続・街の裏の顔

 翌日、指定された時間に侯爵殿の屋敷を訪れた。


「おぉ、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 わざわざファルダン侯爵本人が出向いてくれるこの状況に、瑞樹は酷く変な気持ちになるが自分が口出しする事では無いだろうと思い、そっと心の中で呟くに留める。近くの一室に通され、視線をテーブルの方に向けると、そこにはおよそ三十センチ四方の物に板戸が蝶番でつけてある。ノブをひねると開く仕組みになっていて、瑞樹が思った以上の仕上がりだった。


「どうですかな?」


「驚きました、かなり良い出来になっていますね。初めて作るであろう物をここまで仕上げるとは、素晴らしい鍛冶師なんですね」


「瑞樹殿にそう言ってもらえれば職人もさぞ喜ぶでしょう。それで現物を見て何か改善点はありましたかな?」


 ファルダンは微笑みながらも鋭い眼光を瑞樹に向ける。試作品を作るだけでもそれなりに金がかかっている、瑞樹はそれを理解し、顎を撫でながら真剣に思考する。


「そうですね、まず戸の構造を変えた方が良いです。蝶番で板戸を付けただけだと冷気が逃げてしまう。本体面を凹型、板戸を凸型にすれば改善されると思います。欲を言えばゴムを接触面に付ければより良くなると思いますが如何でしょう」


「ふむ、構造に関しては改良できると思いますが…ゴムですか」


 瑞樹の意見に、今度はファルダンが目を閉じながら思案に耽る。


「ここでは入手が難しいのですか?」


「入手自体は可能ですが少々値の張る代物でして。良い物を作りたい気持ちはあるのですが採算に見合わないかもしれないのです」


 ファルダンがそこまで言うということはかなり高いのだろうと瑞樹はごくりと唾を飲む。その昔現代でも今は安価に手に入る消しゴムですら非常に高値で取引されていた程だ。この世界でも同じような経緯があるのだろうと瑞樹は得心する。


「まぁ無理に使わなくても大丈夫だと思います。要は本体と板戸が密着出来れば良いので例えば弾力性のある布であったり、皮であったりとかですね」


「なるほど、そこは試行錯誤していくしかありませんな」


「そうですね、色々と試してみるしかありませんね」


 二人はふぅと一息吐いて、全く新しい物を作り上げる難しさを噛みしめていた。少し間を置いた後、ファルダンは場の空気を切り替えるように口を開く。


「それは今後の課題として、今日はどうもありがとうございました。貴重な意見を頂き、より良い物が出来るようになると思います」


「恐縮です。これがあれば食品の保存期間が各段に上がりますから、私もとても期待しています」


「そうですな、ときに瑞樹殿は街は全て見て回られましたかな?」


「えぇ多分、見られるところは大体網羅できたと思いますけど、何かありましたか?」


「いえ、折角この街に来ていただいたのですから普段は体験できない事に興味を持っていただきたいと思いまして」


「普段はって、一体何なんです?」


「それを言ってしまっては面白くありません。とても刺激的な場所ですよ。どうですか?興味があれば今夜ご案内しましょう」


 いつもの笑みを浮かべるファルダンの真意を、瑞樹は図りかねていた。侯爵自らのお誘いを無下に断れば礼を失する。だが一人で行けばどうなるか分かったものではない。思案した結果、取り敢えずビリーを一緒に連れて行けば何とかなるだろうと思い、提案しようとするとファルダンが先に口を開いた。


「勿論ビリー殿も同伴していただいて構いませんぞ」


 まるで心を読んだかのようなタイミングに瑞樹は少しドキリとしながらも、断る理由が無くなってしまったので了承する。


 その日の夜、再びファルダンの邸宅へ出向きそこから現地へ案内する事となり、瑞樹はひとまず宿に戻ってビリーにその旨を報告をしに行く。


 夜、二人は約束した時間に邸宅へと向かうと外には既にファルダンがどこかウキウキした様子で待っていた。それに平生と違い随分と質素な格好をしているのが見えた。


「いやはや、これから行く場所では自分の素性をあまり知られたくないのです。わたくしも好きで頻繁に行ければよいのですが何分このような立場になるとなかなか難しいのです」


