目覚めた力

「駄目だ」


「何でだよ、別に良いだろ」


「ざけんな!素人なんか連れて行ける訳無いだろ!」


 翌日、二人は朝から口喧嘩をしていた。何故こんな事になっているのかと言うと、話しは少し遡る。それは朝飯を食べていた時の事、昨日の夜狩りに出かけるだのなんだのと言っていた事を思い出し、少し聞いてみようと瑞樹が問いかけたのが事の発端である。


「そういえば今日狩りに出かけるとか言ってたな」


「あぁ、誰かさんの飯代を稼がないといけないしな」


 瑞樹はとりあえず行く宛てが出来るまで、しばらくビリーの所に居候する事が決まっていた。


「そっか、んで何を狩るんだ?」


「何って、魔物だよ。とは言っても見た目は動物と大して変わらないけどな。肉も食えるしギルドに出せば素材として買い取ってくれるしな」


 曰く、ビリーは基本的には魔物を狩り、それをお金に変えて生活しているらしい。以前ビリーが将来の夢を語っていたが、今現在を生きている以上は食い扶持が必要な為、日々命を危険晒して代価を得ていた。


 だからこそ瑞樹は一緒に付いていきたいらしい。それは金稼ぎも勿論一つの要因だろうが、何より家主におんぶにだっこの状況を快く思っていないのが大きいようで、それを彼に打ち明ける。


「なぁビリー、俺も狩りに連れていって欲しいんだけど」


 そして冒頭に戻る。確かに瑞樹のようなド素人の御守りなど誰だろうと嫌だろう、それだけでリスクがはね上がる。


「なぁ頼むよ、折角冒険者になったんだから自分の力で金を稼ぎたいんだ」


「駄目に決まってんだろ。それに金を稼ぎたいってんなら狩りじゃなくても、薬草積みとか簡単な依頼だってあるだろうし、無理する事はねぇよ」


 なかなか頑固なビリーに対して、瑞樹はぐぬぬと口をへの字にしている。確かに付いていっても役には立たないと自身も思っているようだが、いざ人に言われると腹が立つらしい。ならばと瑞樹はビリーにすっと近づく。


「なぁ、どうしても駄目か?」


「しつけえぞ、駄目なものはだめって…えぇっ!?」


 ビリーはちらりと瑞樹の方に視線をやると突然酷く狼狽え始める。というのも、すっと近づいた瑞樹の上目遣いは男だからこそ分かる急所を的確に突く必殺技だった。しかもビリーの見た目はチャラい癖に意外とウブな所がある、というのを理解してやっているのだから性格が悪い。自分の武器、特性を理解して惜しげも無く使う辺り、瑞樹の強かさは存外馬鹿に出来ないようだ。


「ぐぅぅっ、分かった!分かったよ!だからこっち見んな!」


 ビリーがチョロいのも相まって、すぐさまばっと顔を逸らしながらすぐに折れてしまった彼に、瑞樹は将来尻に敷かれそうだと少し同情したようだ。さておき、瑞樹は晴れて魔物狩りに同行する事となったのであった。


 それから少しして、ご機嫌斜めのビリーは身支度を始めた。簡易な革鎧を着込み、腰に剣をぶら下げる。その後準備を終えたビリーに連れられて瑞樹は武具屋へと足を運ぶ。曰く、いくらなんでも丸腰で連れていく訳には行かないという事で、取り敢えず最低限の胸当てとビリーのものより少し短い剣を買ってもらう。なおこのお金は初日にライブで稼いだものらしく、ほぼ使いきってしまったと怒っていた。


「着いたぞ、ここが話していた森だ」


 そこは歩いて三十分位の所で、木々が生い茂り一度奥へ入ってしまえば迷ってしまいそうな場所だった。


「良いか、もう一回言うぞ。お前は俺の言うことに絶対従え、勝手な行動はするな。あと今日は見ているだけで良いから自分の身を守ることだけを考えろ。良いな?」


「分かってるよ、教官殿」


「着いてこれなかったら置いてくからな、覚悟しとけ」


 全く、優しいんだか厳しいんだか良く分からない。瑞樹はそんな事を思いながらビリーの背中をぴったりと追い続ける。そういえば今日の獲物ってなんだろうかと唐突に考えた瑞樹は、そっとビリーに話しかける。


