続々・街の裏の顔

 気分を変えようと瑞樹達はさらに下の階層へと向かう。だが瑞樹の胸中は未だ乱れたままで、少女の声が耳に残り頭の中で反芻される。どうすれば良かったのかと自問自答するが、答えは出てこない。


「おい着いたぞ、大丈夫か?」


 ビリーが瑞樹に声を掛ける。そこは闘技場のような物で周囲をぐるりと金網で囲まれたリングがあり、、多くの観客が一心に応援と視線を送りつけている。筋骨隆々の男が素手で殴りあっている様に、観客は大盛り上がりで今までで一番騒がしい場所だ。


「凄い熱気ですね、この世界の人は格闘技が好きなんですか?」


「ほっほ、ここの目的はそれがメインではありません。あちらをご覧下さい、ここの客はあれに夢中なのですよ」


 熱気にあてられたのか、瑞樹は少しだけ気持ちが落ち着きファルダンに問いかけると、ファルダンは何かを指差す。その先には名前と数字が記入された大きなボードがあり、この数字が所謂オッズでつまりどちらが勝つか賭け試合をここで行なっている。


「なんというか、賭け事が好きな人が多いんですね」


「数少ない娯楽ですからな、人々が夢中になるのも致し方ない事でしょう」


「なぁ瑞樹、俺達もやってみようぜ。爺さん一番高いオッズはいつだ?」


 呆れた口調で瑞樹達が話しているとビリーが何かを閃いたみたいで、怪しく悪い笑みを浮かべている。瑞樹は正直言って賭け事は好きでは無いが、何故か自信満々のビリーを見て差し出口を控える。


「そうですな…おぉ、丁度良く次の試合がまさにそれですぞ。オッズはなんと二十倍ですな。ちなみに相手は1.2倍ですぞ。」


「二十倍も驚きですけど相手とのオッズの差が酷すぎませんかそれ?」


 そう言うのに瑞樹は詳しくないが少なくとも、二十倍と1.2倍なんていくらなんでも差がありすぎると不審に思っていると、案の定予想通りの説明がファルダンからされる。


「二十倍の選手、名はレオンと言うのですが決して弱い訳では無いのですが相手が悪すぎる。相手の名はライオネルと言い、この闘技場最強と名高い男なのです。事実、彼はここ最近の戦績を見ても負け無しでレオンに至っては一度も勝ちを譲った事が無い、彼にとってまさに最悪の相手でしょう」


「ふ~ん、じゃあそのレオンって奴に賭けようぜ」


「ばっ、お前今の話し聞いてなかったのかよ。いくらなんでも分が悪すぎだろ。こんなのもはや賭けとは言えないぜ」


 何故かビリーは頑なにレオンに賭けようとしている、気持ちは分からなくも無いがリスクが高すぎる。瑞樹は何とか変えるように言うが、まるで聞く耳を持たなかった。


「大丈夫、我に秘策ありってな。じゃあお前買ってきてくれ、金貨十枚でな」


「いやいや、いくら何でも夢見すぎだろ。金貨一枚でも多いわ」


「いいからいいから、さっさとしないと受付が終わっちまう。さ、行った行った」


 ビリーが手でしっしと瑞樹を促され、瑞樹もやけくそになり買いに走る。近くへ寄ると受付所は多くの客でごった返していたが、何とか人混みを掻き分けて窓口に辿り着く。


「おっさん、レオン選手に金貨十枚で」


「はいよ、でも後悔すんなよ?大穴を夢見るのは勝手だがそこらでの垂れ死なれても邪魔だからな」


 瑞樹は別段返事もせず券を受けとり、すぐにその場を離れる。その様子を見ていた連中はわざわざ瑞樹に聞こえるように馬鹿だのなんだのと喚いていたが、そんな事は人に言われずとも瑞樹が一番分かっている。


ワアァァー


 ビリー達の所へ戻る最中、突如リングの方から歓声が聞こえてくる、どうやら始まってしまったようで、瑞樹は足早に向かう。


「遅かったな、もう始まってるぜ」


「仕方ないだろ、人がいっぱいいたんだから。というかあっちに賭けた奴なんか殆どいないみたいだぞ?本当に大丈夫かよ」


「ま、何とかなるだろ」


「おいおい、頼むぜ全く…」


 今一つ頼りないビリーを尻目に試合はどんどん進んでいく。ライオネルとかいう男、最強の名は伊達では無いようで、レオンの倍はありそうな豪腕から繰り出される打撃に苦戦を強いられている。あんなものくらったらいくら防御しても腕ごとへし折られかねない。しかしその攻撃を凌いでいるレオンもまた凄く、その身体にダメージを蓄積させながらもその目はまだ力強い。まだ何か奥の手を隠しているのだろう。


 それはほんの一瞬の出来事だった。防戦一方のレオンに対して調子に乗ってしまったのだろうか、少しだけガードが甘くなったライオネルにレオンの最初で最後の一撃が放たれる。計算だったのか偶然だったのか、ガードの甘くなった顎に放たれたその拳はライオネルの脳を激しく揺さぶり、その場にぶっ倒れる。場内は静まり返り、瑞樹達も含め信じられないといった表情であったが、レフェリーがレオンの勝利を宣言する。すると我に返った客達が一斉に怒声をあげる。ふざけるなだの、金返せだの、馬鹿らしい。賭け事に絶対などあるものか、瑞樹が冷ややかな視線を送っていると、こうなる事を知っていたかのようにビリーがどや顔をしながら近づいてくる。


「なっ、勝っただろ?お前は運が良いからな」


「運って…まさかお前そういう事か!」


 ビリーの発言に漸く瑞樹は理解する。随分前に能力を鑑定してもらった時、自身の運はかなり高いといわれていて、それをビリーが覚えていたのだ。瑞樹は褒めれば良いやら、ちゃんと言えと怒れば良いやら複雑な心境だ。


