未来を縛る呪い

 瑞樹は夢を見ていた。異世界で魔法を使っている、そんな夢を。手を枕代わりにして机に突っ伏して寝ていたせいか、手が痺れて痛い。手をマッサージし、脳内メモリから夢の事をもう少し詳細に思い出そうとするが、断片的にしか分からない。その手の作品の見すぎかな?瑞樹は眉を眉を寄せ不思議に思いつつ、視線をパソコンの方に向ける。自分がパソコンなら検索すれば一発で分かるのに、荒唐無稽な事を考えながら、ふと以前投稿した動画の事が気になりブラウザを開く。部屋にはカチカチとクリック音だけが響き、外の喧騒とはまるで隔離されている様な静けさだ。いくつかのページを経て、動画のコメント欄を見ると、新しいコメントが書かれていた。あなたの歌に元気をもらいました!これからバイトの面接に行ってきます!と


 それはどこまで本当か分からない、ごくありふれたコメント。それを見て瑞樹は、自分の歌にそんな力は無いよ、そんな気になってるだけさ。そんな捻くれた見方をしながら、瑞樹はもう一つ夢の断片を思い出した。


そういえば、


「あの子は元気になったかな…」


瑞樹の意識はここで無くなった。


 瑞樹は夢を見ていた。家でパソコンをいじっている、少し前までの日常の風景を。頭に靄がかかった様に、いまいち思考が回らない。ぼんやりと風景を眺めると、見知らぬ天井と部屋の内装、そして誰かが立っているのが見えた。


「あぁ良かったです!意識が戻られたのですね!」


 そこにいたのは一人の従者だった、本当に良かったと心の底から安堵するような、そんな思いが言葉から滲み出ている。そういえば侯爵様の邸宅に来ているんだったっけ、瑞樹はぼんやりと思考しつつ、身体を起こそうとするが全く動かず辛うじて手足の先が動くだけだった。


「ご無理なさらないでください。今侯爵様をお呼び致しますので少々お待ち下さい」


 一礼し、従者は部屋を出ていく。俺、生きてるんだな。徐々に身体の感覚が戻り、自分はまだ生きているんだと、実感する瑞樹。そういえばあの子はどうなったのかな?瑞樹の疑問はすぐに解消される。


「おぉ!良く意識を戻してくれたな、とても心配していたのだ」


 部屋に入るなり、メウェンのやかましい声が今までの静けさをぶち壊す。寝起きの瑞樹の頭にガンガンと響き、少しだけ辛い思いをする。


「侯爵様、あのあと一体どうなったのですか?」


「うむ、そうだなー」


 それからメウェンが瑞樹に事の顛末を話す。瑞樹は意識を失った後一時心臓が止まっていたらしく、常駐している医者の懸命な処置が無ければ、そのまま死んでいたのかもしれないと。冗談抜きで死にかけていたのだと思い、瑞樹は顔を青くする。そのお医者さんと自分の運の良さに心底感謝した。それから持ち直しはしたが丸三日目を覚まさなかったと。これが命を救う代償だったんだろう、運が悪ければそのまま逝っていたと思うと、瑞樹は改めて言霊の絶大な能力と代償を思い知らされた。


「それと、君にとっても重要な事だが…娘は…助かったよ。意識もはっきりとしている」


 感極まったのだろう、涙ぐみながらメウェンは告げる。瑞樹は本当に良かったと、目を閉じて静かに微笑む。貴族も権力も嫌い、それは嘘じゃない。あの時自分が断っていれば侯爵様は本当に手段を選ばず、誰に不幸が降りかかったか分かったものではない。自分の命で平穏が保たれるなら、それで良い。様々な思いが瑞樹を駆け巡る。少し経った後、落ち着きを取り戻したメウェンが漸く口を開く。


「君もしばらくは休むと良い、ここを自分の家だと思いゆっくりしていってくれ」


「ありがとうございます、お言葉に甘えさせて頂きます。…後失礼ですが一つお願いがあるのですが」


「娘の命の恩人だ、何でも言ってくれたまえ」


 今何でもって言ったよね?瑞樹は元の世界のテンプレを心の中で唱えつつ、お願いを口にする。


「はい、宿場町のビリーに伝言を頼みたいのです。俺は無事だと、もう少ししたら帰る、と」


「うむ、あの者も大層心配していたからな。分かった、確実に伝えておこう。…しかし、それほど仲睦まじいとまるで夫婦のようだ。残念ながら君は男であるが」


 まるで憑き物が落ちたかの様にメウェンは朗らかに笑う、ただ瑞樹は自分に男色の気なんか無いと心の中で叫びながら苦笑で返すしか無かった。


 それから瑞樹は従者に甲斐甲斐しくお世話されながら一日を過ごした。用を足すのに尿瓶を使われた時は顔から火が出るほど恥ずかしく、彼女達の、うわっ本当に生えてるんだ、みたいな顔は生涯忘れないだろう。食事も美味しく、白いパン、少し薄味だけど野菜がゴロゴロしたスープ、小食で尚且つ体調不良も相まって碌に食べられなかったが、とても堪能した。貴族と平民の差が如実に出ている事に少し寂しさも覚えていたが、普通は体験出来ない貴重な時間を過ごした。


