27.真空色
『改装のため夏休み中閉鎖』
いつも自由に開放されている学校の図書室が使えず、海吏と近くの市立図書館で勉強することになった。
人も少ないので静かで涼しくとても快適。
「あー静かでホッとするねー」
宿題もそこそこに、私は半分眠いのと飽きてきたのとでやる気ゼロ。窓際の席で空ばかり眺めていた。
雲はゆったりと流れていき、更に眠気を誘う。
「やっぱり海吏は大学行くの?」
「うん。天は決まったの?」
「私はやりたいこともないし、目的もないし…まだ迷ってる」
部活の成績も学力も中途半端。
今さらまた進路に悩み始めた私のために、彼はちょっと待っててとどこかへ行き、しばらくして戻ってきた。
「どうしたの?」
「入り口の方にいろいろ資料があったから、参考までに」
どさ、と腕に抱えていた資料を机の上に広げた海吏。
「大学や専門学校のパンフとかいろいろあるよ」
「ありがとう」
ざっと一通りパンフレットを見ても、興味深いものはひとつもない。
「やっぱりダメだー」
今まで何も考えてなかった訳じゃなく、考えれば考える程わからなくなってしまって逃げてきた。
「せっかくの脚力活かして体育の先生とか、立ち仕事は?美容師、看護師、保育士など」
「んー」
「推薦で行けそうな学校を選ぶとか、とりあえず大学に入ってそこで将来を考えるとか…はじめは不純な動機からでも、天職を見つけられると思うけどな」
「すごいね、海吏。ありがとう、ちゃんと考えます」
都会に憧れている朝希は、場所から大学を探しているし、海吏は工業系の大学が第一志望らしい。
みんなちゃんと考え、オープンキャンパスなど積極的に参加していた。
「いいなー雲はのんびりしてて」
「どうした、急に」
「だってさ…」
心はどんより曇り空なのに、窓の外はスカ、と気持ちがいいくらいに晴れている。
青すぎず、白すぎず、ちょうどいい青空。
「ねぇ海吏、今日の空の色。何色っていうか知ってる?」
「え?空?んーそうだなぁ」
海吏は、話を更に脱線させている私に怒らず付き合ってくれる。窓から見える空に目をやってすぐに、
「水色」
「ブー!」
「空色」
「ブー!」
「えーじゃぁ…スカイブルー?」
「そのままじゃん」
「だね。わかんないなぁ」
真剣に悩んでくれるなんて、彼は本当に優しい。
「正解は、
「へー知らなかったぁ」
「でしょ?」
奏多だったら、『俺にクイズなんて出してんじゃねーよ』で終わりだろうな。
「よくそんなこと知ってるね」
「あ」
そういえば、奏多が教えてくれたんだっけ?海吏にバレたら、気まずい。
「まぁーね」
「そっか!お兄さん美術大学だったんだっけ」
「え?そーそー!そうなの」
「だからかぁ。真空色って水色よりちょっと濃い感じ?」
「うーん…たぶん」
「じゃぁ空色よりは?」
「えっと…そこまで詳しくは知らない」
「適当だなー天は」
以外と勉強熱心な彼は、自らスマホで検索し始める。私の曖昧な受け売りの知識より遥かに正確で早い。
「色って結構名前があるんだなー和名だの洋名だの」
「へぇ。そうなんだぁ」
「ん?…なぁ天…真空色ってもうひとつ、別名があるらしいよ」
「別名?」
「うん。別名は、――」
それを聞いたとたん、周りのすべての音が遮断され、気が遠くなった。
奥深くにしまいこまれていた記憶の欠片が、ものすごい勢いで枯れた心を潤していく……もう、涙が止まらなかった。
あれは、いつのことだったか。
たしか、奏多と付き合ってしばらく経った、初夏の昼下がり。
***
「いい色だなー」
「え?」
私の後ろで、ベンチに寝そべったままの彼が言った。
「そ、そうかな?」
奏多に誉められるなんて照れるなぁ、と喜んでいると、
「今日の空、本当にいい色だ」
「は?」
昨日美容院でほんの少しだけ染めた髪色に気づいてくれたと思ったのに…違った。彼が気づくわけないか。
私がベリーショートにしたって気づかないかもしれない。というかきっと、関心がないだけ。
デートだというからオシャレして来たのに、さっきから寝てばかりの彼。
『海の見えるカフェテラス』が売りの最近できたばかりのオシャレなお店に入るかと思いきや、『海の見えるカフェテラス』が見える展望台、が奏多のお気に入りの場所。
展望台から下を見下ろすと少し下がった所にカフェがあり、更に下がった所は断崖絶壁。海が広がる。
カフェは一本下の道路からしか行けないので、展望台の方には誰も来ないし屋根があり日差しは遮れ、高台で風通しも良好。
「あっちは羨ましいなー」
「はぁ?カフェができたせいでこの辺りがうるさくなったし、空と海の絶妙なバランスが取れたパノラマが損なわれて最悪だ」
「どうせ寝てばかりじゃん。せっかくの日曜日なんだから、私もオシャレなデートがしたいな」
「おい、天」
振り向くと寝そべった彼が面倒くさそうに答える。
「してるだろ、オシャレなデート。こんな素晴らしい絶景スポットに連れてきてやってるんだからな」
「一昨日も来たじゃん、部活サボって」
