経つのう」

「今日でちょうど、ですね」

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