絶望の先に

「……ぅ……頭痛ぇ……というかここ、何処……?」


 永劫覚まさない筈の傷を負った瑞樹が目を覚ましたのは、つい先程まで居たコンクリート製のジャングルとはまるで違い、本物の木々が眼前に広がっていた。


 瑞樹は頭をくらくらさせながらもきっと夢を見ているんだろう、白昼夢を体験してるのだろうと、手の甲を血が滲むほど抓ってみたり、頬を思い切りひっぱたいてみたりしたが、結局返ってくるのは紛れも無い痛みだけだった。さらに皮肉な事に、瑞樹はその痛みで漸く先程刺された事を思い出す。


 さぁっと血の気を引かせながら慌てて刺された場所を触ったり、服をめくって見ても傷どころか痕一つ彼の身体には残っていなかった。


 酷く不審に思いながらも、瑞樹は当時の情景をフラッシュバックさせる。鉄っぽい匂いや気色悪い生暖かさ、それに身体が冷たくなっていくその最期。それらを思い出すだけで吐き気を催し、結局は胃液の一欠けらも出てこないくらいに彼は盛大に吐いた。


 ただ吐くと存外すっきりしたようで、多少は落ち着きを取り戻した瑞樹は辺りを見回す。見えるのは草木ばかりで薄気味悪さを感じるだけだったようだが、少し歩いた先に偶然道を発見する。


 ひとまずその道に出た瑞樹は今一度辺りを見回すと、一方はずうっと先が見えない程長く道が続き、反対側は遠くにうっすらと町のような物が確認出来た。少しだけ気持ちが和らいだ瑞樹は、日が落ち始めている現状に焦りを感じたらしく、急ぎ足で町へと向かった。




 町に着く頃には日はすっかり落ち、辺りは家々の明かりが漏れていたが出歩いている人はそこそこいる。だが何処をどう見渡しても瑞樹の知る現代とは装いが違い過ぎた。電灯どころか電柱の一本すら見えず、舗装の代わりに砂利が敷いてある。そして極めつけはさっき一回だけすれ違った馬車。


 世界の何処かにはまだ現役で使用している可能性はあるが、車の欠片も確認出来ないような様相は瑞樹に現実を突きつけるには十分過ぎた。それを考えたくも、決して頭に思い浮かべたくも無かったようだが、現実はそれを許さなかった。


 ──あぁここは異世界なんだな。


 瑞樹の脳裏にそれが過った途端、恐怖と不安が彼の心の奥底から噴出し、心と体は一瞬にして支配される。血が滲むほど腕を抑えているが身体の震えは止まらず、目の焦点も合わななかった。


 誰か助けて、瑞樹は心の中でそう叫んでも誰かに伝わる筈も無い。むしろ奇異な視線が送られているような気さえしていたようだ。


「あは……もう良いや、こんな思いするくらいならいっそ……」


 瑞樹が絶望に染まるのにはそう時間はかからず、誰にも届かない程小さな声で呟く瑞樹は最悪で最短の道を選び始めていた。そしてふらふらと覚束ない足取りで行く当ても無く町中をさ迷っていたそんな時、彼の耳に何かが届いた。


「これは、ギター……?」


 それはギターのような弦楽器の音で、瑞樹はさながら光に集まる虫のように音のする方へ歩を進めた。




 着いた場所には一人の男性が路上ライブの様相で弦楽器を引いていた。足元には楽器ケースが開いた状態で置いてあり、中には見覚えの無い硬貨が何枚か入っている。だが瑞樹を思い留まらせるには至らなかったようで、最期にほんの少しだけ良い気分に浸れた事に「ありがとう」ととても小さな声で感謝しながら、瑞樹がその場を離れようとしたその時──



──ウタエ


「えっ?」


 瑞樹の頭に不思議な声が響くが、周りを見ても誰もいない。気のせいかと不思議そうに首を傾げていると、さらに不思議な事が彼の身に起きた。


 瑞樹の頭にどんどんと詞が浮かんできたのだ。勿論この男性とは初対面、この曲も初めて聴く筈だが、どう歌えば良いか分かるらしい。そして彼は何かに導かれるように男性の隣へ歩み寄り、ゆっくりと息を吸うと、溢れ出ようとする自身の思いを抑えきれず頭に浮かぶ詞を歌った。


 つい先程まで絶望に染まり切っていた瑞樹の心は、今では嘘のように晴れ晴れと、すっきりとしている。さらには先程まで反動だろうか、彼の心身は今まで味わった事の無い高揚感と充足感に包まれおり、胸を高鳴らせ続けた。


 だがそれは、現実から目を背けようと必死だったからなのかもしれない。

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