20.真実 

「本当に楽しそうに部活やってるね、天」

「まぁね~」

 テスト期間が終わり、久しぶりの部活は朝からのひどい雨により、図書室前の廊下で基礎練中心に行われた。

 ケガをしてからちゃんと大人しくして、しばらくぶりに部活に出ると、顧問の先生が産休に入り、代わりに引退した3年生が指導してくれることになっていた。

 受験勉強などで忙しいので顔を出してくれる先輩はほとんどいなかったけれど、奏多だけはほぼ毎日短い時間の時もあるが来てくれた。

「実力も上がってきてるし、好調だね~」 

「まぁね」

 部活終わり、ミニハードルやカラーコーンなどの備品を、残された私たちふたりで片付けながら朝来が言った。

「そんなに嬉しそうな顔して!海吏に言っちゃおー」

「朝来ーなんで海吏が出てくるの?」

 3年生が引退してから楽しみを失っていたけれど、また奏多に会えると思うと入る気合いが違う。海吏とはあれからまぁ、仲良くしてはいるけれど、またちょっと別物な気がしている。

「奏多先輩、最近悪い噂ばっかりだけど、大丈夫?」

「うーん。部活以外では会わないし。部活では別人みたいに優しいし」

「そっか。天が大丈夫ならいいけどさ」

 奏多が作ってくれる練習メニューは週毎に変わり、一人一人を見てその人にあったアドバイスや足りない点など厳しく指導してくれた。

 体力はもちろん体質まで変わったような気がした。

「ってか!今日の片付け男子じゃなかった?」

「そうだけど、もう帰っちゃたみたいだし」

「はぁ?ふざけるなー」

 急にぷりぷり怒りだした朝来は、あ、と何かを見つけたみたいで図書室に駆け込んだ。

「ちょっと朝来?」

 慌てて追いかけると、机に向かい書き物をしている奏多に話しかけていた。

「お疲れ様です先輩~まだ帰らないんですか?」

「おぉ!お疲れ。来週の練習メニュー考えてたとこ。お前らは?」

「大変ですねー。私たちも男子に片付けを押し付けられちゃってー」

「そりゃ最低だな。後俺がやっとくから、帰れ帰れ」

「えーホントですかぁ?先輩ありがとうございます!でも悪いんで~後は天とふたりでお願いしまーす!!」

 朝来は言うだけ言って、私が何か言う前に走って逃げてしまった。

「は?朝希ー!」

 やられた。

 残された私は奏多と目が合い、固まる。非常に気まず雰囲気が数秒流れた。

 そして彼は、無言のまま立ち上がりそのまま行ってしまうと思ったけれど、すれ違い様に頭をバシと叩かれた。

「痛っ」

「ボケ、としてんな」

「は、はい」

 重たい空気は一瞬で消え去る。

 彼と一緒に片付け、段ボールに積めて部室まで運ぶ。

 一緒に持つと言ったけれど断られ、代わりに彼のかばんだけを持たされる。

「もうケガも大丈夫みたいだな」

「うん」

「テスト期間中もちゃんと筋トレしていたみたいだし」

「もちろん!ちゃんと言われた通りにやってましたよ、奏多先生」

 部活中は割りと普通に話してくれる。

「来年は必ず大会に出ろよな」

「はい、頑張ります」

 1階に降り、グラウンド脇の部室までの間、奏多との普通の会話に私は幸せすら感じていた。


 体育館からグラウンドに出るよりも、中庭から部室に行った方が近道だが、どのみち雨には当たってしまう。

「あ、部室のカギ忘れた。取ってくるからちょっと待ってろ」

 奏多は段ボールと私を置いて行ってしまい、中庭の入り口でひとり取り残される。

 帰れと言われなかったことはちょっと嬉しかった。

「遅いな~奏多。…ん?」

 中庭から部室をみると部屋に明かりがついている。もしかしてカギは開いているんじゃ…?

