異世界に歌声を

くらげ

第一章[その運命は終わりから始まった]

プロローグ

 その日彼は、夢を見ていた。幼少の頃の思い出したくない夢を。


「や~い、おとこおんな~!」


「ちょっと、おれのふでばこかえせよ!」


「へへっ、なにがおれだ、おまえにはにあわねえよ!」


 幼少の頃、彼はいじめを受けていた。その一番の要因が彼の見た目、彼を見た人の殆どがまるで女子だと印象を受けるような顔つきだった。もう少し歳を重ねればいじめている男子も落ち着くかもしれないが、現状は彼らの恰好の玩具になっていた。


「おら、かえしてほしかったらはだかにでもなってみろよ」


「そうだそうだ、おとこならはずかしくないだろ」


「うぅ……」


 友達と呼べる者が殆ど居ない彼だったが、たった一人だけ彼に救いの手を差し伸べる男の子が居た。


「おいやめろよ!」


「なんだ、またおまえかよ!」


「うっさい、いいからさっさとかえしてやれよ!でないとせんせいよんでくるぞ!」


「ちっ、めんどくせえな。ほらよ」


「ほら、とりかえしてやったからもうなくなよ」


「うん、ありがとう……」


 彼にとってその男の子は正しくヒーローで憧れの存在だった。いつも傍に居てくれて、いつも助けてくれる。そしてその男の子に対する彼の想いは、いつしか憧れとは違うものが芽生え始めていた。


 とある日、男の子が何気なく言った一言が彼の人生の転機となった。


「おまえがおんなっぽいのはおれもおもうよ。ならさ、それをりようしてアイドルになればいいんだよ」


「あい……どる?でもなんで?」


「べつにりゆうはないけどさ。ほら、テレビとかでよくうたってるのみるし、しょうらいそうなればあいつらだってみかえせるだろ?」


「……うん!わかった、おれアイドルめざしてみるよ!」


「あぁ、がんばれよ!もしほんとうになったらファンになってやるからさ」


「うん!やくそくだからね!」


 こうして彼に夢が出来た。それがアイドルになる事、というよりも男の子にファンになって欲しい、そちらの方が大きかったようだが。


 彼は少しずつ夢に向かって歩き始めた矢先、彼と男の子に悲劇が訪れた。


 偶然町中で男の子と出逢った彼は、道路を挟んだ対面から「お~い」と声を掛けながら手をぶんぶんと大きく振り男の子の注意を引いた。それに気付いた男の子も手を振り返し、他には目もくれずに駆け寄ろうとしたその時だった。


「……え」


 彼の目の前でその男の子は車に引かれ、打ちどころが悪く即死した。


 それから彼は、昼夜問わず泣きに泣いた。目元は赤く腫れ、それこそ喉が枯れて声が出なくなる程に。


 心の拠り所が無くなった彼だがそれでもと両親の反対を押し切り、最後は喧嘩別れのような形でアイドルを目指そうとする彼。だがその胸中は常人と比べると不安定で、何故アイドルを目指しているのか徐々に不鮮明になりはじめ、そして遂に──


──あの男の子が居ないなら、目指しても意味が無い。


 ふと彼の頭に過ったその言葉が止めとなり、その夢はあの男の子に抱いた恋心と共に、自ら捨て去った。




「……うぅ、ん。……何か最悪な夢を見てたような……?まぁ良いかバイト行かないと」


 彼の名前は橘 瑞樹、今年23歳になったばかりの冴えないフリーター。幼少の辛い記憶は心の奥底に押し込め、騙し騙し生活していた。結局喧嘩別れしたあの日から一度も親元に返らず、今はすくない収入をやりくりしながら何とか生きている。


 そんな彼には、むしろ彼だからこそだろうか。現実から目を背ける為の趣味があった。




 あっ新刊出てる、買ってこ。あぁこの本も前から気になってたんだよなぁ……買うか。ほぼ毎日同じような事を考えながら瑞樹は行きつけの書店に通い、中身の少ない財布と数多くの本を交互に見比べ本を物色して買っていた。本を買って読んでは売り、またそのお金で別の本を買う。


