お仕置き

 瑞樹達がニィガに戻って早二日が経つ。アートゥミでの優雅な生活が嘘のように、瑞樹とビリー、それにノルンがお仕事にせいを出していた。というのも日中瑞樹とビリーは基本的に外へ出ているので、家には誰もいなくなる。そんな所へノルンを置いておく事など出来る筈も無く、瑞樹はオットーに相談していた。するとオットーは、厨房の皿洗いになら採用しても良いと提案する。


 曰く、少し前に瑞樹が作った試作餃子が最近正式採用されたらしく、味もさる事ながら瑞樹が考案したものと宣伝したら冒険者連中に結構好評で、厨房のジェイクから人手が足りないと泣きが入っていた。そこに丁度良くノルンの件が来たという寸法だ。


 瑞樹としては申し分無い提案だが、本人の意見も尊重されなければならない。ノルンにこの事を尋ねると、元気良く「はい、やります!」と手をあげて応える。お仕事が出来る、それも瑞樹と一緒の職場というのがノルンのやる気をさらに引き出したのだろう。ただ、そのやる気が空回りして一悶着あったのだが、今回は割愛される。


 お昼頃より少し前、店内はがらんとしていた。瑞樹は忙しくなる前に掃除を済ませておこうと、テーブルや椅子を吹いていたその時、外の方から騒がしい音が聞こえてくる。ガラガラゴトゴトと、やけに急いだ馬車の音だ。折角静かで良い気持ちでお仕事していたのにと、瑞樹は眉間に皺を寄せながら外の方へ視線を向ける。外の馬車のを見た途端、瑞樹はどっと汗が吹き出る。


「…あ~!忘れてたぁ!」


 瑞樹は頭を抱えながら思わず叫ぶ。その馬車の旗印は、メウェン侯爵の物だった。そう、瑞樹はあろう事か侯爵家の御令嬢、エレナとの約束をすっぽかしていた。


 だらだらと冷や汗をかいている瑞樹の周りに、ハンナとシーラ、それにノルンが駆け寄る。瑞樹の様子と外の馬車、三人はそれを交互に見ながらあぁ…と何となく察しがついていた。三人が憐れむような目で瑞樹を見ていると、馬車から一人の男性が降りてくる。白髪で顔には深い皺があるが、身なりや行動の隅々に至るまで洗練されていた。誰だっけ?瑞樹は顎を撫でながら考えていると、その男性が瑞樹に話しかけてくる。


「瑞樹様ですね?メウェン侯爵様の命によりお迎えに参りました」


「あぁ…やっぱり、分かりました。ところで貴方は一体?」


「申し遅れました。私はメウェン侯爵様の執事、ギルバートと申します。以後お見知りおきを」


 自己紹介をしながらギルバートと名乗る男性は恭しくお辞儀し、慌てて瑞樹も同じように返す。その後、オットーやハンナ達にノルンの事を任せ、瑞樹は馬車へと向かう。本当は私服に着替えたかったのだがギルバートが時間が無いからそのまま来いと、瑞樹に遠回しに圧力をかけてくるので泣く泣く制服のまま向かう事になった。心配そうな顔をしているノルンを、瑞樹は目一杯抱きしめ「明日か明後日には帰るから心配しないで」と優しく女声で話す。こくりとノルンは頷き、瑞樹は後ろ髪を引かれる思いだったが致し方ない、エレナ嬢との約束は守らなければならない。…既に反故にしているが。


 馬車に揺られる事一時間、瑞樹は車内の気まずい空気に一生懸命耐えていた。ギルバートに話しかけようにも、静かで冷たい雰囲気がより一層瑞樹の口を重くさせる。その後遂に耐え切れなくなった瑞樹は、意を決して重く閉ざされた口を開く。


「あの…ギルバートさん。一つ伺ってもよろしいでしょうか」


「私に答えられるものであれば何なりと」


 ギルバートが瑞樹に視線を合わせる。見た感じは温和そうだが、刺すような鋭い視線を瑞樹はどうにも苦手としていた。瑞樹は少し口籠った後、ギルバートに尋ねる。


「エレナお嬢様は…怒っていらっしゃいますか?」


 瑞樹が尋ねた途端、ギルバートの顔が青くなり眉間に皺を寄せていく。


「それは…恐れ多くて私の口から言う事は出来ません。申し訳ありません」


 ギルバートの回答を聞いた瑞樹は、びしりと身体が硬直する。執事の人が口籠る程怒りが深いとなると、ノルンと今生の別れになるかもしれない。瑞樹はとても遠い場所を見るような目で、残りの道を馬車に揺られていく。


 メウェンの邸宅に到着し、前回来た時のように瑞樹は従者からお出迎えを受ける。そのまますぐに従者に案内されながら、とある一室に向かう。そこは、メウェンの執務室だった。


「メウェン様、瑞樹様が到着致しました」


「入りなさい」


 メウェンの言葉を聞いた従者は、部屋の扉を開ける。瑞樹はごくりと固唾を呑み、恐る恐る足を踏み入れる。ガチャリと扉が閉まった後、一時静かな間が空き、メウェンが瑞樹をじろりと睨み付けて口を開く。


「待ちかねたぞ」


「はい…申し訳ありませんでした」


 顔を青くして怯えている瑞樹を見て、メウェンは深く溜め息を吐きながら眉間を指で押さえる。


「…本当はエレナに合わせる前に君の事を叱責しようと思っていたのが…今の君には少々酷だな。今回はあくまでエレナ個人との約束という事で私からはとやかく言わないが…貴族との約束を反故にするなど本来あり得ない事だ。場合によっては処刑もあり得る…それを肝に銘じなさい」


