想いを馳せて

 あれから三日が経ち、本番当日の朝。瑞樹は会場となるファルダン邸宅の大広間で想いに耽っていた。それはいつの日か見た夢、初めはただのアイドルアニメだった。一杯特訓して、一杯レッスンして、夢だったステージに立つ、そんなアニメにいつしか瑞樹は惹かれていく。キラキラのステージで歌う…それはどれ位気持ちが良いのだろうと。その後、一回だけでも、せめて観客席から見てみたいと小さなライブステージへ足を運ぶ。そこで瑞樹が目にしたものは、自身の想像を絶する程のキラキラだった。観客席から手を伸ばせば触れてしまいそうな距離のステージで、アイドルはスポットライトを一身に浴びて歌うその姿はとても煌めいて、楽しそうに見えた。想いはより熱く、強くなり自身も本気でステージ立ちたいと、家族と喧嘩して家を飛び出す程本気で努力して頑張って、そして…挫折した。結果はご存じの通り、動画投稿で少しでも見て欲しい…その程度に成り下がっていた。


 大広間にあるピアノに触れ、目を細めながら当時の事を想起しているとガチャリと入り口の扉が開く。瑞樹がそちらの方に視線を移すと、そこにはビリーとノルンがいた。


「よぉ、今日は楽しみにしてるぜ」

「姉さんの歌、私も楽しみです」


 ビリーはいたずらっ子の様にからかう感じだったが、ノルンは本心からだろう、既に興奮気味で鼻息を荒くしていた。二人はファルダンの配慮のお陰で客席からでは無いが、舞台袖の控え室から覗く事を許されていた。


「あぁ精一杯頑張るけど期待はしないでくれよ」


「そういえばまだ衣装には着替えて無いんだな」


 「からかってやろうかと思ったのに」とビリーがニヤニヤしながら呟くのが瑞樹にも聞こえ、「お前なぁ…」と頭を抱えてさらに続ける。


「本番は夜だぞ?今から着てどうすんだよ。というかお前らこんな早く何しに来たんだ?」


 本番まだ半日以上もある、瑞樹が不思議そうに眉を上げるとビリーがノルンの頭にポンと手を置く。ノルンは顔を赤くし、もじもじしている。


「いやぁこいつがな?朝からそわそわして全然落ち着かねぇもんだからよ、面倒くさいから連れて来たんだ」


「あぅ…でも兄さんだって昨日から楽しみにしていたじゃないですか、姉さんの歌を聴くのはかなり久し振りだって」


 ノルンがしたり顔で話すと、ビリーは顔を赤くしてノルンの口を手で抑えつける。モガモガギャーギャーと実に楽しそうな様子に瑞樹も顔が綻ぶ。


「でも歌なんてお前何回も聴いているだろ?何を今更」


「馬鹿、ありゃ魔法だろ。そうじゃなくてお前が人に聴かせる為の歌何てそれこそ、出会った当時少しだけ聴いたくらいだろ」


 ばつの悪そうにビリーが言うと、瑞樹も顎を撫でて思案しながらそういえばと呟く。


「そんな訳だから俺達はいったん戻る、また時間になったら来るぜ。行くぞノルン」


「あぁんもう引っ張らないでください、では姉さん本番とても楽しみにしていますね。…もうだから引っ張らないでってばぁ!」


 ビリーはノルンの手を引っ張りながら立ち去り、ノルンの要求は虚空へと消えていく。騒がしい奴と、瑞樹が苦笑していると今度はファルダンが入室した。


「ほっほ、調子はどうですかな?瑞樹殿」


「はい。たった今激励を受けてとても良い気分です。ファルダン様、お心遣い感謝致します」


「これしきの事どうという事はありませぬ、それにわたくしも期待していますからな。調子が悪いと困ります…身支度の時間までまだ時間があります、ゆっくり待っていてください」


 ファルダンがほっほと微笑みながら退室するのを見届け、瑞樹は少しずつ高まる緊張をなんとか抑えようと、心を落ち着かせながらその時が来るのを待っていた。


 日が落ち辺りが随分と暗くなった頃、朝は随分と広く感じた大広間がファルダンに招かれた客人で埋まっていた。この会は各地の商会の長が集まる親睦会のような物で、貴族までは行かないにせよ随分と着飾っている。参加者が食事を楽しんでいる間、瑞樹は控室で否や準備を進めていた。