 相変わらず雨は降っているけれど走って部室の前まで行くと、カギは開いていた。

 おかしいな、とドアを開けようとした時、

「やってらんないよなー」

 笑い声と共に中から聞こえてきた男の声。数人いるようだった。

「ホントだよ!女遊びもひどいらしいし。走れない奴に教わっても意味ないしな」

 おそらく1年男子が、明らかに奏多の悪口で盛り上がっている。

 入りにくくてしばらく雨に濡れながら聞き耳をたてていたが、だんだん腹が立ってきた。

 あんなに一生懸命練習をみてくれているのに、ふざけるな。

 直接言わなきゃ気がすまない!とドアに手を掛けると、

「やめとけ」

「え?…奏多」

 その手を掴まれ制される。

「いいから、下がれ」

 奏多に従い一歩下がると、代わりに彼が部室に乗り込もうとする。

「ちょっと!」

「大丈夫だよ」

 チラッと心配する私を見てから、彼は勢いよくドアを開けた。

「よー!サボり組~元気か?」

「…か、奏多、先輩!」

 中にいた数人の1年は、声を揃えて恐れおののいた。本人登場だから当たり前か。

「やる気のない奴はやめてもらって結構。でもな、少しでも上達したければ明日からしっかりやれ。俺が保証する」

「…あ、いや、今のは」 

「なんなら、女の口説き方も教えてやろうか?」

「いや、あの…すみませんでした!」

 おどおどしていた彼らは一喝され、急にシャキッとして転がるように部室を出ていった。

「逃げ足はや」

「何で、怒らないの?」

「怒っても仕方ないだろ」

「でも」

「風邪引くぞ。着替えて帰れよ」

 先ほどよりも強まる雨足。ひとまず部室で雨宿りをすることにした。サボり組がいたおかげで暖房がついていて暖かい。

 濡れたジャージを脱いで制服に着替える。

 ワイシャツのボタンをとめながら、

「奏多ならキレると思った」

「俺は単細胞か?」

 奏多はロッカーとカーテンだけを隔てた向こう側から答える。

「あいつらは、何も間違ってないし、事実だから仕方ないだろ」

「事実じゃないよ!」

 私は我慢ならずにカーテンを開ける。

「奏多はすごく教えるのうまいし、おかげで私は成果が出てるよ。必ず奏多がやらなきゃいけない訳じゃないのに、メニューも一人一人考えてくれてるし本当の先生みたいで…」

「すごいな、天は」

 必死で訴える私を見てうっすらと微笑む奏多。

「やっぱおもしれーわ。……ありがとな。でももういいんだよ」

「どうして?」

「うるせーな」

 やっと対等に話ができると思ったのに、踏み込もうとすると、急によそよそしくなりまた私を遠ざけようとする。

「もしかして、あの”罰”ってやつ?」

「え…どうして、それを」

「教えてよ!」

 みんなそれのせいにして逃げられてしまう気がして嫌だった。 

「罰って何なの?どうして走れなくなったの?」

「関係ないだろ」

「あるよ」

「うるせぇ」

「お願い!」

 ぐい、と掴みかかる勢いですがり付くように懇願すると、

「天?…いつからお前はそんな大胆な女になったんだ」

「へ?」

 ぱさ、と頭に何かが掛けられ、

「ちゃんと頭拭け」

 彼の匂いのするタオルを受け取る。

「あ、ありがとう 」

「色仕掛けならやめとけ。効果なし」

 意味がわからず首をかしげると、奏多は自分の胸元をとんとん、と指し、そして背を向けるようにして古い長椅子に座った。

 胸?と自分の胸元を見ると、ワイシャツのボタンが半分以上開いていることに気づいた。下着が丸見え。

「は、早く言ってよ!」 

 かぁと熱くなり急いでボタンをとめる。

 力説しすぎて着替え途中のことなどすっかり忘れていた。

「悠生のこと…新奈から聞いてるだろ?」

「え?あ、うん。少し」

「事故のことも?」

「うん」

 本人にも会ってるけど…言うタイミングを逃した。

「スピードの出しすぎの単独事故」

「うん。新奈さんはそう言ってた。違うの?」 

「いや、確かにそうなんだけど……」

 椅子にかけたままで、俯く表情は見えない。その先をどんな風に切り出そうか考えている彼を急かさないように、私は黙っていた。

「俺たち3人は幼なじみで仲が良かった」

 しばらくして、思い出をたどるようにポツリと話し出した奏多。

「悠生とは昔から何でも競っていたけど…勉強と足の速さだけは勝てなくてさ。勉強は諦めたけど、足だけはいつか必ず勝つ、とそれだけが目標だった」

「うん」

 できるだけ静かに相づちだけをうち、私は彼の隣に腰掛けた。

「でも高校が別になってからは少し疎遠になってた。悠生が悪い仲間と遊んでるみたいだって聞いても特に気にしてなかった」

「悪い仲間?」

「バイクを乗り回したり夜遊びしたりで、新奈はかなり心配してた。だから、去年の大会が終わってすぐ説教するつもりで会いに行ったんだけど。でもまだ俺もガキで…新しい世界が新鮮だったというか、刺激的と言うか」

「要するに、ミイラ取りがミイラにってやつ?」

「まぁ…そんなとこだ」

 悠生さんを悪い仲間から引き離すつもりが、自分も仲間に入ってしまったということか。

 チャラチャラしてる奏多らしい。

「夜中にバイクを乗り回してて…俺が雨でスリップして転倒した。悠生がそれを避けるために派手に転んであんなことになったんだ。確かに単独事故だけど……俺は軽傷で、他の仲間はすぐに逃げたよ。救護もせずに」