「お前なぁ、俺も忘れていたのも悪いけどこういうのはちゃんと言ってもらわないと心臓に悪いぜ」


「でも勝っただろ?そして軍資金も出来たわけだ」


「軍資金って、まさか初めからそのつもりで?」


「さぁてな、ほら早く換金して上に行こうぜ。ここにいたら襲われそうだ」


 確かに周りの連中は一気に負債が増えた奴ばかりだろう、大金なぞ持っていようものなら追い剥ぎされかねない。瑞樹は助言通りに早々と換金し上の階層へと向かう。金貨二百枚もの大金を持って。


 瑞樹はもうここに来る事は無いと思っていたが再びあの場所の前に立つ。だが本当に買ってしまって良いのだろうか、瑞樹はまた苦悩する。ただ一人奴隷を買っても他にも大勢いる、その子達を無視してまで買う意味があるのか、ただの偽善ではないのかと。目をギュッと閉じて悩んでいる瑞樹を見かねたのか、ビリーは瑞樹に辛辣な言葉を投げつける。


「お前さ、まだ悩んでんのか?この際だから言うけどな、お前のそういうところ大嫌いなんだよ。見ているとイライラしてくる」


「でも買ってしまったらお前にも迷惑が—」


「だからそういうところが腹立つんだよ。お前いつからいっちょ前に人の心配なんか出来るようになったんだ?いつも俺の忠告なんか無視する癖に。お前が何下らない事を考えているか知らんけど、難しく考え過ぎだ。要はこれからの選択に後悔するかしないかだけだ。ここで何もしないで後悔するよりも、行動してから考えろ。その先に何かあってもその時に考えれば良いだろ」


 口は悪いがその言葉に瑞樹は背中を押された気がする、なんだかんだビリーは良い奴なんだなと、ビリーの目を見て大きく頷く。漸く覚悟を決めた瑞樹を見て、ビリーはニッと笑う。静観していたファルダンもその様子を見て、瑞樹に話しかける。


「お気持ちは固まりましたかな?」


「はい、長々と申し訳ありません。私はあの子を引き取りたいと思います」


「結構、では入りましょう。わたくしも立ち会いますよ。有り得ないとは思いますが万が一騙されるという事もあるかもしれませんので」


「すみません、ご迷惑おかけします」


 瑞樹は再び中へと入る、薄暗い陰気な場所に来るのはこれで最後にしたいと願いを込めて。扉の開く音に反応した店主が奥から姿を現すが、瑞樹の姿を見た途端客商売とは思えないような嫌そうな顔を見せつける。


「なんだまた来たのか、客じゃないならさっさと出ていきな。見せ物じゃねぇんだ」


「いえ、さっきのあの子を引き取りたいと思います」


「そりゃ買うって事か、金はあるんだろうな?」


「下の賭けで稼いで来ました。これが現物です。確認してください」


 そう言って瑞樹はテーブルの上にジャラジャラと金貨を置く。一瞬店主は驚いたように目を丸くするがすぐ元の表情に戻り、金貨を繁繁と見る。


「賭け闘技ならでかいの当てりゃ稼げるか…確かに本物だ。分かった交渉成立だ」


 店主はそう言って羊皮紙を一枚取り出す。それは契約書らしく、瑞樹の代わりにファルダンが内容を確認し中身に問題が無い事を告げる。店主はファルダンに今気づいたようで、苦々しい顔をして口を開く。


「まさかとは思ったけどやっぱりあんたか」


「え?ファルダン様とお知り合いですか?」


「ほっほ、長いこと商売をやっていると色々な人間と縁を結ぶものなのですよ。ただの商売仲間です」


「はっ、俺はあんたを仲間と思った事は無いがな。さて、金は確認したしあいつの鍵も外した。用が終わったならさっさと帰りな」


 店主が言う通り少女に繋がれていた鎖は取り外されていて、力無く瑞樹達の方へ歩み寄る。


「お世話になりました」


「お前を世話したつもりは無い、さっさと出ていきな」


 少女は店主に無言でお辞儀をする。この男はもしかしたら…いやもし良い人ならばこんな商売をしている訳が無い。瑞樹はそれ以上考えるのを止め、頭をぶんぶんと振って気持ちを切り替える。そして少女を連れて暗く陰気なその場から離れる。一世一代の大仕事が終わったように、瑞樹はほっと胸を撫で下ろし大きく息を吐くとその少女が口を開く。


「私はノルンと言います、何でもしますのでどうかよろしくお願いいたします。ご主人様」


 淡々とまるで機械のように話す様をみて瑞樹の胸がずきりと痛む。多分そう言うように教育されてきたのだろう、そして何よりその暗い瞳に思わず目を反らしてしまう。


「…とりあえず外に出ようか。ほら」


「申し訳ありません、その手の意味が分からないのです」


「ここは人が多いからはぐれると危険だからね、手を繋いでいこう」


「ご主人様がそう仰るのであれば」


 子供らしさなぞ微塵も感じさせない受け答えに、瑞樹は少し頭が痛くなりそうだったが後悔は無い。もう覚悟は決めている。


 「ではこの辺で解散といたしましょうかの」


「はい、今日はありがとうございました。一生の思い出になりました…その、色々と」


 どう言葉にしたら良いか分からない瑞樹を、ファルダンはそれ以上問う事は無くいつも通り微笑みながら別れの挨拶を交わす。


「ほっほ、そう言っていただけると何よりです。ではわたくしはこれにて」


ファルダンの後ろ姿を見送り、二人のヘタレと一人の奴隷少女はゆっくりと帰路に着く。

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