「よぉ瑞樹また来たって…ぜ」

「姉さんまた来ました…わぁ…!」


 二人は控室に入るや否や、ビリーは岩のように固まりノルンは目を見開いて驚く。ただ一つ合致しているのは瑞樹の姿に見惚れていた。淡い青色のスレンダーなドレスで惜しげも無く肩を露出させている。飾りは一切施されておらず星の形を模した髪飾りを一つ着けているだけで、さながら夜天に輝く星々の煌めきを想起させる。顔は頬と唇に薄く紅が塗られ、瑞々しい若さを演出していた。


「あぁお前達来たか…って何入り口で固まってんだ?さっさと閉めろ」


 瑞樹は訝しそうに言うが二人は未だ固まっている。お~いと手を振りながら呼ぶと漸く二人は我に返る。

ビリーは目を逸らしていたが、ノルンはきゃいきゃいと飛び跳ねていた。


「姉さん凄いです!とってもとっても綺麗です!ね、兄さん?」


「お、おうまあまあ似合っているな…」


 ビリーの煮え切らない言葉にノルンはぶーぶー言っているがそれでも瑞樹は嬉しかった。もっとからかわれたり馬鹿にされたりすると思ったからだ。瑞樹は目を細め女声でありがとうと微笑む。その時、舞台袖の扉からファルダンが入って来る。ファルダンも瑞樹の恰好を初めて見たようで、平生閉じている瞼がかっと開き、目を丸くしていた。


「おぉ瑞樹殿、とても良く似合っておりますぞ。年甲斐も無くときめいてしまいそうでした」


「お戯れを、それに私は男ですよ」


 瑞樹がくすくすと笑いながらそう言うがこの場にいた全員、これのどこが男だと思っていたのは内緒である。


「ほっほ、それはさておきもうそろそろ時間です、準備はよろしいですかな?」


「はい。とても緊張していますが覚悟は出来ております」


「宜しい。では段取り通りにお願いします」


 ファルダンは大きく頷き、もう一度舞台袖から会場の方へ向かう。呼び出しがかかれば自身も会場へ向かう、否が応にも緊張は高まるばかりだった。それに見かねたのか、ビリーが近寄ってくる。


「何だお前、いっちょ前に緊張してんのか?まぁ仕方ないわな、お前ヘタレだし」


 緊張を解しに来たかと思えばわざわざ煽りに来た、そう思い瑞樹はムッとする。


「何だよヘタレは関係無いだろ、こんなん誰でも緊張するってーの!」


「へっ元に戻ったじゃねぇかよ」


 瑞樹は少し緊張が収まった気がした。わざわざ悪態をついて励ますとはビリーらしいと瑞樹は苦笑し、顔と気持ちを引き締める。


「頑張れよ瑞樹」

「頑張ってください姉さん」

「うん、一生懸命やるよ」


 瑞樹が二人から激励を受けている間、会場の方ではファルダンがアナウンスをしていた。


「さて本日は皆様方には少々変わった余興を提供したいと思います…入りなさい」


 呼び出しがかかり、舞台袖から瑞樹が姿を現す。すると会場からざわめきが上がる。一様に瑞樹の姿に興味を持ったようだ。


「彼女の出自は一切明かせませぬが、その歌声は皆様方を魅了する事をお約束しましょう…では用意を」


 あくまでこの場では瑞樹は女性という事になっている。瑞樹はファルダンと入れ替わるように舞台の中央に立つ。夢見ていたそこからの景色はライブステージのそれとは違っていたがキラキラしていて、そして怖かった。客の前に立ってみて初めて分かる、見渡す限りの人の目、その全てがこちらを見ていると思うと胃がきゅうっと締め付けられる感じがした。それでも立った以上はもう逃げる事は出来ない、深呼吸をしてピアノ奏者に目配せをし、互いに頷き合う。


 伴奏が始まり、それに合わせて瑞樹も歌う。どんな歌詞にするか悩んだが、今回は家族や故郷を想起させる歌詞にした。商人となると故郷や親元を離れる事も珍しくない。歌を聴いて想いを馳せてもらえればと思ったからだ。


 最初は物珍しそうな感じでざわついていた参加者が次第に静かになっていき、会場はピアノと瑞樹の歌声で満たされる。誰にでもある故郷と家族への想い、普遍的ながらも決して他人に吐露する事がないそれは、聴く者の心を大いに揺さぶり、そして瑞樹も無意識に目から雫が流れ頬を伝わらせる。


 歌い終わり、瑞樹は深くお辞儀をして控室に戻る。会場は騒ぐ事は決して無く、静かに拍手を送った。


「あぁもう本当に緊張した…」


 緊張から解放された瑞樹はその場にへたり込むが、誰一人リアクションが無かった。不思議そうに顔を上げると、ビリー達だけでなく着付けを手伝ってくれた従者の人も涙を流していたが、その目には悲しさは無くどことなく懐かしさを噛みしめる様な、そんな感じだった。


