番外編[報酬]

 朝食を頂き、瑞樹は朝からメウェンと非公式の会談を行なっていた。今回の一件に関する報酬についてである。色々あったが便宜上瑞樹への依頼という体だったので双方が納得する内容にするべきだとメウェンからの提案に瑞樹も乗る事にした。


「こ、これは…?」


 瑞樹は貴族というのを甘く見ていた。テーブルの上に置かれた金貨は、もう目がくらむ程の量だった。百、いや二百枚は下らない、どちらにせよとんでもない金額だ。


「報酬を話し合う予定と君には伝えたがあれは嘘だ、悪く思わないでくれ。ただ君が納得出来るだろう金額は用意したつもりだ」


「いや十分です。むしろこれは…多く貰いすぎでは?」


 瑞樹は顔をひきつらせながらメウェンに問いかけると、片眉を吊り上げて不思議そうな顔をする。

「むん?君は文字通り命を賭けたのだ、相応の報酬だろう…それに君は我が娘の未来の婿殿だ、下手にの垂れ死なれても困る」


 メウェンは至って真剣な眼差しで瑞樹を見つめる、それは報酬であり生活費であり、瑞樹に対する全ての縁への手切れ金でもあった。それを感じ取った瑞樹は眉間に皺を寄せて、あからさまに嫌な顔をする。


「…最終的にお金で全て解決、ですか」


 瑞樹の不躾な物言いに、メウェンは苦々しい顔をして溜め息を吐く。


「…君は感情に走り過ぎる、私でなければそのまま不敬罪で処刑になるぞ。そうなったら君の家主もただでは済まない、もう少し考えて行動したまえ」


 ぐっと瑞樹は堪え、感情を押し殺して謝罪する。


「申し訳ありません、寛大な処置に大変感謝しております」


 メウェンは「良い」と溜め息混じりに告げると、手元に置いてあったベルをチリンチリンと鳴らす。すると部屋の外で待機していた従者が入ってくる。


「お茶を新しく持ってきてくれ」


「かしこまりました」


 教育の行き届いたお辞儀をして、従者が再び外へ出る。すると間も無く戻って来てホカホカの香り立つお茶を注ぐ。


「君も飲むと良い、心が落ち着く」


「頂きます」


 メウェンに供され、瑞樹も一口こくりと飲み込む。どんな味と問われると答えるのに苦しむが、美味しいという事は分かる。少しだけ落ち着いた瑞樹はメウェンに問いかける。

「メウェン様、一つお伺いしても宜しいですか?」


「何かね?」


 メウェンは持っていたカップを置き、視線を瑞樹に移す。


「わざわざ報酬を渡す為に、メウェン様がいらっしゃったのですか?渡すだけなら従者の方でも良かったのでは?」


 瑞樹が問うと、メウェンはすうっと目を細める。ただ口元は少しだけ上がっている様に見えた。


「素晴らしく察しが良いな、もし君がこの報酬に満足してこれ以上何も言わなければこの場を終わらせようと思っていた」


 いまいち要領の得ない回答に、瑞樹は首を傾げる。


「その、つまり?」


「この場では君の質問を私直々答えようと思う、君はこの世界の事、貴族の事を知らな過ぎる。故に少しでも知識を得て欲しい」


「成る程、それは理解しましたけど随分と急ですね」


「我々にとっては急では無い。実の所、先日の件君に十年も猶予を与えるつもりは無かった」


 メウェンは目を伏せ、自分の心情を吐露する。


「君を養子に迎えて十年、そこから貴族の教育を施すとなると時間的に難しい。本当を言えば五年にしようと思っていた」


 瑞樹はそれを聞いて胸をざわつかせる、まさか本気で縮めるつもりでは、と。


「一度決めた以上余程の事が無い限り、期限を縮めるつもりは無いからそこは誤解しないで欲しい、何故そうしなかったかと言うと…あの時の君の顔は、まるで幼子の様に弱く簡単に壊れそうでいて、尚且つ凄まじい程の恐ろしくもあったのだ。それは君の何に由来するかは分からぬが、せめて十年はこの世界を生き、心残りを無くしてもらいたいと思ったのだ」


