苦手です

 翌日瑞樹は朝食を取った後、メウェンのいる執務室へと向かう。ちなみに先日の夜は何だかんだ彼の使い慣れている寝込んでいたあの部屋を使っていた。


「メウェン様、瑞樹様をお連れ致しました」


「分かった、入りなさい」


 従者に促され瑞樹が足を踏み入れると、中はいつも通りメウェンとギルバートの両名が居た。メウェンは執務を切り上げ応接用の卓へ付くと、瑞樹も同じ卓に座る。その後、ギルバートがお茶を二人に淹れ、一息ついた後にメウェンが口を開いた。


「では瑞樹、先に一番重要な事を伝えよう。君の任命式の日取りが決定した。今日から丁度二週間後だ」


「任命式、ですか。そこで私は正式な貴族となるのですね」


「まぁ実際は既になっているようなものだが、今は置いておこう。それに関して君に考えておいてもらわなければならない事がある」


「それは一体何ですか? 」


「一つは貴族章の図案、これは後で説明する。もう一つは任命式での君が話す演説の内容だ」


「演説って、そんな事をするのですか? 私はてっきり謁見の間で国王陛下から拝命されて終了かと思っていたのですが」


 その言葉にメウェンも顎を手で撫でながら少し考え込む。


「ふむ、確かに平生ならそうかもしれぬ。ただ今回は事情が違うようだ。それは国王陛下に直接尋ねると良いだろう」


 瑞樹は思わず「えっ?」と素っ頓狂な声を上げる。まさか直接聞いて来いなどと言うとは瑞樹も思っていなかったようで、眉を顰めていた。


「いくら何でもそんな簡単に国王陛下と口をきけるとは思えないのですが……」


 瑞樹が恐る恐る手を上げながら疑問を口にすると、メウェンはふっと笑みを零しながらギルバートに指示をして何かを持って来させた。


「君もこれに見覚えがあるだろう? 触れながら魔力を流してみなさい」


 それは瑞樹も以前見た黒い板切れのような物、この世界の密書だった。瑞樹は驚きつつもそれを繁繁とみつめながらメウェンの言う通りにする。すると真っ黒の板切れから、さながら炙り出し文字のようにじわじわと浮かび上がって来た。その内容を見た瑞樹は大いに驚いたようで、暫く絶句する。


「どうした? 一体何が書かれていた? 」


「は、はい。明後日の日付と指定された時間に来い、としか書かれていませんでした」


 瑞樹がそう言うと、メウェンは酷く苦々しい顔をしながら「やはりか」と呟く。どうやら心当たりがあるらしく、疑問に思った瑞樹は尋ねてみる。


「やはりかとは、何かご存じなのですか? 」


「いやそうでは無いのだが、先日の密書の内容を思い出してな。……内容は可及的速やかに来い、としか書かれていなかったのだ」


 メウェンの瞳は何処か遠くを見ながらふっと諦めのような物が混じった笑みを零した。可及的速やかになど、暗にさっさと来いと言っているような物で恐らくその時のメウェンはとても驚いた事だろう。その結果言う程大した話しでは無かったのだから肩透かしも良い所だ。


「国王陛下って……随分とお茶目なのですね」


「あれはお茶目と言うより……いや止そう」


 その先を言う事を止めたメウェンだが、瑞樹はその先を何となく察していたようだ。何故なら自身でも大分言葉を選んでお茶目と評したのだが、心中はそこまで穏やかとは言えなかった。


「ふぅ……やれやれ。本題に戻そう」


「そうですね」


 二人は一度溜め息を吐いた後、お茶を飲みながら心を落ち着かせて本題に戻る。


「演説云々は先程話した通り私も知らぬ。恐らく国王陛下にお考えがあるだろうから明後日尋ねなさい。それで次の貴族章に関してだが……ギルバート、私の貴族章を取ってくれ」


 命令されたギルバートはお辞儀をしながら「かしこまりました」と返事をして、メウェンの執務机に向かう。すると鍵の掛けられた引き出しからそれを取り出し、メウェンへと手渡した。


「確か瑞樹も見た事があるのだったな。これが貴族が貴族である事を証立てる物、貴族章だ」


「はい、一番最初はファルダン様が所持していたのを見た覚えがありますが、図案とはもしかして中央のこれの事ですか」


「うむ。その通りだ。これは水の神と我が家の紋章を模した物となっている。本来であればこの神の図案ははほぼ全てが網羅されているのだが、何分歌の神が貴族となった例が一度も無い。それどころか信徒すらいないのだから図案も存在しない。故に君にその図案を考えて欲しいとの事だ」


「信徒云々はともかく、それ本当に私で良いのですか? 神の絵図なんかそれこそ教会に頼んだ方が良いのでは? 」


「確かに君の疑問も尤もなのだが、国王陛下も何かお考えがあっての事なのだろう。必ず君にさせるよう厳命を受けている」


「そういう事であれば致し方ありませんが……」


 瑞樹は途中で口を噤み表情を曇らせると、メウェンはそれを困惑した様子で見つめる。


「む? 何か心配な事でもあるのかね? 」


 その問いに暫く瑞樹は答える事が出来ず、ふぅと自分を落ち着かせるように息を吐いた後、メウェンに視線を向ける。


「実は、私絶望的に絵が下手なのです」


 心配して損した、メウェンはそんな風に大きく溜め息を吐くが瑞樹の胸中は穏やかでは無い。本当に悩んでいるんだと言わんばかりに彼をじっとりと睨み付ける。


「メウェン様、本当に悩んでいるのですよ? 私の絵図が採用される事があれば、自分は絵が下手ですと流布しながら生きていかねばならなくなります。そんなの恥ずかしくて耐えられません」