 明けて翌日、朝食をいただいた後、ついにその時を迎える。瑞樹があの子に会うときが来た。若干緊張しながらも扉をノックする


「どうぞお入りください」


 その声はあの時「生きたい」と言った声と同じだった。


「失礼します」


 従者が扉を開き中へ入ると、そこにはメウェンとオリヴィアがいた。オリヴィアは少し目に涙を浮かべていた微笑んでいる。そして、死んだかのように眠っていたエレナがベッドの上で起き上がっていた。見た目はまだ変わっていない、だがその顔はとても良い笑顔をしている。肩までのウェーブがかかった金髪、青緑の瞳、あぁどこかで見た気がすると思ったら某アイドルゲームの金髪ロリお嬢様にそっくりだ、若干失礼な事を瑞樹が考えていると、エレナが初めて口を開く。


「あなたが橘瑞樹様ですか?私はエレナと申します。この度は助けていただき本当に感謝しております」


 深々と頭を下げ、しっかりとした口調で話す。子供とは思えないそれは、教育の賜物だろう。


「もう、お身体の方は大丈夫ですか?」


「えぇ、むしろ病にかかる前よりも力を感じるくらいですわ」


 瑞樹は目を細め、問いかける。もはや最期を待つのみかと思われたあの子が、今自分を見て微笑んでいる。本来自分には関係の無い命、半ば無理矢理な依頼であったとしても誰かを救えた、それだけでこみ上げるものがある。


「そうですか、であれば私も命を賭けたかいもありました」


「えっ?命…とは?」


 一瞬瑞樹があれ、これって失言では?と思考停止し、隣にいるメウェンとオリヴィアの顔を見ると、メウェンは眉間に皺を寄せながら手を当て、オリヴィアはあらあらと困った様な笑顔をしていた。どうします?瑞樹はメウェンにそんな視線を送ると、自分で何とかしろと、冷たい視線が突き刺さる。ハアと溜め息を一つ吐いた後、説明するとエレナは顔面蒼白になり今にも泣き崩れてしまいそうだった。正直瑞樹にとって意外で、平民なれば貴族にその全てを尽くすなど当然、子供だとしてもそういう考えを持っていると思っていたがそんな事は無く、まだそのような貴族的な倫理観は持ち合わせていなかったのだ。


「そ、そんな…私の為にそんな危険な真似をさせてしまっていたなんて…本当に申し訳ありません…」


「あなたが責任を感じる必要は無いですよ。自分で決めたんです、なにがあってもあなたを助けたいと」


涙を流していたその瞳はなにか覚悟を決めたような力強さを感じる。


「私は貴方様に生涯を賭けても返せない恩を受けました。それに報いる為に私は貴方様の伴侶となり、生涯尽くして生きたいと考えております。」


 絶句、瑞樹は文字通り開いた口が塞がらなかった。ご両親もなに言ってんのこの娘は、という表情で辺りが静まり返る。一番早く我に返ったオリヴィアさんが目を細め微笑みながら、予想外の事を言う。


「あら、あなたがそれほどの決意を持っているのなら私は是非応援したいわ。あなたはどう?」


 いやそこは窘める所では!?瑞樹は心の中でツッコミを入れるが言葉にはしない、助けを求めてメウェンの方に視線を送ると、色々思考しながら重苦しく口を開く。


「いや、それは良くないぞエレナよ」


そうだそうだもっと言ってくれ。ある意味で元凶の人物を応援せねばならない事に少々思う所はあったが致し方ない、心の中で応援する瑞樹。


「エレナが嫁に行くと我が家の跡継ぎがいなくなってしまう、それに平民が貴族の娘を娶ったとなれば家の品位に傷がつく」


 瑞樹は遠回しに馬鹿にされた様な?酷く嫌な予感をしていると、あえなく的中する事となる。


「そうだこうしよう。君を養子にしよう」


 メウェンは手をポンと叩き、天啓を得たと言わんばかりの表情で提案する。流石の瑞樹も意味が分かりませんと、思わず説明を求める。


「君は知らないだろうが、貴族では近親婚はそう珍しい事では無い、過去に何度か例もある。故に君を一度養子として迎え、貴族社会の知識を叩き込み、貴族として恥ずかしくない様になってから君を婿として迎える」


「あら、それは良い考えですわね」


「はい、流石はお父様ですわ」


「でも、近親婚って対外的にどうなんですか?そもそも平民を養子にしている時点で品位の点からみても宜しくないのでは?」


 明らかに自分を囲い、利用しようとしている。嫌でも瑞樹はそれを分かってしまう、言葉の端々から滲み出る平民への意識、怒りを自身の奥底に蓋をして瑞樹は何とか考えを改めさせようと誘導する。


