終・命を救う代償

「遅いぞ」


「申し訳ありません」


 扉が閉まり、ぴしゃりと鞭を振る音が聞こえたと思ったらゴトゴトと馬車が動き始める。瑞樹はちらりと進行方向の窓から覗くと、先程の男性が見えた。どうやら運転手、もとい御者だったらしい。今後を思い、瑞樹はメウェンに一つお願い事をする。


「侯爵様、一つだけお願いがあるのですが聞いていただけませんか?」


「とりあえず聞こう、叶えられるかは聞いてからだ」


「ありがとうございます。そのお願いというのは、この件が終わったら私を必ずビリーの元へ返してください…それがどんな状態であったとしても」


 瑞樹のその目は、まるで達観しているような決意に満ちていた。あの魔法の代償は使ってみなければ分からない、恐らく最期の願いになるだろうと思考し、今のうちに伝えておくべきだと判断した。


「それは…いや止そう。それが君の願いであれば、必ず彼の元へ返す事をここに約束しよう」


 メウェンもその意味を汲み取り、願いを聞き入れてくれる。以降は会話も無く静かに、そして重苦しい空気のまま馬車に揺られていく。


 馬車に揺られる事数時間、漸くメウェンの邸宅に着いた。場所は城下町の更に奥、王様の居城からほど近い。それは豪邸という言葉だけでは全く言い表せない程の超がつく大豪邸だった。玄関前には煌びやかな噴水、周囲は良く手入れされた草木や花々、豪邸の白い壁は外であるのを感じさせない位に綺麗で、とても眩しい光沢を放っている。従者のお出迎えを受け、玄関の扉が開かれる。開けるのは勿論従者の役目で、瑞樹はまるでお伽噺に入り込んだような気分だった。中へ入るとこれまたびっくり、使用人やらメイドさんやらがずらっと並んでお出迎えをしてくれる。瑞樹は正直ドン引きだった、何事にも限度はある。そんな思いをメウェンは露知らず二階のある一室へと案内される。


「ここが娘の部屋だ、入りなさい」


「失礼します」


 従者が扉を開け、侯爵様に促されて中へ入ると一人の女性と、ベッドで眠っている子供がいた。


「紹介しよう、私の妻のオリヴィアだ」


「初めまして、オリヴィアと申しますわ。あなたが例の魔導士なのですね?」


オリヴィアと名乗る女性はそれはもう綺麗だった。白い肌、宝石の様な青い瞳、腰程の長さのストレートの金髪、とても子を産んだとは思えない引き締まった身体、何より大人の女性特有の艶を感じる。


「初めまして私は橘瑞樹といいます。出来るだけご期待に応えられるよう努力したいと思います」


「そして…この子が娘のエレナだ。実はもうじき誕生日でね、十歳になる」


 エレナという少女はオリヴィアとは違い、ウェーブがかかった金髪で、他は母親譲りの綺麗な顔をしている。…元気であったならと。肌や唇は荒れてガサガサ、美しかったであろうその髪は艶もなくボサボサとなってしまっている。実の所瑞樹は少しだけ医学の知識がある、とは言っても流石に趣味で医学書を読むのはハードルが高すぎるので[よく分かる家庭の医学]程度の代物だが。そんな素人同然の人間でも分かる、この子はもう永くないと。


「少し前までは辛うじてスープ程度なら口に出来ていたのだが、ここ最近はそれすらも出来ず貴重な霊薬で何とか繋ぎ止めている状態なのだ」


「それが本当なら、急いだ方が良いですね。」


 それから今後どうするかを打ち合わせる。勿論瑞樹の言霊を使えば結末はどうあれ結果はすぐに出る。だがそれは切り札であり最終手段で、しかも癒しの歌は病には効果が表れない。しかし、もしかしたら作詞魔法で新たな歌を作れば歌魔法になるのでは?と瑞樹は考え、それを二人に提案すると「君に全て一任する」との返答された。了承を得てまず作詞を始める、のだが作詞魔法は曲が無いと発動しないという酷く使い勝手の悪い魔法だった。瑞樹は歌を聴くのも歌うのも大好きだが歌を生み出す側には回れなかった。作曲や作詞の才能が壊滅的で、涙を流し諦めたのだ。事情を説明すると、別室の方へ案内される。そこで目にしたのは、学校の音楽室の様な場所で、きれいに手入れされている色々な楽器が整然と並べられていた。


