分水嶺─Ⅱ

「国王陛下が入室される。各々頭を下げよ」


 瑞樹から向かって正面側、国王の椅子の隣で控えていた文官が仰々しく声にする。すると部屋の中に居た六人の騎士達が一矢乱れぬ動きで頭を下げる。それをちらりと視線だけ送っていた瑞樹は、やはり中に人がいるのかと、実に失礼な事を考えていた。その後、瑞樹の右手側、椅子から程近い場所の扉が開く。初めに護衛騎士が数人、次に文官、そして最後に国王陛下その人が現れ、静々と椅子に座る。


「メウェン侯爵、首尾はどうか」


 国王がメウェンへ直接尋ねると、真剣でとても緊張した面持ちで答える。いくら侯爵でも相手が国のトップともなれば緊張するのかと、自分の事を棚に上げながら瑞樹はそんな事を考えていた。


「はっ。国王陛下の命により橘瑞樹を連れて参りました」


 国王はうむと一言だけ返事をして頷き、瑞樹の方へ視線を動かす。目を合わせていないにも関わらず、瑞樹は謎の重圧感を感じ、国のトップの圧という物を初めて直接感じた。


「お主が橘瑞樹か。顔を上げよ」


 瑞樹ははいと返事をして顔を国王の方へ向ける。すると取り巻きの文官の方から「ほう…」や「平民にしては…」などと言いたい放題、遠慮も無しに言葉にしていた。それを聞いた瑞樹は少しイラっとするが、ここで顔に出すのはまずいとすぐに怒りを引っ込ませる。ともかく、瑞樹は初めて国王を目の当たりにする。赤が基調のマントと服、王冠は被っていなかったが、その白髪と深く掘られた皺は随分歳を感じさせる。さらに気になったのは華美な装飾が施された杖で、先端には水晶のような物が取り付けられていた。


 瑞樹は国王の視線から目を離す事が出来なかった。勿論目を逸らすのは失礼と、そんな気持ちもあったのだが、そんな単純な話しでは無い。まるで心を見透かしているような、そんな気さえしてくる程だ。誰も口を開かず暫く間が空き、国王が遂に口を開く。しかしその内容は衝撃的な物だった。


「橘瑞樹、お主を王都直属軍の魔導士部隊配属へ任命する」


 瑞樹は思わずは?と素っ頓狂な声を上げる。意味が分からないというのが率直な感想だった。話しの流れも無茶苦茶で、意図も不明。仕方なく瑞樹は恐る恐る尋ねようと試みる。


「あの、恐れながら国王陛下。質問をしても宜しいでしょうか」


「無礼者!誰が口を開いて良いと言った!平民の分際で国王陛下に物申すなど許されぬぞ!」


「ダールトン、良い。説明してやると良い」


 瑞樹がそれを口にした途端、ダールトンと呼ばれる国王の隣にいた文官が青筋を立てながら激昂する。確かに知らないで済む話しでは無いかも知れないが、瑞樹にとってはとても重要な事だ。何も知らずにはいそうですかのどと返事が出来る筈も無かった。その後国王陛下が手を上げ、ダールトンを制止し、瑞樹へ説明するよう促す。ダールトンは渋々といった様子で瑞樹を睨み付け、説明を始める。


「了解致しました国王陛下。…そこの平民国王陛下の寛大さに感謝しながら良く聞くと良い」


 曰く、貴族の中から選りすぐった精鋭部隊で、魔力の高さもさる事ながら特殊な分野に秀でている者も選抜される事もあるそうだ。それは瑞樹に対して、お前の魔法の正体を知っていると暗に言っているようなものだった。そして瑞樹にはもう一つ気がかりな事があった。それは—


「貴族の中とは…それはつまり…」


 瑞樹はその後が口に出せず口籠ると、ダールトンは鼻で笑いながらその疑問に答える。


「ふん、所詮は平民。気にする所はそれか。お主の考えた通り、身分不相応ながらも男爵の爵位を与えられる。そうすれば晴れてお主は貴族の仲間入りという訳だ」


「それは…それでは私はどこで暮らせば…?」


「いちいち細かい事を聞いてきおって。聞く所によるとお主はメウェン侯爵と親交があるそうではないか。現にこうして侯爵と共に謁見に来ているのだからな。なれば侯爵の厚意に甘えるが良かろう?そうすれば平民の町で暮らす必要も無い」


 それは瑞樹にとっては死刑宣告と同義だった。貴族になれば今までと同じような生活には戻れない、大切な人とも離れなくてはいけない。いつかその日が来るのは瑞樹も覚悟を決めていた。だがこれ程急に、国王陛下の一存で決められるなど、瑞樹は許せなかった。


「恐れながら国王陛下…万が一お断りしたらどうなりますか?」


 瑞樹のその言葉には、ダールトンやその文官のみならず、隣にいるメウェンでさえ視線を向けて目を丸くしていた。一方国王陛下はというと、目を閉じたまま沈黙を守っている。ダールトンが説明始めていた辺りからずっとこの様子で、瑞樹は少しずつ苛立ちを募らせていた。


「お主は…!国王陛下の命を何と心得るか!平民風情が断るなどあり得ぬぞ!」


「そうだ瑞樹!思う所があるのは分かるが、断るのは絶対に駄目だ」


 ダールトンとメウェンは眉間に皺を寄せ、青筋を立てながら瑞樹を怒鳴りつける。それでも瑞樹は首を縦に振る箏は出来なかった。 その様子に耐えかねたダールトンは声を荒げたまま、入り口の扉に立っていた護衛騎士に命令を下す。


