永劫残る物

「エレナお嬢様、瑞樹です。入室しても宜しいですか?」


「えぇ勿論ですわ。お入りになってくださいな」


「失礼します」


 瑞樹が部屋に入ると、エレナは読んでいた本に栞を挟み、パタパタと瑞樹の元へ駆け寄る。というのも彼はエレナに請われた時以外は自発的には訪れる事が無い。予想外の来訪者に随分が嬉しかったらしく、にこやかに瑞樹を迎えていた。


「まぁ瑞樹様が訪ねてくださるなんて珍しいですわね」


「もしかしてご迷惑でしたか? 」


「とんでもありませんわ、ただ少しだけ驚いただけです。平生ももっと訪ねて来てくださいな」


「あはは、善処します」


 瑞樹はエレナに手を引かれながら卓へ付き、その後彼女は机の上にあるベルを鳴らして外で控えていた従者にお茶の用意を命じる。二人は温かいお茶を飲み、一息ついた後会話を始めた。


「ところで今日はどうなさったのです? 」


「はい、メウェン様から今日の職務は終わったからエレナお嬢様の元へ行きなさいと言われましたので」


「あらそうだったのですか。私はてっきり瑞樹様が自発的に訪ねてくださったのかと思いましたのに」


 エレナが唇を尖らせながら不満を口にするのを見て、瑞樹は「あはは……」と苦笑する。


「まぁ瑞樹様が奥手なのは今に始まった事では無いですし、この程度にしておきましょう。それで瑞樹様はお父様とどんな事をお話しされたのですか? 」


 エレナの問いに、瑞樹は詳細に話し始める。任命式の事や演説の事、そして貴族章の事。最初の二つは興味もそこそこだった様子で聞いていたエレナだが、貴族章のある事に関して話した途端、目をギラリと光らせた。


「瑞樹様、今なんと仰いました? 」


「えっ? 私の絵図が下手だから彫金士の方に断られたって―」


「その後ですわ。聞き間違いで無ければ瑞樹様を模して絵を描かれるとか」


「あぁそれですか。メウェン様も突飛な事をお考えになりますよね。歌の神の図案を再現出来るのは私しかいないから私を元に絵をおこすなんて」


「そ、それはいつですの? 」


「えっ!? メウェン様が手配してくださるという話しですので私は存じませんけど……」


「お父様ですね、承知しましたわ」


 徐々に詰め寄るエレナに対して、瑞樹は何か嫌な予感を覚えたらしく少し顔を引きつらせていた。その後何故か興奮しているエレナは鼻をふんふんと鳴らしながら、居ても立っても居られなくなったようで、突然

椅子から立ち上がり瑞樹に話しかける。


「瑞樹様、大変申し訳ありませんが私急用が出来てしまいましたのでここを暫く離れます。ですのでここで待っていて頂けますか? なるべく早めに戻るように致しますので」


「え、あっはい。私は問題ありませんけど」


「ありがとうございます。私の部屋にある物は全て自由にして頂いて構いませんので、どうぞ存分にくつろいでくださいな」


「はぁ、お気遣い感謝いたします」


「では後程」


「承知致しました」


 挨拶を交わした後エレナは静々とだが興奮を抑えきれない様子で早足で部屋を後にする。あまりの豹変ぶりに先程から首を傾げたままの瑞樹は、部屋をきょろきょろと見回す。いくら部屋を好きに使ってくれと言われても、まさかそこらの箪笥を開けて回る訳にも行かない。何か時間を潰せる物は無いかと探していると、エレナが読んでいた本が目に留まった。


 それは彼女が以前読んでいた騎士と貴族の恋愛物の本だった。勝手に読むのは悪いかなと思っていたようで、最初は瑞樹も控えていたのだが、結局他の場所を見ても特に何かある訳でなく、心の中で彼女に謝りながら本を手にした。


 中身は恋愛物であると何となく瑞樹も察する事が出来るのだが、貴族とはどうにも回りくどい表現が好きなようで、本好きな彼ですら物語そっちのけで解読する事に頭を使っていた。瑞樹はどちらかと言えば話しはコンパクトな方を好む傾向にあるらしく、眉を顰めながら読んでいたのだが、ぶつくさと文句を言いながらも読み耽っている。


