終・永劫残る物

 それから従者の手を借りながら急いで準備を始めた。何故なら衣装が決まった時点で既に三十分も遅れていたからだ。それから少しして着替えも終わり、瑞樹は集合場所へ向かおうとするのだが、オリヴィアはそれを制止する。


「お待ちなさい瑞樹。まだお化粧が済んでおりませんよ」


「えっお化粧ですか? ですが絵のモデルになるだけですなのですから、別段必要無いのでは? 」


「もう瑞樹ったら、分かっておりませんわね。淑女たる者、その身を着飾った時はお化粧をするのが決まりものです。故にそのような半端な状態ではいけません」


 オリヴィアの理屈自体は瑞樹も理解出来ているようだが、問題はそこでは無い。自分はそもそも淑女では無いと反論したのだが何故かオリヴィア側へエレナも周り、あえなく多数決で敗北を喫する。


 その後議論をしている暇は無いと思ったらしく、瑞樹はすぐさま化粧台の鏡の前に座り再び従者の手を借りて、自身の顔にお化粧を施す。待つ事十分程、軽めの化粧が終わり瑞樹が仕上がりを鏡で確認すると、そこには自分では無い誰かがそこに居るような気がした。それはまるで、元の世界の続きを見ているかのようで、動画を撮って全世界に見せびらかしたい、そんな気さえ起こす程だった。瑞樹が繁繁と鏡を覗いていると、オリヴィア達も「まぁ」と感嘆の声を上げながら恍惚としていた。


「あぁ予想通り素晴らしいですわ瑞樹。これなら誰に見られても恥ずかしくありません」


「お母様の仰る通りです。女性として少し嫉妬してしまう程の美しさですわ瑞樹様」


 二人に絶賛され、瑞樹は嬉しい気持ちは勿論あったが、それでも気恥ずかしいようで頬を化粧とはまた違った赤色で染めていた。ともかく準備が終わり集合場所へ向かうと、メウェンとギルバート、それに画家と思われる白髪の目立つ茶髪の男性がそこに居た。ただ皆の顔は一様に、今にも口から不満を漏らしそうになる程渋い顔をしている。


「お待たせしてしまい申し訳ございません」


 瑞樹が深く頭を下げ謝罪すると、メウェンが「全くだ」と一言放つ。


「オリヴィアとエレナの事だ。どうせ衣装を選ぶのにかなり時間がかかるだろうと思っていたのだが……まさかその予想すら超えるとは思っていなかったぞ」


「はい、本当に申し訳ありませんでした」


  瑞樹に不満を言っても致し方無いとメウェンも思っているようだが、それでも一言言わないと気が済まなかったらしい。少し溜飲が下がったメウェンは漸く瑞樹の方へ視線を向けると、「ほぉ」と感心したような声を上げた。


「人がここまで変わるとは、正直驚いたぞ瑞樹」


「お褒めに預かり光栄です選ぶのにメウェン様」


「あの、一つ宜しいですかなメウェン侯爵様? 」


「む? どうかしたかね」


 その画家らしき人物が恐る恐る手を上げて発言の許可を得ると、瑞樹の方へ視線を送る。その顔はいかにも興味津々と言った様子で、顎に手を当てながら繁繁と見つめていた。


「この方は本当に男性なのですか? 確かに声色はそうだと思うのですが……」


「ふっ。確かにローレンス殿の言う通りだ、私ですら目を疑う程だが……残念ながら彼は紛れもなく男だ」


「私も長く画家をやってきましたが、これ程の逸材にはなかなか出会わなかったですね。大変貴重な機会を与えてくださり、感謝致しますメウェン侯爵様」


「気にするな。ただし描いた絵は貴族章の見本となる物だ、一切手を抜く事は出来ぬ。それは胸に刻んで欲しい」


「勿論そのつもりでございます。全力で取り組みましょう」


「期待している。さて瑞樹、時間が惜しい。速やかに画室へ向かいなさい」


「えっここでやるのでは無いのですか? 」


 瑞樹は部屋に入ってからそれが引っかかっていた。何故なら何処を見ても画材の一つも無く、誰がどう見ても絵を描く環境では無かったからだ。そんな間の抜けた質問に対して、メウェンは少し呆れたように肩を竦める。


「馬鹿者、ここは只の待合用の部屋だ。君にもここは集合場所だと説明しているだろう。絵を描くのは専用の画室があるのだ」


 じゃあ初めからそこを集合場所にすれば良いのに、瑞樹はそんな事を口から漏らしそうになるが何とか飲み込む。納得いかない様子のまま、瑞樹とローレンスと呼ばれる者の二人は、ギルバートを供にして画室へと向かった。


 外へと向かう渡り廊下を進むと、瑞樹の視線の先に小さいドーム状の施設があるのが確認出来た。中に入ると、大小様々な形のキャンパスやそれに使う画台、さらには瑞樹もあまり見た事が無いような道具が陳列されている。


「えぇと、瑞樹伯爵様でしたか。私は準備がありますので少々お待ちください」


「はい分かりました、ローレンスさん」


 とは言うものの大体の準備は終わっているらしく、そこまで待つ事の無く開始される事になる。瑞樹も自身の脳内にある歌の神のイメージを模倣したポーズを取り、モデルを始めた。


