22.幸せに
誰かを許すことはそんなに簡単じゃない。
許されることもまた同じ。
悠生さんだってあの事故で片足を失い、どれだけ苦しんだことか。
自分の過ちを悔やむことはもちろん、正義感で奏多を守ったつもりが、逆に彼を恨んだこともあったと思う。
“もしもあの時、奏多が転倒しなければ”
“もしもあの時、悪い仲間から無理やり引き離してくれていたら”
なんて。
私もどれだけ、“もしも”の仮想世界に浸ってきたか。
愛するひとを失った美緒さんなんてもっと。
「急に呼び出してごめんなさい」
「いいえ。どうしたの?天ちゃん」
射し込む陽の眩しさに、一瞬目を細めるけれど、夏のような熱も強さもない優しい暖かさ。
先日まで降り続いていた雪がようやく収まり、足元もだいぶ歩きやすくなった。
もうそこまで、次の季節がやって来ているようだ。
別れの季節が。
久しぶりの晴れ間、兄のお墓の前で待ち合わせたのは、美緒さん。
いつかの私は彼女に掴みかかろうとしたんだから、きっと何をされるか怖かっただろうに。彼女は嫌がらずひとりで来てくれた。
そして私を前にしても優しく微笑んでくれる。
「えっと…お話が。この前は本当にごめんなさい。あと、結婚おめでとうございます」
「私ももう一度天ちゃんに会いたかったの」
「私に?」
「えぇ」
美緒さんは鈴蘭水仙が飾られた兄の墓を見て語りかけるように言う。
「この花かわいいでしょ?アマリリスは時期じゃないから」
「いつもありがとうございます。もう、忘れて良いって言いたくて」
「忘れないわ、絶対に」
「でもここへ来るのも負担だろうし」
「それは私がそうしたいから。良いお花を見つけたり、天気が良かったり気分でフラッとくるだけだから。それと、私、結婚はまだしてないのよ」
「え?」
「もう一度考えてみようと思ったの。私焦っていたのかもしれないなって。前に踏み出すことを周りから期待されすぎていて、大事なことを忘れていたみたい」
「そんな…ごめんなさい。私のせいで」
「違うのよ」
ゆっくりと私を見て、それからもっと遠くの高い空へと視線を移した。
「私には誰もはっきりものを言ってくれる人がいなくて、腫れ物に触るみたいに気を使われて…天ちゃんに言われて気づいたの。私はこれで良いのかなって」
「私美緒さんの気持ち何も考えてなかったんです。兄のこと辛くて思い出したくないと逃げてたくせに、人には忘れさせないなんてバカなこと言って…美緒さんには兄も分まで幸せになってほしいです」
母の言っていた言葉の意味がようやくわかったような気がした。
「ありがとう天ちゃん。一度彼と距離をおいて冷静に考えてみたかったの。本当に好きならあなたに何を言われても結婚したと思うの」
あの時の美緒さんはどこか儚げで危なっかしいような雰囲気だった。私が責め立てると震えだし泣き崩れてしまう程に。
けれど今は、凛として。
「まだ結論はでないけど…もしその時がきたら、祝福してね」
彼女が帰った後の霊園は閑散としていて、より広く寒々しく感じられる。
微弱な光だけでは、吸い込む空気はまだ冷たかった。
「私ちゃんと謝れたかな?」
「ちゃんと伝わったよ。えらかったな、天」
ポン、と頭を叩かれた瞬間、スイッチが入ったかのように感情が高ぶり、泣いてしまった。
「ありがとう、奏多。なんか今、お兄ちゃんみたいだった」
「何だよそれ」
涙を拭いながら言うと、彼はちょっと照れくさそうに私を見た。
「俺が言うべき言葉じゃなかったな」
「そんなことない」
すべてが終わり、彼は今日最後の制服姿。
「合格と卒業おめでとう。こんなことに付き合わせてごめんね」
「約束したからな」
私がまた暴走して美緒さんを傷つけないように、奏多には一緒に霊園にきてもらっていた。邪魔にならないように、と近くの木陰で見ていてくれた。
「やっぱりすげーよ、天は」
「そんなことないよ。忘れて良いなんて、心にもないこと言って…」
「でも、ちゃんと言えたじゃん」
「半分ウソだし。こんなことを言うだけなのに半年以上も悩んで」
本当は忘れてほしくないから。でも兄は彼女が幸せになることを望むはずだから。
「時間がかかるのは当たり前だろ。俺も絶対忘れない。縁さんのこと」
私を突き放すようないつもの冷たさはまるでない。昔の奏多のままで、
「悠生だって…ずっとトップを走ってきた奴がある日突然片足を失ったんだ。それからの壮絶な日々を想像しただけで恐ろしくなるのに…その姿を見せまいとして俺たちを遠ざけた」
わかっていたのに、と呟くように続けた。
悠生さんの気持ちをわかっていながら、それに甘え逃げていた。そんな自分が恥ずかしいと。
「奏多…」
涙が止まらない。美緒さんと話せた安堵感と、奏多の優しい言葉と、離れていく寂しさと。色んな感情が混ざり合う。
「俺は指導者になりたい。体育教師になって陸上の楽しさを教えたい。…悠生が有名になったら専属トレーナーにしてもらうのもいいなぁ」
「すごい」
私が一目惚れをした時の彼の瞳は健在だった。前に向かって何かを掴み取ろうとする鋭く意欲に溢れたそれ。
私には眩しすぎた。
「天のおかげで踏ん切りがついた」
「私は何も」
「本当の先生みたいだって言ってくれたろ?感謝してる」
どうしてそんなに優しい顔で笑いかけるの?
ようやく傷が癒えつつあったのに。
「ずるいよ、その顔。どうせ遠くに行っちゃうなら最後まで意地悪なチャラ男でいてよ。弱いとこ見せたり、優しくしたり」
奏多の前では綺麗で可愛らしくいたかったのに、もう涙でボロボロのところばっかり見られてる。
「ごめん」
何度も謝りながら、彼は私を抱き締めた。反射的に身をよじっても、びくともしない。
「天…俺を許せないだろうけど、でも、少しだけ」
「奏多、私は、」
「幸せになれよ」
桜舞う卒業式にはならなかったけれど、いつの間にか降りだした今季最後の雪の中、私たちは別れた。
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