番外編[今この瞬間を]

 それは、滞在日がいよいよ指折り数えられる程少なくなった頃の事。その日も相変わらず強い日差しだったが、時折吹く涼しい風に少しだけ季節の変わり目を感じる、そんな昼下がり。瑞樹はいつも通りノルンと一緒に読み書きのお勉強をしていたが、部屋の扉からコンコンとノックする音が聞こえた。


「は~い、開いてますよ」


「失礼します、瑞樹さんにお客様が来ていますよ」


「お客様?」


「いつものお方ですよ」


 受付のお姉さんがそう言うと、瑞樹にも誰が来たか理解する。すぐさま一階へ向かうと瑞樹の予想通り、ファルダンが優雅にお茶を飲みながら待っていた。ただ瑞樹には心なしかファルダンがそわそわしているような、そんな風に感じていた。


「お待たせ致しましたファルダン様。いつもわざわざ出向いて頂いて申し訳ありません」


「ほっほ、わたくしが好きでやっているのです。気にしなくて宜しい」


 ファルダンがいつも通り顔を微笑むのを見て、瑞樹も少しだけ微笑む。どこの誰かとは大違いで何となく安心する、そんな失礼な事を考えながらお茶を注文し、ファルダンに話しかける。


「ところでファルダン様、今日はどことなく様子が違いますね」


「おやお恥ずかしい、分かってしまいますか。実は先だって瑞樹殿から依頼のあった物の試作品が出来ましてな。わたくしも居ても立っても居られなくなってしまって…こうして報告に来た次第です」


 それを聞いて瑞樹ははっとする。いつか、いつの日か完成した物を見る事が出来ればと思っていた…写真機の事だ。だからそわそわしているのかと得心する瑞樹も、思わずそわそわしていた。


「正直滞在中に完成するとは思っていなかったので…感服しました」


「ほっほ、瑞樹殿。まだ気が早いですぞ?実際に稼働されてからです」


「あっと、申し訳ありません」


「謝る必要はありません。わたくしも早く試してみたいのです、急ですがこれからよろしいですかな?」


「えぇ勿論」


 気が逸り前のめりになる瑞樹をファルダンは窘める。ただ気になっているのは二人も同じで、鼻息を荒くしながら足早に向かうのだった。


 そこは街の外れからさらに奥、森の中にひっそりと建ててある建屋にそれはあった。ファルダン曰く、水銀の危険性と情報の秘匿を勘案した結果、人目につかないこの場所に専用の小屋を建てたとの事。逸る気持ちを抑え瑞樹は建屋の中へ入ると、そこにはいくつかの銀が塗布された銅板や、瓶に入った謎の液体がいくつか置いてあるのが見えた。そして奥には、瑞樹の曖昧な記憶から引かれた雑な図面からよくここまで立派な物が出来たと感心せざるを得ない、試作カメラが鎮座していた。


「素晴らしいですねファルダン様、あの図面からよくここまで仕上げるなんて…この世界の技師には本当に驚かされてばかりです」


「ほっほ、瑞樹殿。興奮する気持ちも分かりますが少し落ち着きなされ、ここには貴重な品やら危険物が置いてあるのですぞ?」


「も、申し訳ありません」


 手をぶんぶんとしながら興奮する瑞樹を、ファルダンは苦笑しながら窘める。すると瑞樹は我に返り恥ずかしそうに頭を下げた。その時、外からゴトゴトと馬車の音が聞こえるのが分かり、瑞樹はファルダンに視線を送ると特に問題無さそうに微笑んでいたので、瑞樹も警戒心を抑える。


「彼らはわたくしが用意した魔導士です。これらの薬品は危険であると瑞樹殿が言われたので専門の者を用意しました。」


 ファルダンは馬車から降りてきた三人を紹介する。一人目は赤い髪が特徴の火の魔導士で、名前はリヒト。液体を熱し蒸気まで蒸発させる役割を請け負う。二人目は青い髪が特徴の水の魔導士で、名前はエマ。蒸気を操り、銀板の膜形成や現像を請け負う。最後の三人目は緑の髪が特徴の風の魔導士で、名前はテッサ。蒸発した液体を吸引しないよう風で防壁を形成する、ある意味一番重要な役割を担う。