「はい…本当に申し訳ありませんでした」


 瑞樹はメウェンの寛大な処置に心から感謝し、深く頭を下げる。メウェンは苦笑しながら、手元にあったベルをチリンチリンと鳴らして従者を呼ぶ。


「もう良い。それに謝る相手を間違えているだろう?…本当は今の君の姿に関して問いたい所だが、それは後にしよう。今従者を呼んだのでエレナの所に向かいなさい」


 メウェンがそう言うと、まるでタイミングを計っていたかのように従者が部屋に入ってくる。瑞樹は退室の挨拶を交わした後、エレナの部屋に案内されていくのだが…その部屋に近付くにつれ心なしか寒くなっているような気がした。


「こちらでございます。では私はこれで失礼致します」


 珍しく従者が部屋の扉を開けず、そのまま立ち去る。瑞樹は不思議そうに首を傾げながらも、部屋の中にいるであろうその人に入室の許可を頂く。


「エレナお嬢様、入ってもよろしいでしょうか」


「えぇどうぞ」


 エレナの声色は意外と普通だった。瑞樹は少しだけほっとしてドアノブに触れると異常に冷たく、思わずばっと手を放す。いくらこれから寒くなるとはいえ、まだまだ暑い。それが真冬の時のようにキンキンに冷えていた。瑞樹は困惑しながらも、異常に冷えたドアノブを回し扉を開ける。そこで瑞樹が見たものは、氷だった。


 部屋の中ではエレナとオリヴィアが椅子に座っていたのだが、問題はそこでは無い。二人の周りを雪のように白くて小さい氷塊がくるくると回りながら包み込んでいた。ひぇ…と瑞樹が思わず悲鳴をあげると、二人の視線が瑞樹に突き刺さる。口角は上がっているが目は全く笑っていない。鋭く、とても冷ややかな視線を瑞樹に送りつけながら、ゆっくりと口を開く。


「あら瑞樹様。そんな所で固まっていないで部屋へ入ってくださいな」


「そうですわ。瑞樹とはゆっくりとお話しをしなくてはいけませんもの。ねぇ?」


「は…はぃ」


 顔を青くしながら瑞樹は中へ足を踏み入れる。寒い、誇張でも何でもなく、部屋の中は冷え切っていた。二人に促され瑞樹は椅子に座ると、それは氷で作られていた。こうして瑞樹は身も心も凍り付かせながらい仕置きを受ける事になったのである。


「瑞樹…言いたい事は分かりますね?」


「はい…遅れてしまい本当に申し訳ありませんでした」


「瑞樹様、約束とは守る為にあるのです。決して反故にする為ではありませんのよ?」


「はい…仰るとおりです」


 二人の静かな怒りを瑞樹は一心に受け、身体を縮こませてながら、しゅんと顔を俯かせている。その様子を見た二人は瑞樹が反省したか、は心の片隅に置いて別の感情が暴走し始めていた。


「本当は瑞樹様には日頃の鬱憤をぶつけようと思っていましたけど…もう我慢できません。ねぇお母様?」


「そうね。今の瑞樹の姿は…まるで神のお導きのようだわ」


 二人の目の色がおかしい。まるで餌を見つけた肉食獣のようになっている。先程メウェンも言っていたが自分の姿が一体何だと、ちらりと自分の身体に視線を向ける。…忘れていた、今酒場の制服だったと瑞樹は頭を抱える。それは黒と白が基調のエプロンドレスで無駄にスカート丈が短く、ガーターストッキングを穿いていた。


「では瑞樹様、部屋を移しましょう」


「ど、どちらへですか」


「そんなに怯えなくても大丈夫です。本当は貴方へのお仕置きの為だったのだけれど、これではお仕置きにならないかもしれないわね」


 貴き身分の令嬢と婦人とは思えない程、鼻をふんふんと鳴らして興奮している二人に文字通り引きずられながら、瑞樹は近くの部屋へと移動する。いつの間にか二人を包んでいた吹雪のような物は消え、廊下の暖かさに現状を忘れてしまうほど瑞樹はほっこりしていたが、その部屋の中を見た途端瑞樹は再び凍り付く。その部屋は何処を見ても女性の服だらけで、まるで女性用の衣服店の様相だ。三人が入室したのを確認した後、扉を閉める従者のその目は、瑞樹に憐れみを送っているようだった。ばたんと扉が閉まり、室内はエレナとオリヴィア、それに瑞樹のみになる。すると途端にエレナとオリヴィアはより一層目を煌めかせながら瑞樹に詰め寄る。


「さぁ瑞樹様。その服も大変素晴らしいですが脱いでください。お母様、まずはどれを着て頂きましょうか」


「そうねぇ…これはどうかしら?」


「あぁ素晴らしいですわ、流石お母様!」


 オリヴィアが手に取ったのは目の覚めるような赤色のAラインドレスで、肩や背中を惜しげも無く見せる物だった。事態をまるで飲み込めない瑞樹は、いつのまにか二人の後ろに控えていた従者に視線を送るが、皆一様に首をふるふると諦めるように横に振るだけだった。


 こうして瑞樹は、お仕置きと称した着せ替え人形役をじっと耐えるはめになる。貴族である事を忘れきゃいきゃいと楽しむ様は、いつか語られるかもしれない。

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