「おいおいビリー泣いてんのか?子供じゃあるまいし」


 初めはからかうつもり、瑞樹はただそれだけだった。


「…!うっせぇな、そういうお前だって自分で歌った癖に泣いてるじゃねぇか」


 それは無意識に考えない様にしていた。


「…え?」


 瑞樹は頬を触ると確かに濡れているのが分かった。


「…あ…あぁ…」


 ずっと心の奥底に蓋をして閉じ込めていた想い。


「うわあぁぁん…」


 帰りたい、家族に会いたい。堰を切ったように瑞樹は泣いた、年甲斐も無く大泣きした。あまりの変わりようにそこにいた全員、面食らっていたがビリーだけはやれやれと頭を掻きながら瑞樹に近づき、ぎゅうっと抱きしめる。それを見たノルンも、わたしもと言わんばかりに一目散に近寄り瑞樹の後ろから抱きしめる。そこには年下の男と、もっと年下に慰められる大きな子供がいるだけだった。


 少しの間そのまま泣いていた瑞樹が漸く落ち着きを取り戻し、ビリーが様子を伺う。


「…落ち着いたか?」


「…泣きすぎて喉乾いた」


 泣きすぎて目の周りを赤く腫らした瑞樹を見たファルダンが苦笑しながら、従者にお茶の用意を命令する。用意できるまでの間に瑞樹はビリーに宥められながら何とか着替えていた。


「さぁ瑞樹殿、お茶が入りましたよ。それにしても瑞樹殿の意外な一面を見ましたな、もう少し大人びた印象でしたが…まるで幼子のようでした」


 ほっほと笑いながらファルダンが話すと、着替えている間に我に返った瑞樹は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに顔を伏せていた。


「…お見苦しい所を…」


 消え入りそうな声で答える瑞樹に、ビリーとノルンは少しぷっと吹き出してしまう。先程の事を思い出したのだろう。


「色々聞きたい所ではありますがあえて聞きません。本日来られた方にはとても盛況でした。歌声で人々を魅了する様は、さながら聖女のようでした。噂というのも侮れませんな」


「も、もう本当に勘弁してくださいマジで…」

 愉悦そうにファルダンは笑っているが、当の本人は穴があったら埋まりたい、顔から本当に火が出そうなくらい、思わず素に戻る程恥ずかしかった。


「まぁからかうのはこれくらいにして、今日は帰ると宜しい。色々とお疲れでしょうからな、瑞樹殿の歌わたくしも堪能出来て嬉しかったです」


「…恐縮です。では我々はこれにて」


 瑞樹達は頭を下げ別れの挨拶を交わし、宿へと戻る。帰りの道中もビリーに散々からかわれたり、ノルンに生温かい目で見られたりと、瑞樹は酷い目に合っていた。


「寂しいだろ、一緒に寝てやろうか?」


「次言ったらぶっ飛ばすからな!さっさと寝ろ!」


 まだ構い足りないらしいビリーはニヤニヤしながら言うと、流石にイラついた顔に瑞樹は青筋を立てて怒鳴る。それでも懲りていないようで、「へいへい」とニヤつきながら自室に入っていく。瑞樹はそれを見届けると嗚呼、ずっとネタにされるんだろうなと頭を抱えたくなるのであった。


「今日は私がぎゅってしてあげますから、安心して寝てくださいね」


「いやあの、ノルン?私はもう大丈夫だから、ね?」


 ノルンは鼻をフンスフンスと鳴らしながら得意気に瑞樹を抱きしめていたが、瑞樹にはもう恥ずかしかった。恥ずかしすぎて泣きそうだった。


「…姉さんがどこから来たのか分かりません。でも寂しい時はちゃんと言って欲しいです。そうすればこうやってぎゅって出来ます」


 「姉さんがいつもしてくれるように」と付け加えたノルンの目は真剣その物だった。これにはたまらず瑞樹も折れ、ふうと小さく息を吐いた後「今日は甘えさせてもらうね」と苦笑交じりに答える。


「はい、存分に甘えてください。今だけは私がお姉さんです」


「はいはい、ノルンお姉ちゃん」


 帰りたい、家族に会いたい。その気持ちは多分ずっと背負う事になる。それでもみんなに支えられて生きているよと、家族に伝わるように祈りながら、温もりを感じて瞼を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る