「そういえば今日はどんなやつを狩るんだ?」


「あぁ、ワイルドボアだ」


 曰く、そのまんま猪である。ただ違うのは牙がとても発達しており、油断していると死ぬ可能性もある、とても危険な魔物らしい。しかも毎年何人か被害者も出ているとの事。


 さらには数自体はそこまで多くはないが人の身長よりも大きい個体もいるらしい。ただ滅多に人前に現れないそうで、瑞樹は恐怖からか少し震える身体を手で摩りながら考えないようにしていた。


 一時間ほど木々を掻き分けながら森の中を進み、突然先行していたビリーが止まる。どうやら獲物がいたらしい。だが大きさとして平均よりかなり小さい子供のようだ。寝ているのだろうか、獲物はその場から動こうとしない。


 好機とみたビリーはゆっくり近づき、そのまま腰の剣で喉元を一突きすると、ブキィィッッ!!と辺りに断末魔が響き渡った。だが子供とはいえ魔物、甘く見てはいけない事を良く理解しているビリーは、さらに剣を力いっぱい突き立てると、じきにピクリとも動かなくなり絶命した。


「……ふぅ、まぁこんなもんだ。しかし小さいな、まだ子供みたいだ。腹の足しにもならんが仕方ないか」


 唐突に瑞樹の心が嫌な気分に包まれ始める。何故か拭い切れない不安と焦り、初めて間近で生き物を殺す瞬間を見たからかな?と瑞樹が思ったその瞬間、嫌な感じの原因が理解出来た。


「ビリー!後ろ!」


「なっ!?ぐあぁっ!」


 子供がいると言うことは親がいる。しかもそれはビリーの身長を軽々と超える所謂大物だった。ビリーはその大物の突進を背後から受けてしまい吹き飛ばされてしまう。瑞樹は辛くも避ける事が出来たので、すぐにビリーの元へ向かうと、彼は顔を青ざめさせながら絶句した。かなり傷が酷い。


 木々の枝や雑木のせいで全身から血が流れており、何より右足の出血が酷い。さっきの突進を受けた時、もろに牙の一撃を受けてしまったようだ。どうする?早く助けないと!でもどうやって?後ろには奴がいる、逃げられない、戦う?無理だ!なら置き去りにして逃げるか?いや絶体に駄目だ!助けるんだ!絶対に!


 完全にトラウマになっている人の血を見たせいか、酷い吐き気と恐怖に苛まれる瑞樹だったが辛うじて残っている正気で何とか思考し、そして覚悟を決めた。


「おぃ……早く俺を置いて逃げろ…どのみちもう俺は助からねぇ……」


「ふざけんな!そんな事出来る訳無いだろ!」


「俺の言うことに従うって言ったろ……!良いから早く奴が戻ってくる前に……」


「駄目だ!お前は絶対にー」


『死なせない!助けるんだ!』


だがどうすれば良いか瑞樹には未だ答えが出せずにいた。吐き気と恐怖に耐え思考を繰り返していたその時──


──ウタエ


 瑞樹の頭に直接響くその声は、ビリーと初めて会ったあの日も何処からともなく聞こえた声だった。でも今そんな事をしてなんの意味がある!でも、いやもうこれに賭けるしかない!と瑞樹は悩みながらも決心する。ビリーを死の淵まで追いやった巨体はすぐ近くにまで迫っていた。