 「恋愛か……」瑞樹はぽつりと呟きながら物思いに耽っていた。というのも自他共に認めるヘタレの瑞樹は生まれてこの方女性と付き合った事が無い。今まで出会った人物を思い出しては首を横に振り、そういった感情の有無を確認していると、ふと彼の頭にビリーが過る。「いやぁ無い無い」と手を上げてひらひらとさせながら瑞樹が独り言ちていると、エレナが帰って来た。


「只今戻りましたわ瑞樹様。……あら? どうかなさいましたか? 」


 瑞樹の行動を見たエレナは首を傾げながら質問すると、少し恥ずかしくなったらしい瑞樹は頬を赤くしながら「あはは」と苦笑いする。


「いえ何でもありませんエレナお嬢様。ところで急用とは一体何だったのですか? 」


 そう問いかけるとエレナは「うふふ」と笑みを零しながら瑞樹を見つめて一言話す。


「まだ内緒ですわ。ですが楽しみに待っていてくださいませ」


「はぁ。エレナお嬢様がそう仰るのでしたら……」


「では夕食までの時間、存分に私と触れ合いましょうか瑞樹様? 」


「はい、喜んで」


 その後瑞樹はエレナの座椅子役を務め、特に問題が発生する事無くその日が終わるのだが、夕食の時にこんな出来事があった。


「瑞樹、画家の手配が出来た。明日の十時頃を予定している。」


「はい、私は問題ありませんが随分と性急ですね」


「そこまで時間に猶予がある訳では無いからな。せめて図案程度は明後日君が国王陛下の元へ出向く前に仕上げたい」


「そういう事でしたか。……あのメウェン様、オリヴィア様とエレナお嬢様の様子がおかしくありませんか? 先程から変な視線を感じるのですが」


 瑞樹はメウェンの耳元でそう囁くと何か思い当たる節があるようで、眉間の皺を指で解しながら「あぁ」と小さく返事をしてさらに続けた。


「済まないが……私の口からは言えん」


「えぇ……」


 口止めされているらしいメウェンからそれ以上の返答は無く、ちらりとオリヴィア達の方へ視線を向けると、目をギラギラと輝かせていた。以前どこかで感じた気がする悪寒を再び感じながら、瑞樹は黙々と食事を続ける事になった。


 明けて翌日、瑞樹は朝食が済んだ後オリヴィアとエレナに引きずられながら、どこかへ連れられていた。見覚えのある廊下の風景、まさかと思った瑞樹だったがそれは遅かった。


 そこは瑞樹が以前お仕置きとして着せ替え人形を演じたあの部屋で、またここかと叫びたくなったようだが、何とか心の中で留まったらしい。そんな彼の胸中を淑女二人は知る筈も無く、どれが瑞樹に似合うか談義を繰り広げていた。


「やはり瑞樹に似合うのはこちらの赤いドレスかしら。瑞樹の素材が良いからとても華やいで見えると思うわ」


「いえそちらも似合うと思いますが、瑞樹様ならこちらです。夜天のように煌めく髪色なら断然こちらの青が映えます」


 二人は楽しみながらも表情は真剣そのもので、瑞樹が踏み入る隙が一分も無かった。それでも何とか瑞樹は意を決したように口を開き、二人に問いかける。


「あ、あの。お二人は一体何をしていらっしゃるのですか? 」


「あら瑞樹。勿論貴方の服を選んでいるのよ? 昨日エレナからお話しを聞いて、これは私達が一肌脱がなくてはと思ったの」


「お母様の仰る通りですわ。貴族章の図案ともなれば永劫未来に残るのです、故に瑞樹様が辱めを受けないで済むよう真剣に衣装を選んでいるのです」


「えぇ……」


 絶対楽しんでいるよねと瑞樹は突っ込みたい気持ちを抑え、数多ある衣装を試着しながら、遂に候補が二着に絞られる。


 一つはオリヴィア推薦の赤いAラインドレス。腰の部分がすっきりしていて、そこから足元の裾に向かってふわりと広がり、あえて肩を露出させず腰にはワンポイントのリボンが付いている。確かにオリヴィアの言う通り女性らしさを強調させるこのドレスは華やかさを存分に感じさせるだろう。ただそれを着るのは男だが。


