28.感謝

 スマホ画面を見て、目を疑う。

 一度遠くを見てからまた視線を戻しても、変わらず同じ名前が表示されている。

 信じられないけど、恐る恐る耳を澄ます。


『天?久しぶり』

「…どうして」

『今すぐ、霊園に来い』

「は?」 


 海吏と別れてからしばらく、奏多に何を言おうか悩み続けて結局数日が経ってしまっていた。

 そして、突然かかってきた電話。イタズラかと一瞬思ったけれど、声を間違うはずがない。一方的な電話すら懐かしい。

 急いで霊園へと駆けつけ、ようやく見つけた愛しい人の横顔。

 たかが1年ちょっとだけど、よりカッコ良く、長かった前髪がなく大人っぽくも見える。

 なんて声をかけようか、と思案していると、彼の前に立つ人影がちらつく。

 どうやらその人と楽しそうに話しているようだった。 

「女?」

 よく見えないけれど、勘が働く。

「なにが『奏多先輩はチャラく見せてただけだよ』だ!海吏は優しすぎるよ」

 あんな風に奏多が私に笑いかけたことなんてあったかな、と複雑な気持ちになる。チクチク胸を刺す痛みがもどかしくて、

「ふざけんな奏多佑李ー!」

 叫ぶと、呼ばれた彼はびくっとなって声の方へ向く。そして私を確認するや否や飛んできた。

「だから、名前で呼ぶなって言ってるだろ!」

 1年と少しぶりの感動の再会、のはずだったのに、一発目がこれか。

「バカアホ、チャラ男!」

「なぜそうなる」

「だって……」

 彼女でも何でもない私が怒ったって仕方ないのに。

 でもやっと会えたのに。

「また泣く。変わってねーな」

「だって…」

 何も言い返せないでいると、くすくすと楽しそうな笑い声が響く。

 奏多といた女の人?