「それでも私は…納得したくありませんでした」


「それも分かっている、だからこそこの十年で心を落ち着かせて、融かしてもらいたい」


 どう足掻いても、か。瑞樹は誰にも聞こえない様な小さい声で独り言ちる。一度目を伏せ、頭を切り替える。折角の貴重な時間だ、聞きたい事は色々ある。


「では、固いお話しはこれくらいにして他の事を伺っても宜しいですか?」


「私に話せる範囲であれば答えよう」


 と言っても何を聞こうか考えていなかった、何とか話しの種を見つけるべく部屋の中をチラチラと視線を移す。すると瑞樹の視界に、この世界では初めての物を捉えた。


「この世界って、暦とか時間の概念があるのですか?」


 メウェンは目をしばたたかせると、すぐに目を細めて面白そうに口角を上げる。


「やはり異世界人であれば惹かれる部分があるという訳か」


 何の事?と瑞樹は首を傾げる。


「伝承…もはやお伽噺と呼べる程の太古の昔に、この地に賢人が降り立ったとされている。状況から鑑みるに君と同じ異世界人だろう。そして賢人は、この地に月日と時間の概念、そして時計の製造方法を遺した、と。」


 曰く、この世界は現代と同じ様に一年が十二月で構成されていて、一日の時間も概ね二十四時間と、奇跡的に合致していた。唯一違うのは一月全て三十日で構成されている事で、その教えが伝わった時、紆余曲折あってそうなったのかなと、瑞樹は妄想に耽る。ちなみに今は七月初めにあたるそうで、どうりで暑い筈だと納得する。


「ところで暦が始まる前はどうしていたのですか?」


「それはだな…随分と元気になったな。先程の君とはまるで別人の様だ」


「あ~、今は新しい知識が自分に蓄積されていくのが楽しいですから。知識を活かせなくても、目を閉じて妄想に耽る。それだけで心が躍ります」


 瑞樹は目を煌めかせながら答える、その姿を見てメウェンは「現金な奴だ」と呟き苦笑いする。


「コホン、話しを戻そう。今で言う一月から三月は寒期、その次の三月分が暖期、次が暑期、最後の三月が冷期となっている。今でも大まかな時を示す時に使用されている」


 四季があるかは別にして、考え方は大体同じだった。意外な所に元の世界との接点を、瑞樹は感じていた。ちらりと時計を見ると、もうすぐ十一時を差す所で、また一つ瑞樹の頭に疑問が浮かぶ。


「この時計って、町では見かけた事がありませんが、何故ですか?」


「それはだな-」


 曰く、時計は貴族の間でしか馴染まなかったのだ。町では鐘が鳴っていて、鳴るタイミングと日常のルーティンが習慣付けされていたので平民にはあまり受け入れられなかったのだとか。


「はぁ、色々とあるんですね」


 新しい知識を吸収していく事に心地好さを覚えつつ、瑞樹は素朴な疑問が頭に浮かぶ。瑞樹にとってはただの素朴な疑問だが、それは貴族の在り方を示す重要なものだった。


「あの、大変失礼な質問かもしれないのですが…伺っても宜しいですか?」


「取り敢えず聞こうか」


「貴族って…何故存在するのですか?ただの為政者にしては権力が強すぎますし、何より貴族と平民を隔てる理由がありません。貴族と平民との間に差が無いのなら、貴族という考えは生まれなかった筈です」