 もう一つはエレナ推薦の青いスレンダードレス。縦のラインが強調されるドレスで、大人の魅力を引き出すそれは、本来であれば若干小柄な瑞樹には適さないかもしれない。だが瑞樹の髪色と落ち着いた雰囲気を存分に引き出せるのはこれしか無いと、エレナは主張して止まない。確かにエレナの言う通り、落ち着いた青色や存分に肩を見せつけるデザインは、大人の女性特有の魅力を増してくれるだろう。ただそれを着るのは男だが。


「さぁ瑞樹貴方はどちらを選びますか? 勿論瑞樹ならこちらを選んでくれますよね? 」


「瑞樹様ならこの衣装の良さが理解して頂けますよね? 」


「えぇ……」


 二人は衣装を手に持ちながら瑞樹に詰め寄り、私の方を選べと圧力をかけてくる。どちらのドレスも甲乙つけがたく、大いに悩んだが遂に結論が出ず、それを伝えようとする。


「私は別に―」


 どちらでもと瑞樹が口にしようとした瞬間、二人の目がすうっと細めた。その圧力に気圧されたように瑞樹は口を閉じると、オリヴィアは冷ややかな笑みを浮かべながら瑞樹に話しかける。


「瑞樹、分かっているかと思いますがどちらでもなどという答えは許しませんよ? 」


「お母様の仰る通りですよ瑞樹様。世の中には必ず選ばなくてはならない事が多々存在するのですから」


 瑞樹は二人に恐怖した様子で「はぃ」と小さく返事をする。どちらを選んでも恨まれそうな気がする、瑞樹はそんな事を考えながら漸く一つの結論を出す。


「では……今回はエレナお嬢様の衣装を選ばせて頂きたいと思います」


「流石瑞樹様ですわ、良い選択を選ばれましたわね」


 エレナはそう言いながら瑞樹に満面の笑みを向けるが、オリヴィアは不満そうに唇を尖らせながらむすっとした表情をしていた。


「瑞樹にはこちらの方が似合いますわ。今ならまだ引き返せますわよ? 」


 瑞樹がエレナの方を選んだのが随分不服なようで、オリヴィアは異議を申し立てると、エレナは勝ち誇った様子で、火に油を注ぎ込む。


「あらいけませんわお母様。瑞樹様は私を選んでくれたのですから、お母様のよりも私の物を選んでくれたのです」


 エレナがふふんと鼻を鳴らしながら得意気に言うと、一層オリヴィアの表情が険しくなっていく。瑞樹も流石にまずいと思ったようで、何とか仲裁に入ろうと口を開く。


「エレナお嬢様、程々にしてあげてください。オリヴィア様が可哀相ですよ」


「……でも貴方は私の方を選ばなかったのよね」


 瑞樹は助け舟を出したつもりだったが、何故かオリヴィアの矛先が瑞樹に向き、堪らず「えぇ……」と困惑した声を漏らす。直後瑞樹ははぁと溜め息を吐きながら、オリヴィアに視線を向ける。


「オリヴィア様の衣装も大変素晴らしいです。事実選ぶのにかなり時間を使っていますからね。それでもエレナお嬢様の方を選んだのには理由があるのです」


「あら、それは何かしら? 」


「色々と事情がありまして以前同じような衣装を着た事があるのです。それで一度着た服ならまだ着こなせるかなと思いまして」


「……一度着た事があるのなら別の物で良いのではなくて? 」


「うぐ……。それはそれです、今回はエレナお嬢様の物を選ばさせて頂きました。それは揺るぎません。ですが今後同じような機会があれば、オリヴィア様に一任したいと思いますけど如何でしょうか? 」


 その提案にオリヴィアは「致し方ありませんわね」と承諾する。ただその顔は先程の不満そうな表情が消え失せ、嬉しさを前面に押し出していた。


 ともかく、何故か波乱となった瑞樹の衣装選びが終わり、漸く準備に取り掛かる事が出来たのであった。

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