 頭に浮かぶ新たな詞、それを思うままに歌う。魂を震わせ、自分の全てを賭す。それは戦神の猛々しい戦歌の如く。


 何故だろう、頭が冴える。身体が軽い、奴の動きが分かる。瑞樹は困惑しながらもそれを考えるのは後だと腰の剣を抜き、大物と相対する。大物は怒声を上げながら瑞樹に向かって突進を仕掛けるが、何とか回避し瑞樹の全身全霊の力を込めた一撃が右前足に直撃する。


 手応えはあったと、瑞樹はにやりと口角を上げる。それを裏付けるように大物はもう立つ事が出来ていないようだった。立とうと踏ん張ってはいるが巨体が裏目に出るようで、切り付けられた足に一層負荷が掛かりさながら噴水のように血を吹き出していた。


 しかし瑞樹も無傷とはいかなかった。破壊力のある突進で、いくら避けて切りつけたとはいえ彼の両手は皮がずる剥け、血が出ていた。だが不思議と痛みは感じ無かったらしく再び剣を握り、とどめを刺す為に歩み寄ると奴も必死に巨体を暴れさせて抵抗する。


『いい加減、早く死ねよ』


 その時の瑞樹は不気味な笑みを浮かべていた。誰がどう見ても正気では無い笑みを。そして彼のたった一言で何故かその巨体はピクリとも動かなくなった。その巨体にゆらゆらと身体を揺らしながら近付いた瑞樹は何度も、何度も喉元を剣で突き刺し、瑞樹も含めて辺りは鮮血に染まる。その後、止めを刺した余韻に浸る事も無く、ふらふらとビリーの元へ駆け出そうとする瑞樹。だがその瞬間──


「いぃってぇぇっ!」


 今まで感じていなかった痛みが一気に瑞樹を襲う。気を抜くとその場で転げ回りそうになるほどだったが、それでも涙を流しながらビリーの方へ向かうが、彼はもう意識がはっきりしないほど衰弱していた。早くなんとかしないと本当に死んじまう!頼むよ神様…本当にいるんならこいつを助けてくれ。平生の瑞樹であれば文字通り死んでも頼みたくない神に祈り続ける。それ程瑞樹にとって彼は無くてはならない存在に達していた。そして瑞樹の必死の祈りが何かに届いたのか──


──ウタエ


 再びあの声が瑞樹の中に響いた。だが瑞樹には最早迷っている余裕など微塵も無く、これ以上ない程素直に受け入れる。


『絶対に死なせないから』


 瑞樹の中から生まれる詞を、心が望むままに歌う。優しく包み込み、慈しむ。それは慈母神の如く全てを優しく包みこむように。


 傷が少しずつ癒えていく。先程まで血の気が無かった顔も少しずつ赤みを帯び、ついでに瑞樹の傷も治癒されていた。まるで魔法、というか本当に魔法なのだろう。何故魔法なんか使えるのか瑞樹が不審そうに考え込んでいると、ビリーの意識が回復してきたようで閉じていた瞼がゆっくりと開き始める。


「…うぅん、あれ?なんで俺生きてるんだ?」


 目を覚ましたビリーの目に飛び込んできたのは、先程浴びた鮮血がどす黒く濁り、不気味な雰囲気を醸し出しながら泣いている瑞樹と、何故か息絶えた大物の姿だった。流石に状況が全く理解出来ず困惑を極めた様子のビリーだったが、瑞樹がいて大物が死んでいる。瑞樹への違和感、異様さに一抹の恐怖と不安を覚えながらも、取り敢えずビリーにとって今この瞬間だけはそれだけで十分だったようだ。


「あは……良かった………生きてた……」


「お前……逃げろって言わなかったか?」


「それでも……俺はお前を置いて逃げるなんて出来ないよ」


 怒れば良いやら褒めれば良いやら、ビリーはただ苦笑するしかなく、むしろ泣き止ませるのに精一杯だったらしく必死に瑞樹の頭を撫でていた。


「全く……それにしてもあれはお前がやったのか?」


 魔物の喉元には今朝瑞樹に買い与えられた剣が深々と突き刺さっているが、状況的にそれが出来るのはどう見ても一人しかいない。困惑したままのビリーは恐る恐る瑞樹に問いただす。