 メウェンは瑞樹の問いに目をしばたたかせ、ゆっくりと目を閉じて思考する。


「ふむ、その様な疑問が生まれるのも異世界人なればこそ、か。あまり深く考えた事が無かったが確かに端から見れば差が無い様にも見える…君は悪魔を見た事があるかね?」


 瑞樹はおもわずはい?と素っ頓狂な声を上げる。貴族と悪魔に一体どんな関係性があるかまるで分からなかった。


「町の近くの森でオークを見かけた事はありますけど」


「そんな雑魚と一緒にするな。悪魔とは、魔神の眷属だと考えられていて神出鬼没、それでいてとても強い。平民の魔力では太刀打ち出来ない程にな」


 予想外の大真面目な話しに、瑞樹は姿勢を正し真剣に耳を傾ける。


「それを倒す為に貴族がいる、と?」


「無論討伐も貴族の役割だが、それだけでは無い。君は知らないだろうが、町には強大な結界が張られている。町に近づくのを検知する為、そして万が一の防壁とする為だ。ただ結界の維持には膨大な魔力を必要とする為、魔力の多い者が貴族として扱われ、安寧を維持する代わりに税などを徴収している。ここまでは理解できたかね?」


 瑞樹ははいと大きく頷く。闇雲に権力を振りかざしている訳ではないと、少しだけ貴族の見方を改めた。


「魔力とは極端に言えば命そのものだ、それは君が良く知っているだろう?自らの命を提供しているにも関わらず、庇護下の者は不平不満を述べればどう思う?」


「…とても嫌な気分になります」


「そうだろう、故に貴族と平民の間には絶対的な差があり、不穏分子を野放しにする訳にはいかないのだ」


 正論過ぎて瑞樹はぐうの音も出ない。自身の貴族に匹敵する魔力量、それだけで持てる選択肢が増える。メウェン含め、貴族が平民を切り捨てても身柄を確保しておきたくなる理由を理解出来てしまうのが悲しかった。


「しかし、その理屈で言うとニィガは何故オットーさんが町長を務めているのですか?もしかしてあの人も貴族なのですか?」


 ニィガの町の長はオットーである事は勿論瑞樹も知っている。ただ、自身が貴族であるとは聞いた事が無い。その質問にメウェンはとても困った様な顔をしていた。


「あれは…まぁ色々あるのだ。ただ結界を維持出来る魔力を持っているとだけ言っておこう」


 メウェンが口を噤みたくなる内容、結界を維持出来る魔力を持っている。そこから考えられるのはそう多くは無い、これ以上は聞かない方が良いだろうと、瑞樹は「そうですか」と言うに留めた。


「君も帰って色々と勉強すると良い…そろそろ時間だ。君はエレナに挨拶をしてきなさい」


 時計が十二時を指した頃、外から鐘の音が聞こえてくる。この鐘が会談に終わりを告げ、瑞樹はメウェンに一礼した後、エレナの部屋に向かう。この後帰るので、別れの挨拶をする為である。


 コンコンと扉をノックすると、すこし浮わついた声で「どうぞ」と返ってくる。従者が扉を開け中に入ると、そこにはオリヴィアと少し着飾ったエレナがそこにいた。


「瑞樹様、良く来てくれました…ではお母様、人払いをお願い致しますわ」


「えぇ、後は若い人達で仲良くしてちょうだい」


 オリヴィアはクスクスと微笑みながら、従者を引き連れて部屋の外へと向かう。扉が完全に閉まると、何故か真剣な顔をしているエレナが口を開く。


「瑞樹様は…もう帰ってしまわれるのですね」


 瑞樹はエレナの前で跪き、はいと一言だけ返事をする。


「どうですか?今日の私は違うでしょう?」


 淡い赤色のドレスで、所々にフリルがあしらってある。髪には白い生花を一つ差していた。


「大変良く似合っております」


「ありがとう…此度の件、貴方様には多大なご迷惑をかけてしまいました。私が出来る事はとても微々たるものですが、せめて貴方様には生涯を賭けて尽くしたいと思います…此度の件大義でした、また貴方と会える事を楽しみにしています」


 その顔は幼くもあり、貴族の片鱗も見える凛とした表情だった。瑞樹も頭を下げて返事をし、部屋を後にする。


 瑞樹はゴトゴトと馬車に揺られながら、これまでの事を反芻し、これからの事に頭を悩ませる。…あぁビリーに何て言えば良いのか、頭痛は酷くなるばかりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る