「ここにピアノがある、楽士はこちらで用意しよう。本番もここで行いたいと思うのだが、どうかね?」


「はい、私は問題無いです。…早速準備を行ないたいのですが」


「分かった、少し待っていてくれ」


 メウェは誰かを呼ぶように従者に命令し、自身も執務があるからとその場を離れる。自分の子供が死にかけているにも関わらずお仕事とは、貴族というのも面倒だなと瑞樹は少しだけ同情する。少し待っていると田舎のお婆ちゃんの様なシワが深く、髪は白髪が目立つ女性が入って来た。二人は挨拶もほどほどに早速曲作りを始める。伴奏を聞き、それに詞を加える作業は深夜にまで及ぶ。


「ふぅ、これで完成ですね。…すみません、こんな時間まで付き合わせてしまって」


「いえ、大丈夫です。それではまた明日、よろしくお願い致しますね」


 柔らかな物腰でそう言い、部屋から立ち去る。自分も早く寝て備えよう、瑞樹はそう思い用意されている寝室に従者に案内されながら向かう。寝床につき目を閉じる、ビリーの家のそれとは比べ物にならない程柔らかいベッドに、眠りやすいという感想よりこんなに差があるのか、といった不満が出るのは瑞樹が根っからの庶民だからだろう。本当に成功するのか、もし成功したら自分は、拭いきれない不安と恐怖に蓋をして、瑞樹は浅い眠りにつく。


 翌日軽い朝食を頂き準備に入る。音楽室にいるのはメウェンとその妻、あの子とピアノ奏者、そして瑞樹だ。用意が出来て瑞樹は侯爵様に目配せすると、ひとつ頷く。


 瑞樹は伴奏に合わせ詞を紡ぐ。残念だがあの声は聞こえず、歌魔法とはならなかった。それでも一縷の望みを賭け、歌を続ける。


瑞樹は歌う。

ただ生きて欲しいと。

健やかに育って欲しいと。

祈りを込めて。


 瑞樹は歌い終わり、メウェンとオリヴィアの方を見ると目にうっすらと涙を浮かべ、小さく拍手をしているのが見えた。あの子はというと、近づいて見ると変わりは無いように見える。が、閉じた目から涙が出ている。何かしらの効果はあったらしいが、まだ足りていない。ふうと一息吐き、瑞樹は覚悟を決める。


「侯爵様、もう一つ…いや二つだけお願いがあります。聞いていただけませんか?」


 これが本当に最期になると、瑞樹の目が雄弁に語っている。それをメウェンは無下に出来なかった。


「一つはもしこの子が治り、私が死んだとしても、この子にその事実を伝えないでください。子供にそんな業を背負わせたまま生きて欲しく無いんです」


「…本当にそれで良いのかね?それでは君がー」


「良いんです…一度失った命、誰かの為に使うのも悪くないでしょう?」


「…君がそこまで言うのなら仕方ない。その業は生涯私が背負い、償っていく事を約束しよう」


「もう一つは…私が亡骸で帰った時、ビリーは間違い無く侯爵様を憎み暴言を吐き、もしかしたら手をあげるかもしれません。ですがどうか許してあげてください…あれは自分を想っての事で悪気は無いです。」


「万が一、貴族に手をあげることがあれば確約出来ぬが、そこまでの暴挙に出なければ最大限努力しよう」


「ありがとうございます、そうならない様に祈っています」


 瑞樹に心残りが無いというと嘘になる。この広い世界をもっと自分の目で見たかった。最期は…一緒にいたかった。目から想いが溢れる、貴族なんて大嫌い、権力なんて大嫌い、それでも瑞樹は魔力を込めてエレナに語りかける。


「私はー」


『あなたを助けたい』


言霊を発動した直後、瑞樹はその場に倒れる。

鼓動がどんどん小さくなる。

薄れ行く意識のなか、声を聞いた。

とても小さく、とても力強く、

「生きたい」と。


あの子かな、そうだと良いなと思いながら

瑞樹は意識を失った。

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