 寂しいお金で何とかやりくりする為の致し方無い行動だが、それくらい瑞樹は本を読むのが好きだ。ジャンルは問わない、小説であったり漫画であったり、とりあえず知識欲を満たし読めるものなら何でも良い。


 ただ知識欲と言えば聞こえは良いが、そんな知識を生かして世のため人のためとか、そんな崇高な考えは彼には存在せず、ただ物語に入り込んで妄想に浸る為の手段に過ぎないようだ。




 そしてもう一つ、瑞樹には大事な趣味があった。


「衣装は……良し。メイクは……まぁ良いや、まだ慣れてないし。さて、録るか……!」 


 休日、その日瑞樹は家で女性服に身を包んでいた。独り言を呟きながら自身を全身鏡に映し、満足気に頷いた後、徐にカメラの録画ボタンを押す。気持ちを落ち着かせるべく深呼吸した後、彼の口からは女性の声が出てくるようになり、それから暫くは気持ち良く歌い続ける。


 瑞樹は女装が趣味である。女性服に身を包み、彼が必死になって身に付けた女声を駆使して歌い、それを録画して投稿する。趣味と実益を兼ねた結果そうなったらしいが、彼の心の何処かにはいつか思い描いた夢の続きを見ていたい、そんな呪いにも似た想いがあるのかもしれない。


 瑞樹は自分では無い誰かになる、そんな変身願望が強いのかもしれない。ある時は物語の主要キャラ、またある時は人気アイドルと、傍から見れば痛々しいだろうが彼は別段気にする事も無かった。ただ彼のそれはいささか度を越しているようにも思えるが、それを咎める者は誰一人として居ない。




 ある日彼は、とある会社から「深夜アニメのED曲をお願いしたい」というお誘いを受けた。


 ただ瑞樹の胸中は疑いの色が濃く現れていたようだ。凡人にスポットライトが当たるなんてそうそう無い、もしかして騙されているんじゃないか。そんな風に考えたらしく、瑞樹は自身でも調べていくとじきに心配は杞憂に終わる。その会社ちゃんと実在して、そこそこ大きい会社だった。ただ瑞樹には知らない会社名だったようだが、ともかく彼はこの話しを快諾する事に決めた。




 それから数日後、瑞樹は打ち合わせをするためにその会社へ向かい、一人の男性と出会う。


「初めまして。担当の石井です」


「あ、初めまして。橘瑞樹です」


「まさか本当に女性の恰好で来てくれるとは思わなかったよ」


「えっと……まずかったですか?この格好で来て欲しいって言われていたのですけど……」


「いいや、そんな事は無いさ。俺は偶然君の動画を見てね、それで君に惚れ込んだ。その見た目に、歌声に、ね」


「……ありがとうございます……!」


 その時の瑞樹の顔は面映ゆそうだったが、心の中では小躍りする程嬉しかったようだ。それから瑞樹はこの男性と打ち合わせを行ない、改めてお誘いを快諾した。このお話しを受けて成功させれば、遠い遠い、とても遠い夢の背中をほんの少しだけ垣間見れる気がする。これからより良い人生になる、瑞樹はそう思っていたようだ。


 唐突だが瑞樹は一つの持論がある。運命とは良い事と悪い事のバランスが釣り合うようになっているらしい、と。つまり良い話しがあった後には、相応の代償が待っている。そして彼はその持論から、運命から逃げられなかった。




 その日瑞樹は、通り魔に襲われた。すれ違いざまにお腹をどすりと刺され、力無くその場に突っ伏した彼の周りには血だまりが出来ていた。


「何……で……!?」


 周りからは悲鳴や怒声が聴こえてくるばかりで、瑞樹の元へ救いの手が差し伸べられる事は無かった。


 何で、どうして、私は何も悪い事なんかしていない……!誰のせい……神様……?昔から運が無かっただけ……?許せない、こんな運命にした神を……!死の間際は走馬灯が見えると言われているが、その時の瑞樹の胸中は在りもしない神様への恨みと、自分の運命をただひたすらに呪うのみだったようだ。 


 そして彼は、幼き頃に傷を負った心に自ら致命傷を与えて命を散らした。

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