「いや、無我夢中だったから。自分でもなんでこうなったのか分からないんだ」


 手で顎を撫でながら瑞樹は答えると、まるで他人事かと若干苛立ちを覚えるビリー。だが現状それを解明出来ないのもまた事実で、それより重要なのはあの巨体をどうやって持ち帰るかという話しに切り替わる。


「あれ、どうしようか」


「そうだなぁ……二人じゃ無理だし、おっとっと」


「ちょっとビリー、無茶しないでくれよ」


「あぁ大丈夫、少し貧血っぽいだけだ」


 立ち上がろうとするビリーだったが立ち眩みのようにガクッと膝を折ると、瑞樹は再び心配そうに彼を見つめてから肩を貸した。


「悪いな」


「気にしないでくれって。で、これどうする?仕方無いしここに置いて行くか?」


「いやぁ勿体無いだろ。取り敢えずギルドに戻って回収の依頼でも出してみるか。暇な奴が居れば受けてくれるだろ」


「分かった。でも誰かに盗られたりしないかな?」


「そん時はそん時だ。潔く諦めるってもんだ」


「そっか。じゃあ早めにゆっくり戻ろう」


「へっ、何だよそれ」


 その後ギルドに戻った二人は運良く数人の冒険者の助力を得る事が出来た。再び同じ場所に戻るとこれまた運良く持ち逃げはされていなかった。


 しかし、応援を連れてきたとはいえ運び出すのにかなり苦労する事になる。物が物なだけに持ち上げる事が出来ず、仕方なくそこら中を縄で縛り、引きずりながらやっとの思いでギルドまで持ち帰ったのだった。


 そして、そのまま解体を依頼し全てお金に変えると、少なくとも今日瑞樹に買い与えられた武具の代金くらいにはなりそうとの事で、瑞樹は内心ほっとしていたようだ。これで生活費の工面が出来た。そんな事を考えながら二人は満足気に帰路へ着く。


 夕食後、ビリーは瑞樹にあの時の事をもう一度問いただしていた。


「で?実際あの時なにがどうなったんだ?」


 その問いを聞いた瑞樹の顔はとても困惑したように眉尻を下げていた。どうやら本当に無我夢中だったらしい。


「それは俺が聞きたいよ。頭に浮かぶ詞を歌ったら突然動きが良くなったり、ビリーの傷が治ったりしたんだからな。どう考えても魔法しかあり得ないだろ」


「でもそんな魔法聞いた事無ぇけどな。まぁ知恵も知識も無い俺らがこれ以上悩んだって無駄だから、やっぱりさっさと王都に行って能力の鑑定をしてもらった方が早いな」


「まぁね。その為にさっさと金を稼がないと」


「だな。さぁて、今日は疲れたし寝るとするか」


「はいよ」


 ビリーが大きな欠伸を出しながらもぞもぞとベッドに潜り込むのを見た後、瑞樹も毛布にくるまって目を閉じた。蝋燭も消され真っ暗になって少し経った後、唐突にビリーが瑞樹に話しかける。


「なぁ瑞樹、これだけは言っておく」


「うん?どうした急に改まって」


「お前の魔法が一体何なのかは知らんけど、俺はお前に助けられたのは事実だ、礼を言う。ありがとう、お前のお陰で死なずに済んだ」


「良いよ別に、気にすんなよ。……それに、お前が生きてて俺も嬉しかった。本当に」


「へっ、気持ちの悪い奴だ。男に言われたって嬉しかねぇよ。……これからもよろしくな相棒」


「あぁ、これからもよろしく。ずっと、ね」


 出会ってまだ二日しか経っていないが、瑞樹は確かな絆をこの世界で結ぶ事が出来た。それは絶望の暗闇に居た瑞樹にとっては、一筋の光明だったのだろう。これからの生活にほんの少しだけ希望を持ちながら、瑞樹は深い深い眠りへとついた。

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