 瑞樹達は各々の挨拶を交わした後、早速準備に取り掛かる。歴史に残る貴重な一枚、それを思うと皆も期待に胸を膨らませ、張り切って作業している。まず風の防壁に守られながら鏡面仕上げされた銀板にヨウ素の蒸気を晒す。次に日光に当たらないようカメラに銀板を取り付けるのだが、暗幕で遮光された部屋でこれを行なうのはなかなか大変で、部屋のあちこちからぶつかる音が聞こえた。さらに、苦労して取り付けたカメラを外に出して露光させる。写すのは外の木々、というよりどこを見回しても森なのでこればかりは致し方無い。ファルダンが持ってきた時計を睨む事二十分、建屋に設置された専用の現像部屋へ持っていき、勤番を水銀蒸気に晒す。この時、瑞樹は風の防壁があるとはいえ水銀で満たされた部屋で作業するのは如何なものかと苦言を呈する。無論風の魔法に一分の隙も無いし、現像後は水魔法で水銀蒸気を液体に凝縮させるのだが、考案者に苦言を呈されると他の魔導士も拒否は出来ず、瑞樹の提案を受け入れる。少しの間現像部屋を魔法で外に漏れださないようにしてから水銀蒸気で満たし、さらに魔法で水銀蒸気を片付けて部屋に入ると、皆々の目に一枚の絵が映る。それは白黒ながら精巧に外の木々が写し出されていた。


「やった…」


 瑞樹が小さく呟くのを皮切りに周囲から歓喜の声があがる、いつも落ち着いているファルダンですら興奮して子供のようにはしゃいでいた。瑞樹も小さくガッツポーズをしてから、まだ終わりじゃないと、皆を落ち着かせる。そして最後の工程、現像された像が崩れないように食塩水を塗布する。これで本当に作業が完了だ、世界で一枚しかない、世界で初めての写真が今ここに完成した。


「これは…これ程精巧とは、いやわたくしも長く生きていましたがこれ程驚いたのは記憶にありません。この衝撃は爵位を賜った時よりも勝ります。この技術が世界に知られれば、国王陛下から呼び出しがかかるかもしれませんな」


 鼻息を荒くし、興奮したファルダンが瑞樹に詰め寄りながら話す。すると瑞樹は少し困ったような顔で返す。


「それは困りますね、私はただあの子の記録を残したいだけですから正直困ります。あの時はそんなに深く考えていませんでしたけど、極力私の名前を出すのは止めて頂けませんか?」


 瑞樹はしーっと唇に指を当て、ファルダンにお願いする。するとファルダンは目を細く、しゆっくりと頷く。


「そうでしたな、何せ瑞樹殿は我が子を想うあまり馬鹿になってしまうのですから」


 ほっほと笑うファルダンを瑞樹は恥ずかしそうに眺める。ともかく世界初の写真は奇跡的に一回目で成功し、皆は暫く歓喜に酔いしれる。だが瑞樹にとってはここがゴールでは無い。漸くスタート地点に立てただけだった。この後すぐ、ファルダンに翌日の予約を取り、別れの挨拶を交わして宿に戻る。


「ノルンノルン!明日一緒にお出かけするからね、あの白いワンピースの準備だけしてて!」


 バタバタと部屋に入るなり瑞樹が意味不明な事を言うものだから、ノルンはギョッと目を丸くしてその後じっとりとした視線を送りつける。


「姉さん…もう少し落ち着いてください、意味が分かりませんよ。ちゃんと伝わるように話しなさいっていつも姉さんが言っている事じゃないですか」


 小さな女の子に諭され、瑞樹は我に返り「はい…ごめんないさい」と恥ずかしそうに目を伏せながら謝る。その場をこっそり覗いていたビリーが指を指して大笑いしているが、自分が悪いしビリーに八つ当たりするとまたノルンのお説教を頂戴しそうだったので、瑞樹は必死に耐えるしか出来なかった。