 それから三十分程が経ち、上げている手に疲労を感じ始めた瑞樹は何か疑問が浮かんだらしく、姿勢を維持しながらローレンスに話しかける。


「ローレンスさん。そういえばどれくらいで絵は描き終わるのですか? 」


「そうですね、後二時間程頂ければと存じます」


「に、二時間ですか!? 」


 瑞樹は大変驚いた様子で、思わずローレンスの方へ顔を向けてしまい、動かないよう注意されてしまう。だが既に瑞樹の腕は結構疲労が溜まっており、さらに精神的な追い打ちがかかったとなれば尚更腕が重くなっていく気さえしていた。


「と、途中で休憩を挟んだりとかは……」


「申し訳ありませんが極力控えて頂けたらと存じます。極力差異が生じるのは避けたいので」


 瑞樹は項垂れながら「はぃ」と小さく返事すると、再び動かないよう注意を受ける。その後瑞樹は泣きそうになりながらも、なんとかデッサン人形を勤め上げたのだが、その日ずっと腕の痛みに耐えるはめになった。ともかくその絵の出来栄えを瑞樹も自身の目を確認してみると、思わず「へぇ」と感嘆の声を上げる。鉛筆で描かれたそれはまるで写真と錯覚する程見事な出来栄えで、これなら彫金士から不満が出る事は無いだろうと瑞樹は感じていたようだ。ただ、鉛筆画ならやっぱりあそこで良かったのではと突っ込みを入れたかったらしく、それを漏らさないよう口をきゅっと閉めていた。


「どうですか瑞樹様。ご満足頂ける内容ではありましたか? 」


「はい勿論です。こんなに素晴らしい物をありがとうございます。ただ描かれているのが自分だと思うと少し恥ずかしくなってしまいますね」


「そんな事はありません。もっと自信を持ってください。叶うならば瑞樹伯爵様の事をもっと描きたい程です」


 ローレンスは年甲斐も無く興奮している様子で、鼻をふんふんと鳴らしながら熱弁するが、当の本人は少し困った様子で苦笑していた。


「ともかく私の仕事はこれで完了です。ギルバート殿、後は彫金士の方へお渡しください」


 ローレンスは絵を手に取りギルバートへ渡すと、彼は「かしこまりました」とお辞儀する。その後瑞樹はローレンスと別れの挨拶を交わし、ギルバートを供にその場を後にする。


 女装は趣味だったので別に嫌という訳では無いのだが、流石にこの手の衣装は仰々し過ぎて肩が凝る。瑞樹は嬉しさ半分気苦労半分といった面持ちで、あの衣装室へ入ると何故かまだオリヴィアとエレナの姿がそこにあった。


「あれ、お二人共まだここにいらっしゃたのですか? 」


「あら瑞樹、お帰りなさい。そういえば絵画の方は手元には無いのね」


「申し訳ありません。既にギルバートさんが彫金士の方へ持って行かれました」


 二人はどうやらその絵が見たかったらしく、瑞樹が答えた途端に落ち込んだ様子で顔をしゅんとさせていた。


「それは残念ですわ。折角瑞樹様の見目麗しい絵を拝見できると思いましたのに」


 エレナが不満気に唇を尖らせながらそう言うと、瑞樹は苦笑しながら「そういえば」と話しを戻す。


「それは勿論瑞樹が着替えるのを阻止する為です」


 瑞樹は思わず「はぃ!?」と素っ頓狂な声を上げる。瑞樹が困惑した様子でエレナに視線を移すが、「うふふ」と笑みしか返って来なかった。


「あの……仰る意味が分からないのですが、説明して頂けませんか? 」


「えぇ勿論」


 オリヴィアがこほんと一つ咳払いをした後、存外真面目な話しらしく真剣な様子で瑞樹に説明を始めた。


「恐らくこの先も貴方が淑女の衣装で人前に出る事が多々あると思います」


「それは一体何故ですか? 」


「貴族とは得てして興味の対象に執着を抱きますが、いずれ貴方の見目は噂になるのは防ぎようがありません。そして普段接している私達ですら目を奪われる程の逸材ともなれば貴婦人方が黙っている筈が無く、一目見たいとの問い合わせが殺到するでしょう。ですがそれを断ってばかりでは不和が生じかねませんし、強硬策に出る者がいないとも限りません」


「それはつまり……定期的に人前に出て人々を満足させろ、そういう事ですか? 」


「えぇ、簡単に言えばそうなります」


 瑞樹ははぁと深い溜め息を吐きながら頭を抱える。まさか貴族の在り方だけでなく貴婦人の在り方まで学ぶはめになるとは、そんな事を考えるだけで瑞樹は頭が痛くなる気がした。その様子をエレナは少し心配そうに見つめ、優しく話しかける。


「大変かもしれませんがこれも瑞樹様を想っての事ですわ。私達も全力で協力致しますし、それに今すぐそうなるという訳ではありません。色々な衣装を着こなして、少しずつ心構えや所作を学んで頂ければ十分ですわ」


 エレナの励ましに背中を押された瑞樹は、遂に覚悟を決めて「承知致しました」と返事をするのだが、どうにも引っかかる事があるらしく、それを二人に尋ねる。


「あの、失礼を承知でお聞きしたいのですが……まさか私の着せ替えを楽しんでいる訳では無いのですよね? 」


 その言葉はどうやら図星だったらしく、二人は目をぱちくりと開けた後誤魔化すように「おほほ」と笑っていた。それを察した瑞樹はじっとりとした視線で二人を睨むが、頑なに視線を合わせようとはせず、その場はお開きと相成った。この瞬間、二人が打ち立てた『瑞樹淑女化計画』がこっそり始まった事は当の本人は知る由も無く、お風呂で着替えるその時までそれを脱ぐ事を許してくれなかった。

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