「確かに近親婚の間に産まれた子は忌み子となる場合が多く、家を残すという貴族にとって重要な役割ををこなせないという意味では風当たりが強い。だがこの件は違い、養子として迎え入れても君は親族では無い。ちゃんと子を生す事が出来るだろう。もう一つの君の疑問だが、そもそも君を平民として養子にする訳では無い。我々の遠縁の親族として迎えれば周囲から疑問の一つも出ないだろう」


「ですが、私は既に宿場町で色々な縁を結んでいます。そこから漏れてしまうのでは?」


「君は小さい頃、訳あって奴隷に身を落とす事になる。その時出会った…ビリーと言ったか、家主に拾われて生活を共にする。君は類稀なる魔法を持っている事に我々が目をつけ、調べていくうちに発覚する。後の流れは先程述べた通りだ、他に何かあるかね?」


 ぐうの音も出ない、瑞樹とメウェンでは交渉能力の差が天と地程の差がある。あからさまに嫌そうな顔を瑞樹がしているとエレナが話しかけてくる。


「どうしても駄目ですの?私は貴方様をこんなにも想っているのに…」


 瞳に涙を溜めながら上目遣いで俺に詰め寄る。この子は自分の武器を熟知して、あえて使っている。末恐ろしい子供だと思いながらも、瑞樹は口を噤む、はいとは決して自分の口から言いたくなかった。その様子を見たメウェンが、ハァと溜め息を吐きながら、一つの提案を瑞樹に持ち掛ける。


「君が我々、ひいては貴族に対して思う所があるのは重々理解しているつもりだ。それに君の為でもある、先程の類稀なる魔法を君が持っているのは事実だ。遅かれ早かれ他の貴族にも漏れるだろう、その時ここまで君に優しくする者はそういないだろう、下手をすれば拉致されて強制的に隷属されてもおかしく無い。それを踏まえて君に一つ提案しよう…今から十年、君に猶予を与える。」


 その提案とは、今から十年…エレナが二十歳になるまで待つという事だ。この世界では十五歳前後で婚姻を結ぶのが普通で、それを貴族の娘が想い人も明かせず二十歳まで結婚しないというのは対外的にも良い印象は持たれない。


「ですが、十年も待つのであれば私よりも良い男性が見つかるかもしれません。エレナ様にも苦労をかけます、それでも良いのですか?」


「私の想いはその程度で薄くなる事はあり得ませんわ。むしろ十年という時間が、より貴方様への想いを強くすることでしょう。世継ぎを残す事も私の重要な使命ですが、それでも私は家以上に貴方様への想いを大事にしていきたいのですわ」


 退路はもうどこにも無かった、諦めかける瑞樹にメウェンが止めを刺す。


「君の感情を鑑みてもあまり言いたく無いのだが、我々貴族は平民に対して絶大な権力を持っている。それを良く考えてもらいたい。十年もの猶予を与えるのだ、その後君の意思に関係無く我々の養子になってもらうこれは決定事項だ」


 君にもう選択肢は無い、メウェンの目が如実に語っている。瑞樹は奥歯を噛みしめ、はいと頷くしか出来なかった。


 死の運命を捻じ曲げた代償は、自分の運命だった。あまりに大きな代償に、瑞樹は後悔する。とてもとても遅い後悔を。


 その日の夜、ささやかな晩餐会が催された。参加者はハワード侯爵一家と瑞樹のみである。メニューもエレナに配慮した消化に良い物ばかりであるが不満はどこからも出てこない。この人達にとっては、今この瞬間が最高のご馳走なのだから。従者達が美しい動きで給仕し、それを楽しく頂く侯爵一家。瑞樹はとてもそんな気分になれず、口に無理矢理食事を詰め込んでいた。隣に座っているエレナが様子の変な瑞樹に気づき、話しかける。


「あら、瑞樹様は私に合わせずにもっと良い物を食べても良いのですよ?」


 どうやら食事に不満があると思われたらしく、慌てて瑞樹は取り繕う。


「いえ、美味しく頂いております」


「そうですか。…それにしても瑞樹様の髪はとても美しいですわね。吸い込まれそうな夜空に、まるでお月様の光が差し込んでいる様な、見ていてウットリしてしまいます」


 エレナは顔を頬を赤く染め、感嘆の声をあげる。


「エレナ様も、私よりずっと綺麗になりますよ」


 瑞樹がそう言うとエレナの顔はさらに赤くなり、恥ずかしいながらも満面の笑みでこちらを見ている。何の事は無い、ただの会話であったが、ご両親の目にはどう映っているのだろうか。様々な思いが駆け巡っているのだろう、目にはうっすらと涙を浮かべ微笑んでいた。


 自分の歌には力なんて無い、瑞樹は今でもそう思っている。だが現実は違った、自分の運命さえ捻じ曲げるその力を持ってしまった事を恨めしく思い、受け入れるしかない自分の弱さに歯噛みした。

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