たしかに晴れた日の青い海、青い空は綺麗だけれど何時間も眺めていられるものでもないし、展望台には学校から徒歩でも来られる距離だしあまり特別感はない。
「お前な、一昨日もって言うけど、あの時と全く同じ条件の空や海なんて二度と見られないんだからな」
「そうかな?この前も雲がほわほわってあってー、色は紺碧の空!って感じだったと思うけど」
「バカか!」
むく、と上体を起こした奏多は怖い顔で続ける。
「これだから頭の悪い奴は困るな」
「はい?」
「紺碧の空ってのは、真夏の日中じゃないとほとんど見られないし、もっと深く濃い青だろ?」
昨日の空が何色だったかなんて突然聞かれてもきっと答えられない。雨か晴れかくらいはわかっても、いつもいつも気にしてみてる訳じゃないから。
毎日通る道でも、ある日突然建物が取り壊されていたら、ここには何があったかすぐに答えられる自信はない。
改めて空をよく見てみても、わからない。
「んー?」
青い空に薄い雲がまばらに広がっている。そういえば、兄が死んだ日も…。
暑いのに空気が澄み渡り、何もかも癒してくれそうな、鮮やかな青。
「今日の空は…真空色だよ」
「ふぅん。嫌な色だなぁ」
「は?何言ってんだよ。濃すぎず薄すぎず良い色だろ」
「だって……お兄ちゃんが死んだ日もこんな空だったから」
「お前、兄貴いたのか」
「うん」
それ以上奏多は何も言わない。だから私も余計なことは言わない。
しばらくして、
「好きになれ」
突然後ろから抱き締められ、ぎゅっと力強く、彼の体重を僅かに感じる。きっと面倒くさそうに私に寄りかかっているだけ。
「え?」
「俺が、一番好きな色だから」
自分が好きだから、お前も好きになれと当たり前のように言う彼。どっかのガキ大将みたいな台詞なのに、すぐに受け入れてしまいそうになる。
「それに……お前の色だろ?」
「私?なんで?」
「…知らねぇならいい」
「はい?」
「うるせぇな。…お前に合ってるってことだよ」
***
海吏の声が、遠くに聞こえる。
「別名は、――
あの時は全く意味がわからなかった。
真空色=天の色と書いてあまいろ。
私の、色。
「天?」
私の中で奥深く隠されていた奏多への気持ちが一気に溢れ出す。大した思い出なんてないはずなのに、彼の表情ひとつひとつが、温もりと共に甦る。
「天?大丈夫?」
「ごめん、海吏」
「もしかしてこの話…奏多先輩から聞いたの?」
「……ごめん」
「それは、どっちの、ごめん?」
人目をはばからず泣いてしまった事に対してなのか、自分の本当の気持ちにウソをつけなくなったことに対してなのか。自分でもわからない。
「そっか。やっぱりまだ好きなんだね」
「ごめん」
「謝ってばっかりじゃわからない」
「忘れたつもりだったのに」
「だから!」
強めの声で周りの視線が一気に集まる。それに気づいて一旦落ち着いてから、彼に引っ張られて本棚の奥へ移動した。
「奏多先輩のせいで天のお兄さんが亡くなったんでしょ?天は許せるの?」
「わからないけど、でも…」
突然抱き締められ、言葉を遮られる。
「ちょっ、海吏?」
「捨てられたくせに」
「うん」
「泣いてばかりのくせに」
「うん」
相変わらず力が強くてちょっと痛いのに、更に感情が上乗せされてかなり痛い。けれど、抵抗はしない。
「海吏、ごめんね」
「っ!」
すぅと腕の力が抜けて自由になった。
「何で謝るんだよ…」
彼の優しさにずっと支えられてきたのに。なんてひどい女だろう。
「……この前、先輩に会ったよ」
「え?」
「夏休みで今帰ってきてるみたいだから、会いに行ったら?」
「でも、」
「天のこと、頼まれたんだよ。『あいつは言いたいことはハッキリ言うし、お節介だしめんどくさいし、単純だ』って言ってた」
「悪口じゃん」
「違うよ。『でも、素直で泣き虫でさみしがり屋だから、大事にしてくれ』って」
「奏多が?」
「昔も今も…奏多先輩は、天のことばっかりだなぁ」
あーもうヤダヤダ、とため息たっぷりに床に座り込んだ海吏。
「天をキライだのなんだの言っておきながら、本当は大好きなんだよ。あの人はわがまますぎるよ」
「ウソだよそんなの」
「ウソじゃない。チャラく見せてるだけだよ。きっとお兄さんのことがあったから…本当のこと言えなかったんじゃないかな?」
「海吏」
私も彼の目線にあわせて、膝をおる。正面からまっすぐに彼を見た。
優しい海吏に甘え、傷を癒してきたのに何も返せなかった。きっとこのまま彼と一緒にいた方が幸せかもしれない。
もしも海吏を選んでいたら、と後悔する日が来るかもしれない。
けれど、
「ごめんね、天」
「え?私が謝るとこ」
「もっと早く先輩のこと教えてあげられたのに、ずっと言えなかった。いつかこうなるとわかってたのに、怖くて、きつく当たったりして」
「海吏…」
「早く、行きなよ」
ポロポロと隠すことなく、涙を流す彼を見てつられて溢れる涙。
「ありがとう」
そう言葉にするのが、やっとだった。
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