「お主にその気が無いならさせるまでだ!おい、あれを中に入れろ!」


 瑞樹の後ろの扉が開き、誰かが中に入って来る。ガシャンガシャンと甲冑の擦れる音と、猿轡をされているのか、かなりくぐもっていて聞き取りずらかったが、それは間違いなくビリーとノルンだった。それが瑞樹の背後から横を通り、目の前に来る。瑞樹の前に居るのは確かにその二人で、予想通り猿轡をはめられていた。そしてさらに瑞樹は目を疑う。隣にいる騎士が剣を抜き、二人の喉元に近付けていた。


「これは…これは一体何ですか…答えてください国王陛下!」


 思わず瑞樹は大声で国王陛下に尋ねるが、依然沈黙を守ったままだ。


「お主は何度無礼を重ねれば気が済むのだ!その代償、その者ら命では償いきれぬぞ!」


「ですが…!」


 ダールトンの言葉に瑞樹はぐっと奥歯を噛みしめる。これでは命令では無く、ただの脅しだ。だが瑞樹には最早どうする事も出来なかった。藁にも縋る思いでメウェンに視線を向けるが、黙って首を横に振るだけだった。そして、ダールトンは瑞樹に冷ややかな視線を浴びせ、吐き捨てる。


「沈黙したままとは…良い度胸だ。おい、その童女の首を刎ねろ」


 ダールトンの命で、騎士の件がノルンの喉元にゆっくりと近付く。ノルンは今まで、瑞樹に心配かけまいと必死に我慢してきたが、迫りくる死の恐怖には耐え切れず、遂に「ん゛ん゛ー!」と声にならない悲鳴をあげた。その時、瑞樹の中の何かが壊れた。



―あれ、何を俺は我慢しているんだっけ


―もう分からない


―俺からまた大切な物を奪おうとする世界なんて


―そんな世界



―壊れてしまえば良い



 アハハと誰かが笑い声を聞いた瞬間、ビリーとノルンを捕えていた騎士はその場に突っ伏し、痙攣したまま動かなくなった。室内に居る者全てが何が起こったのか分からず狼狽えていると、瑞樹の現状を見たビリーと、そして国王陛下だけはどことなく察していた。


 瑞樹の身体からは、ビリーが以前見た黒い靄がまるで蒸気のように噴出していて、それが騎士に纏わりついた瞬間、その場に倒れた。理屈は分からないが、それを目撃した文官はそう判断せざるを得なかった。そして瑞樹はゆっくりと立ち上がり、ふらふらとさせながら徐々に国王へと歩み寄る。それを見たビリーは騎士の持っていた剣で無理矢理手枷と猿轡を破壊し、何が起きているの処理が追い付かず、気絶しているノルンを抱き抱えながら、瑞樹を止めようと大声を出す。


「おい瑞樹止めろ!俺達は大丈夫だから落ち着け!」


「そ、そうだ瑞樹!馬鹿な事は止めるんだ!」


 ビリーと、我に返ったメウェンが制止を試みるが微塵も効果が無かった。さらに、ビリー瑞樹の顔を見て愕然とする。その表情は…その瞳はあまりにも幼く純粋で、そして壊れていた。かつて瑞樹だった物は壊れた笑みを顔に張り付けたまま、ビリーを通り過ぎる。ビリーはそれを止める事が出来ず、血が滲むほど手を握り締めていた。


「な、何をしている六柱騎士!早くあれを止めろ!その称号が飾りでは無い事を見せろ!」


 狼狽したダールトンが、置物と見紛う六人の騎士に命令を下す。六柱騎士、それは六属性の神々に限りなく近づいた者に与えられる最強の証である。その六人が国王の前に並び瑞樹を止めんと各々魔法を放つ。得体の知れない魔法を相手が使っている以上、六柱騎士も全力で魔法を放つしか無かった。ただそれは—


全てを焼き尽くす業火も—

全てを飲み込む激流も—

全てを斬り刻む暴風も—

全てを押しつぶす岩塊も—

全てを昇華する天光も—

全てを消し去る暗黒も—


 今の瑞樹にはまるで効果が無かった。その魔法が放たれた瞬間、瑞樹を覆う黒い靄が魔法を飲み込み消滅させていた。負けじと六柱騎士が何度も魔法を放つが、遂には魔力切れとなり、その場に倒れる。先程の喧騒から一転、息を呑む程に室内は静まり返り、重い空気が支配する。そして誰かが瑞樹に向けてこう呟いた。


―悪魔だ、と。


 そして瑞樹は国王の座す場への、階段まで迫る。何度か護衛の騎士が抵抗を試みるが、瑞樹に近付いた途端に黒い靄に飲み込まれ、その場に倒れこむ。ダールトンを含め他の文官は、尻もちをついて震えていたが、国王は未だに毅然としていた。


 瑞樹はそこでピタリと止まり、ゆっくりと口を開く。瑞樹の頭の中ではずっと誰かがウタエと囁いていた。それは以前危険すぎると瑞樹が歌わなかったもの。それは世界を終焉に導く歌。もう良いか、もう充分我慢した、瑞樹はその声に完全に支配され、声を出そうとしたその時。


「止まれって言ってんだろうが!」


 振り向いた瑞樹の顔に、ビリーの拳が突き刺さる。その想いが通じたのか、少しだけ瞳に力が宿りビリーへと視線が向き、そして一言だけ口から漏らして意識を失う。


―もう嫌だ、と。

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