「要は俺達をダシに使ってでも行きたかったと、それは今更じゃないですか?」


 ビリーが小声で呟くと、ファルダンはばつの悪そうに顔を背ける。


「いやははは、多少その思惑もありますが貴方方に楽しんで頂きたいのが主ですので」


「どうだか」


「まぁまぁビリー、とりあえず行こうよ。どんな場所かはお前も興味あるだろ?」


 ファルダンの普段は見せない弱々しい様子に、ビリーは言葉に自身の素を見え隠れさせる。それを見た瑞樹はビリーを窘め、話しを逸らす。


「む、それはまぁ確かにあるが」


 瑞樹が危惧していた程剣呑な雰囲気にならず、二人はファルダンの案内で夜道を歩く事およそ十分。そこは街の外れでそのような建物は見当たらず家々が見えるだけd、ビリーは訝しそうにファルダンに問いかける。


「おいおいこれのどこが良い場所なんだ…ですか」


「ほっほ、こちらですぞ」


 ファルダンが指を指した方向に二人は視線を移すと、そこにはぽつんと小屋が建っていて何故か門番らしき男がずっと立っていた。ますます意味が分からない、二人は顔を合わせて首を傾げていると、スススとファルダンが男に近づいていく。


「おいじじいここから立ち入り出来ないぜ、さっさと帰んな」


「これを見てもらえますかな?」


 そう言って取り出したのはペンダントのような物でファルダン家の家紋が掘られており、中心には鮮やかな赤い宝石が埋め込まれている。それを見た途端、男は顔を青くして後ずさる。


「げっ、まさかそれ本物か?」


「勿論、贋作なぞ持っておればどうなるか知っておろう?」


「し、失礼しました。どうぞお入りください」


 門番は目にも止まらぬ速さで退き、それはもう見事な敬礼を披露してみせた。瑞樹達にはあまりそんなイメージは無いが腐っても侯爵、効果は絶大だ。


「では行きましょうかの。おっと門番殿、このことは他言無用で願いますぞ?」


「了解致しましたぁっ!」


「えぇ…」

「えぇ…」


 ファルダン侯爵恐るべし、二人はそんな思いを抱えつつ中へ入る。そこは下に降りる螺旋階段があるだけだったが、一応警戒しながら進んでいく。


「そういえばさっき贋作がどうのって、何の事ですか?」


「それはですな―」


 この世界で当人の爵位を確認する唯一の手段がこのペンダントで、これの模倣を作成か所持をした場合は例外なく処刑される。万が一本物が盗まれたとしても中央に埋め込まれている宝石は、実は透明で本人の魔力を流すことによって赤く光る仕組みになっていて、先程赤く見えたのはこのためである。


 長い螺旋階段を下りた先で瑞樹達が見た物は、大きな空間に人がたくさんいる光景だった。至る所にいる女性の給仕は、目を覆い隠したくなる程身体の線を強調する服に身を包み、周囲の艶やかな色の灯がさらに扇情的に演出する。


「驚きましたかな?」


 ファルダンは微笑むというより、二人の呆気に取られた表情を面白可笑しく笑いながら問いかける。それでも二人は我に返らず、辺りをキョロキョロしながら返す。


「この街に来てから何度も驚きがありましたけど、これは別格ですね。ここはどんな、というか何でこんな地下に作ったのですか?」


「簡単に説明するとここは人間の欲望の捌け口なのです、これを街に堂々と置くと住人や旅行客からの印象もよろしく無いですし、なによりここでは大金が動きます。故に安全や景観といった理由から地下に設営してあるのです。さてここは大きく分けて四つのエリアに分かれているので、一つずつ見て回りましょうか。まず一番近くにあるのが賭博を主にしたエリアで、金を持て余した者や、一画千金を夢見た者が多く訪れております」


 ファルダンの説明通り、良く見るとカジノディーラーらしき人が客とカードをしているのが見てとれる。


「ギャンブルは正直あまり興味無いので、次へ行きませんか?」


「えぇよろしいですよ、ではこちらに」


 瑞樹の提案で一行はその場を離れる。次に向かうのは紫やピンクで彩色された大きい建物で、男性が大勢向かっているのが見える。見れば見るほど不思議な空間で、ここが地下である事を忘れてしまうほど現実離れした場所だ。こんなの魔法がなければ到底実現できないだろうと、自身のいる現実離れした空間をまじまじと見ながら瑞樹は感嘆の声をあげる。