「ぷふっ……いや失敬。確かに君の絵の程度が如何程か分からぬが、最終的には家紋となるそれの見目が悪いとなると問題があるかもしれん。ならば一度この目で確かめなければならぬな。ギルバート、お前が彼の題材になりなさい」


「かしこまりましたメウェン様。では絵画道具をお持ち致します」


「いや要らぬ。程度を見るだけだ、そこらの紙とペンがあれば十分だ」


「えぇ……」


 勝手に話しの進んでいる事に瑞樹は困惑した様子だったが、決まってしまった物は致し方無い。彼は覚悟を決めてペンを握り、ギルバートを凝視しながら紙に描いていく。


 三十分程経過した頃、瑞樹は「出来ました」と声を上げメウェンへとそれを手渡す。すると彼の顔はどんどんと引きつっていき、流し目で見たギルバートですらうっと唸る程だった。


「これは……実に前衛的ですね……」


「いやギルバート、これは前衛的とかそういう問題では……」


「ちょっとお二方、それ以上は本人のいない所でお願いします……!」


 言葉を選んでくれたであろうギルバートとどう評すれば良いか分からないメウェンを、瑞樹は顔を赤くしながら訴えかける。するとメウェンは「いや失敬」と謝罪し、こほんと一つ咳払いをしてから瑞樹の方へ視線を向けた。


「瑞樹の絵心は承知した。その上で君に図案の作製をしてもらおう」


「……正気ですかメウェン様。メウェン様も先程言葉を失う程の酷さですよ? 」


「勿論私は正気だ。君の絵の程度はともかく、これは国王陛下からの命令だ。絵が下手だからは関係無い」


「それは……確かにそうですが」


「まぁ君の絵を元に彫金士が上手くやってくれるだろう。故にそこまで深く考えずとも大丈夫だ。それよりもなるべく早めに原案を考えなさい」


「承知しました」


 瑞樹は言いくるめられたような気がしたが、国王陛下の命令と言われればどうしようも無い。それに彫金士が上手くやってくれるならと、瑞樹はそれ以上深く考えず自室に戻って思案に耽る。


 それから昼食を挟んで少し経った後、瑞樹は「出来ました」とメウェンの執務室へと報告しに来た。


「出来たか。では見せてもらおう」


「はい。ですが笑わないでくださいね? 」


「笑う訳無かろう」


 先程メウェンが思わず吹き出していたのをその目でしかと見ていた瑞樹は、少しだけ顔をむっとさせて突っ込んでやろうかと思っていたようだが行動には移さず、ただひたすらにメウェンの評価を待っていた。


「……一応聞くが、これは歌の神なのだな? 」


「……一生懸命描いた物を説明するのは、少々心にくるものがあるのですが」


「……済まぬ。だがこれは、申し訳無いが解読出来ん」


 瑞樹の脳内では、髪が地に着きそうな程長い女性が手を前に出しながら歌うのを横から覗いている感じで、その女性を五線譜が螺旋状に柔らかく包み、周囲を音符が舞っている。そんなイメージで描いた筈だが、それを見たメウェンはまるで化け物を見るような瞳をしていて、先程以上に顔を引きつらせていた。


「君が懸命に描いたのは伝わる。そこは評価しよう。ただこれは彫金士もどう言うか分からんな。ギルバート、一応これを見せて出来るかどうか聞いてくれ」


「かしこまりました」


 そう言ってギルバートは瑞樹の絵図を手に取り部屋を後にする。待つ事一時間程、瑞樹がメウェンの執務を手伝いながら待っていると、ギルバートが戻って来たのだが、その表情は随分曇っていた。


「どうだったギルバート? 」


「申し訳ありません。残念ながら丁重に断られました。流石にこれでは無理があると」


 ギルバートが申し訳なさそうに頭を下げると、察しの付いていたらしいメウェンは「まぁそうだろうな」と事も無げに返す。一方瑞樹も内心そうなるだろうなと思っているようだったが、実際に断られて少しショックを受けていた。


「致し方無い、最終手段だ。瑞樹、君がこの絵の女性になりなさい」


「はい? 」


 瑞樹は素っ頓狂な声を上げながら首を傾げ、「仰る意味が分からないのですが」と返すと、メウェンは口をにやりとさせながら説明を始める。


「この絵の情景を完璧に再現できるのは君しかいない。ならば君が自身の身体で再現し、それを一度絵画におこせば彫金士も満足するだろう」


「説明は分かりましたけど……それって私の姿が一生残るって事ですよね? しかも神として」


「まぁそうなるな。実に光栄な事だろう? 」


「光栄かもしれませんが、それでも恥ずかしさの方が勝りますよ。万が一神として崇められた日には恥ずかしすぎて死んでしまいます」


「致し方無かろう、他に良い代案が無いのだからな。……それにもう遅いかもしれん」


「遅いって、どういう意味ですか? 」


「いや気にするな。画家等の手配はこちらでする。今日はもう休んでエレナとお茶にすると良い」


 メウェンは小声で呟いたつもりなのだが、意外と耳の良い瑞樹はそれを聞き逃さなかった。訝し気に尋ねてもはぐらかされるだけで進展も無い、渋々瑞樹は諦めてメウェンの提案に乗り、エレナの所へ向かう事にした。

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