 翌日の昼下がり、ノルンと瑞樹そしてビリーが昨日の建屋に向かう。一行が到着する頃には既にファルダン以下数名が準備をして待っていた。


「ファルダン様、今日はよろしくお願いします」


「よ、よろしくお願いします!」


 瑞樹がい辞儀するのを見て、ノルンも慌てながら真似る。その姿を見たファルダンは目を細めながらポンポンとノルンを撫でる。


「ほっほ、良い子だ。今日は良い写真になるようしっかりとおめかしせんといかんぞ?」


「は、はい!ってシャシン?シャシンって何ですか?」


 おや?とファルダンは疑問に思い瑞樹に視線を送ると、いたずらっ子のような悪い笑みを瑞樹は浮かべていた。


「実は驚かそうと思って何も説明せずにここに来ました」


「俺にも教えてくれないんだよな、なぁ良い加減教えろよ」


 腕を組みブーブー言いながらビリーは瑞樹に詰め寄るが、それを華麗にスルーしてノルンのおめかしを始める。試着室のような小さい部屋で、瑞樹とノルンは少し窮屈な思いをしながらも持参した白いワンピースに着替える。この服はノルンのとっておきの大切な一着で、袖を通すだけでノルンの顔が綻ぶのが見える。それを瑞樹は微笑ましく思いながら、小さな小瓶を取り出す。中身は、瑞樹が歌を披露したあの時に化粧に使われた紅で、化粧師からご厚意で頂いていたのである。


「はいノルンこっち向いて…これでよし、と」


 瑞樹のあまり上手でない化粧を施されたノルンは頬を染め、少し心配そうに瑞樹をみつめている。


「ノルンどうかした?」


「えっと、その、この紅って貴族様が使っている物なんですよね?もしかして高いのではって…」


 俯きながら話すノルンを、瑞樹は優しく撫でる。


「だから、ノルンはそんな事気にしなくて良いの。私がしたいからやる、ノルンはそれを受け止めるのがお仕事なんだから、ね?」


 ノルンの姉をしっかり演じられるよう、瑞樹は女声で優しく諭す。するとノルンもエヘヘと恥ずかしそうに笑い、頑張りますと両手を胸の前でグッとする。


 着替えが終わり、いよいよ写真撮影を始める。準備は昨日の予行練習の甲斐もあり、滞りなく進んでいく。ただ露光中ノルンはじっとしていなければならないのだが、あまりの緊張からか顔も身体もがちがちに固まっていた。瑞樹達は何とか緊張を解そうと努力するが、無情にも時間は過ぎ現像される事と相成った。


 現像が終わり、魔法で室内を正常に戻す。昨日は成功していた、だから大丈夫と瑞樹は必死に心を落ち着かせて部屋の扉を開く。視線の先には、自身の大切な我が子の姿がそこにあった。


「やった…やったよノルン!成功した!」


 瑞樹は思わずノルンを力一杯抱きしめるが、どういう事か未だ理解出来ないノルンはきょとんとしながら苦しいと唸っていた。そこをビリーが鉄拳制裁で窘めながら、初めて見る写真に驚嘆し目を丸くする。


「いや、これは凄いな。絵じゃ無いんだろ?これ」


 興奮を抑えきれないビリーは、頭を押さえて悶えている瑞樹に問いかける。


「うおぁ…いてぇ…見ての通り絵じゃ無いぜ。俺が考案…したわけじゃ無いけど真似した、これが写真だ」


 腰に手を当ててどうだ!と言わんばかりに反り返る瑞樹をよそに、ビリーとノルンはまじまじと写真を見つめる。


「これ…私…ですか?」


 驚きと動揺が隠せないノルンはおろおろとしながら問いかける。すると瑞樹は女声で優しく答える。


「うん、そうだよ。これはノルン、どう?自分の姿は、可愛いでしょ?」


 瑞樹にそう言われ、ノルンは頭からボフンと湯気が上がりそうな程顔を真っ赤にする。そこへファルダンも目を細めながら口を開く。


「ほっほ、ノルン。これは瑞樹殿がお主の為に考えて作られた物だ。世界で一つしかない、大切にしなさい」


「え?そうなんですか姉さん」


「うん、身勝手かもしれないけどノルンの記録を残したいと思ったの。ノルンが大人になっても…いつか私から離れる事になってもこれを見て、今この瞬間を思い出して欲しいかなって」


 そう言われたノルンは色々な事が頭を過ったのだろう、顔をぐしゃぐしゃにして泣き始める。瑞樹は再び優しく抱きしめ、頭を撫でる。


「やれやれ、当分はどこかに嫁がせる訳には行かないね」


「うえぇん…どこも行きませんぅ…あと…ありがとうございますぅ…ずっとぉ…大切にしますぅ…うえぇん…」


 泣きじゃくりながらノルンは今の気持ちを素直に吐露する。周りのビリーやファルダン、それに魔導士の人達は尊いものを見るような感じで、目を細くして眺めていた。

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