「さぁ、着きましたぞ。ここは…中に入って実際に見てもらった方が良いと思います」


 にやりと口角を上げながらファルダンは二人に視線を向ける、今の所危険は無いので多分大丈夫だろうと思いつつも瑞樹はビリーを背中から押しやり、万が一の生贄になってもらおうと画策する。


「そうなんですか?ビリー先に行ってみ?」


「俺を盾にすんなよ…良いか?行くぞ」


 二人が中で目にしたのは、肌色だった。実際には色々な人がいるので一纏めには出来ないが、視線を向けた先の女性の殆どが一糸纏わぬ姿で闊歩している。その欲望の塊のような空間を見てしまったビリーは石のようにがちがちに固まり、瑞樹は耳まで赤くしながら目を覆い隠し、狼狽する。


「ふぁっ!?え、ちょ何でみんな裸なの!?」


「お気に召したようで何よりです、ここは所謂売春宿で中にいる女性は誰であろうと買う事が出来るのです。値段は各々と応相談ですが」


 ファルダンが先程説明してくれた事を、二人は身を以て理解する。これを大衆の目に晒すのは危険すぎる、色々と。ヘタレ二人は気疲れか、ぐったりとしながらその場を離れる事を提案する。


「…次行きましょうか」


「おや、よろしいのですか?より取り見取りですぞ?」


「えぇ、ビリーもショックで固まってしまっていますので」


 悶々した気持ちを抱えたまま次の場所へ向かうと、そこは今までと比べて格段に人がいない。ここにあるということは人目に付きたくないようななものだとは思うが、瑞樹は後になってここに来た事を酷く後悔することとなる。中へ入ると、そこには鎖で繋がれた人がいた。そう、奴隷市場である。今まで見た中で一番醜悪な場所で、瑞樹は酷く不愉快な気分になりすぐに出ようと思ったその時、一人の奴隷の少女と目が合った。合ってしまった。


「お客さま、よろしかったら私を買っていただけませんか?望めば何でも致しますのでどうかよろしくお願いします」


「そいつは金貨五十枚で買えますよ、お買い得ですぜ?」


 店主が下卑た笑みを浮かべながら値段を提示する。エレナ嬢よりも小さく華奢なその少女は服と呼ぶには余りにも無残な物を身に着け、瞳に光が無いまま瑞樹を見つめていた。すぐに視線を逸らし、瑞樹は店主を無視して外へと去る。


「おい、瑞樹大丈夫か?」


「まさかこれほどまでに嫌悪されるとは思いもしませんで、大変申し訳ない」


 顔が真っ青になっている瑞樹を二人が心配そうに見つめてくるが、大丈夫とだけ返す。瑞樹は嘘をついた、あんなものを見て大丈夫な訳が無かった。例えば街を歩いていたら迷子を見つけた。周りには誰もいない、助けるか、無視するか。とる行動は人によってかなり変わる。面倒を被ってでも助けるか、面倒事を避けて無視したいと思うか。選択を迫られたとき自身は後者を選ぶだろう、しかもその後にやっぱり助けるべきだったかなと考えて悶々したりするからなお始末に負えない。しかも今回は迷子なんかとは訳が違う、奴隷だ。お金の問題じゃない、人間を買って最後まで責任を持つ覚悟があるのかどうかだ、そんなもの瑞樹には無い、現実からは目を背けていたいのが本音なのだから。


「もし、先程の子に関して心配されているのならそれは無用ですぞ。確かに色々な理由があって奴隷となる者は多い。しかし今代の国王は奴隷に対して寛容で、奴隷への理不尽な扱いは厳罰に処すと制定されたのです」


「そう…ですか」


「そうそう、それにお前が心配したってどうにもならんぜ。それよりも他の場所に行こうぜ。もう一か所行ってないだろ?」


「そうですな、気分転換に参りましょう」


 二人に連れられて瑞樹はその場を離れる、もう会う事も無いだろうその子を想いながら。

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