 どんな人だろうか、と目をやると、見覚えのある優しげな笑顔。

「美緒さん!」

「天ちゃんかわいい~佑李くんにはたまたま会っただけだから安心して」

「何で美緒さんが?」

「佑李くんとはお墓参りで何度か会ってて、天ちゃんと佑李くんってお友達なんでしょう?」

「はい、まぁ。…あ!ま、まさか美緒さんのお腹の子って……」

「アホか!いくらなんでもそれはねぇだろ」

 バシ、と軽く小突かれる。昔みたいで何だかちょっと嬉しかった。

「ごめんなさい」

「天ちゃん、そういえば向こうに佑李くんのお母さんと弟さんがいらっしゃるのよ」

「え?」

 と彼を見ると、急に真面目な顔になる。

「天、嫌かもしれないけど…会ってくれないか?」 



 彼について行くと、兄の墓の前に誰か立っていた。見るからに品のある淑やかそうな女性と小学校低学年くらいの男の子。

 女性はペコリと会釈をし、

「はじめまして、佑李の母です。こっちが、絢斗です」

「は、はじめまして、天です」

 とてもキレイな人。絢斗くんは、恥ずかしそうにお母さんの後ろに隠れていた。ちら、と覗いた顔は奏多をそのまま縮小した感じで、抱き付きたいほどかわいい。

「ご両親には何度かお会いさせていただいたんですが、天さんにはごあいさつが遅くなってしまって」

「そんな、私なんて…」

「本当にすみません」

 頭を深々下げる彼女は、化粧っ気が少なく、やせ形でむしろ青白くも見える。

「や、やめてください」

 何か、違う気がした。こんな風に謝られても、まったく気持ち良くない。

「ほら、絢斗も!」

 母親は絢斗くんの頭を掴み、無理に下げさせようとする。

「痛いよぉ、お母さん」

「いいから!」

「おい、絢斗!お前も謝れ」

「何で謝るの?だってぼく、」

「絢斗!」

 状況がよくわかっていない無邪気な子どもの声が、母親と奏多の怒鳴り声にかき消される。

「奏多、もうやめて」

 私は絢斗くんの身長に合わせて身を屈める。奏多そっくりの彼は初対面の私を不思議そうな顔で見た。

「絢斗くん、こんにちは。天です。よろしくね」

 けれど、笑顔で挨拶をするとパッと表情が変わり、愛らしく笑ってくれた。

「こんにちは、お姉ちゃん。今日ぼくの誕生日なんだよ!」

「わぁそうなんだ!おめでとう」

「それなのに、お母さんもお兄ちゃんも泣いたり怒ったりでもうイヤ」

「絢斗!そーいう話じゃないんだよ!」

 絢斗くんの肩を強く掴んだ奏多は更に怒鳴るように言った。

「この人は、お前を助けてくれた縁さんの妹なんだよ。ちゃんと謝りなさい」

「奏多やめて、って!」

 奏多から絢斗くんを引き離す。

「お姉ちゃん、どうしてぼく謝るの?…だって縁兄ちゃんは、ぼくを助けてくれた人なんでしょう?そういう時は『ありがとう』だよね?」

「え?」

 衝撃的だった。本当に胸をパンチされたみたいにドンッと心に刺さった。

 どうしてそんな簡単なことにも気づかなかったんだろう。

「ぼく大きくなったよーって縁兄ちゃんに見てもらいに来たんだぁ」

 自然と流れた涙がポタポタとしたたり落ちる。小さな手のひらが頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれた。

 『ごめん』と何度言われても響かず、何か違うと思っていた違和感がようやく消えた。

 『ありがとう』なら、何度言われても嬉しい。

「縁さんの命日だと迷惑だと思うから、毎年絢斗の誕生日にお参りさせてもらってるんだ」

「そうだったんだ…」

「お姉ちゃん、何で泣いてるの?ユーリにイジメられた?」

「違うの…嬉しくて」

「ぼくも縁兄ちゃんみたいにカッコいいヒーローになるんだ」

 たまらず絢斗くんを抱き締める。

「絢斗くん、ありがとう。縁兄ちゃんもきっと喜んでるよ」

 奏多も彼の母親も、美緒さんもみんなが絢斗くんの言葉に救われたに違いない。

 私と同じように。

 なぜか絢斗くんを囲み、みんなで泣いてしまった。

「よし、ぼく決めた!お姉ちゃ、じゃなくて天ちゃんと結婚する!」

「へ?」

「あ?」

 奏多と同時に出た声に美緒さんも、奏多の母親もくすくす笑い出す。

「やめとけ絢斗。なんで天なんか」

「だって天ちゃんかわいいじゃん!ぼくはユーリみたいにイジワルしないし、泣かせたりしないよ」

「小生意気なくそガキが!」

「ガキじゃないもん」

「うるせぇな、ダメなもんはダメなんだよ!」

「え?」

 怒鳴るような大きな奏多の声に、彼本人が一番驚いたようで、

「えー!なんでダメなの?」

「あ、えーと…」

 絢斗くんの質問にしどろもどろになっていた。

「いや…そのぉ」

 その答えは私も興味があったのに。


「さっきの絢斗くんの質問の答え、聞いてないよ」

「は?うるせぇな」

 何だかんだでうやむやにされ、答えが聞けないままだった。

 奏多は嫌そうだったけれど、彼の母親に促され仕方なく私を家まで送ってくれることに。

 美緒さんとは赤ちゃんが生まれたらまた会う約束をし、別れた。

 霊園から家まではそう遠くないが、あまり会話が弾まず気まずい雰囲気の中だと長距離にも感じる。

 会ったら話したいことはたくさんあったはずなのに。

 会いたくて会いたくて…毎日、忘れよとして思い浮かべていた彼の存在。

 その想いすべてを伝えたいのに。

「ここでいいか?」

「え?あぁ、はい」

 公園の前まで来て、彼が足を止めた。

「ありがとう」

 それから切り出し方がわからず、沈黙が数秒流れてきっといたたまれなくなった彼は、

「じゃぁな、元気で」

 さらりと離れようとする。

「それだけ?」

「は?」

 歩みは止めたものの振り返りはしない。

「どうして、連絡もくれなかったの」 

「そんな義理ないだろ」

「電話も出てくれないし」

「声も聞きたくなかった…それだけのことだろ。今日だって本当はお前に会う気なんてなかったんだ……じゃぁな」

 またスタスタ歩きだした奏多。

「奏多!」

 後ろ姿が遠ざかり、やがて角を曲がって見えなくなる。

 そっち、奏多の家じゃないじゃん。

 またどこかの女の子に会いにでも行くのかな?

 そんなことばかり考えていて…今日あったことすべて夢だったような気がする。

 このまま、1年前のように別れてしまったら…今度こそ忘れられるだろうか。

 でも、もしもあの時、とまた後悔する日がきたら?

「そんなのもうイヤ」

 私は奏多が消えた方向へと走った。

 他の女の子と会ってたら、とかもう考えるのはとりあえずやめて、走る。

 まだまだ現役だから、と全速力を出してきたけれど持久力がこれほどまでにないとは。

 少し走ったところで、住宅の隙間から海が見えた。

 この先の角を曲がって小高い丘へと続く階段をのぼれば展望台に出る。

 きっとそこにいるかもしれない。

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