「ひどい!」

「だろ?…俺も、そのうちのひとりだ」

「え?」

 耳を疑う。パッと彼の横顔を見たけれど、顔は上げずにぎゅ、と目をきつく閉じていた。

「嘘でしょ…だって救急車、は?」

「悠生が自分で。意識はハッキリしていて…大丈夫だから帰れと」

「悠生さんがそう言ったの?」

「……」

「でもそれって…大丈夫じゃないよね?」

「……」

「言われたから、そうしたの?」

「……」

 奏多は何も言えずに、ただ私の質問に何度も頷いた。

 悠生さんとは一度話した事があるだけだけれど、とても奏多を嫌っているようには見えず、むしろ大切に思っているように感じた。

 彼の言うことが本当だとしたら、悠生さんは奏多を守るために帰れと言ったのだろう。 

 時間帯、悪い仲間、バイクを乗り回すなどなど簡単にこれからの人生を狂わせる要素ばかりだから。

「大丈夫なわけ、ないのに……わかってたのに、俺は」

 今にも泣き崩れそうな震えた声。初めて見る彼。初めて聞く声だった。

「帰れって言われて、正直、ホッとした」

 言っていることは最低な話だが、私がその場にいたら同じように思ったかもしれない。

 しかしその時逃げたことにより罪の意識が増した。走ろうとすると足が動かなくなり過換気症候群を起こすようになった。

「それから悠生は離れていった。俺のせいで新奈とも別れたみたいだし」

 奏多が泣いているようで、怖かった。いつも強気な彼が泣いてしまったらと思うと何故か不安でどきどきした。

 私が話して、と言ったくせに、少し後悔した。

 慰めたいわけじゃない。奏多もそんなつもりで話してくれた訳じゃないと思うし、慰めても説教してもきっと響かないだろう。

 自分の弱さ浅はかさすべて理解し、悩み、この1年、毎日毎日後悔していたに違いない。

 私は何も言えない代わりに、膝上に投げ出されていた彼の手をそっと握った。

 冷たい指先がぴく、と僅かに動いたのが伝わる。

「やめろよ。グズなんだよ、俺は」

 怒っているような口調なのに、いつものキレ具合と勢いがまるでない。

「何でなにも言わないんだよ!最低だのグズだの言えよ…許さないって怒鳴れよ」

 美緒さんを罵り責めたあの時、彼は隣にいた。私の言葉をきっと自分に重ねて聞いていたのだろう。

『忘れて良いわけない、絶対に許さない』

 あの言葉は痛烈に彼の心に傷をつけた。もしかしたら薄れかけていた罪の意識を掘り起こしたのかもしれない。

「奏多?」

 私は座ったままの彼の目の前に立ち、そっと頭を抱き締める。

「大丈夫?」

 言うと更に小刻みに震えだす。

「離せ」

「イヤ。それでも私、奏多が」

「違うんだよ!それだけじゃないんだ」

 私の腕を払うように立ち上がった彼は、掠れた声を絞り出すように、

「……美緒さんは、何も悪くない。悪いのは全部俺で…怒鳴られるべきは彼女じゃなかったのに。言い出せなくて」

「奏多?何の話をしてるの?」

「俺さえしっかりしてれば、お前の兄貴は死なずにすんだのに」

「え?何でお兄ちゃん?……何の話?全然わからないよ」

「あの日彼が助けてくれたのが……俺の弟だ。まさか、縁さんが亡くなっていたなんて」

「弟?…う、そ」

 作り話にしては凝っているし、いくら私がキライでもそんな冗談、笑えない。

「嘘じゃない」

「でも、そんな…」

「うちは母子家庭だから、いつも母は仕事で…俺は友達と遊ぶにも弟を連れていかなくちゃならなかった。――あの日、俺は友達とサッカーをしていて…弟の絢斗あやとには邪魔してほしくなかったから出来るだけ離れて遊ぶように言ってあった。だから絢斗がいないことにも気づかなくて」

「そんな」

 奏多がちゃんと弟さんの事を見ていれば…

「全部、俺が悪い」

 ちゃんと弟さんと一緒に遊んであげていれば…今もお兄ちゃんは私の傍に?

 誰を責めたところで、未来は何も変わらないのに、私はさっきみたいに彼の手を握ってあげることが出来なかった。

「いつから…知ってたの?私が妹だって」

「天と一緒に町で美緒って人に会った時…お前と彼女の会話で思い出した。美緒さんが、弟を助けてくれた人の彼女だって」

「そう、なんだ…」

 頭が一杯すぎてきっと理解が追い付いてない。

「奏多のせいで…?」

 理解しようとすればするほど、込み上げる感情がコントロールできなくなる。美緒さんを責めたあの時みたいに。

 悠生さんの事故の話を聞いた時は、冷静に彼を慰めるようなことまでしといて…他人事だからできたんだ。

 あまりの恥ずかしさに頭が痛い。

「天?おい、天」

 奏多の声が遠い。

「大丈夫か?」

 と伸ばされた彼の手を見て見ぬふりをして拒否した。もうわけがわからなくて。

「さっき言いかけたこと、これでもまだ言えるか?」

「え?」

「これでわかっただろ?――俺に、関わらない方がいい理由」

 その時、

 コンコンと部室の戸を叩く音がして、

「天、いる?」

 呼ばれて返事をするよりも先に、パッと私から離れた奏多。

 声の主は、海吏だ。

 奏多も声だけでわかったのだろうが、ちらりと彼を見ても何も言わずそっぽを向いたまま。

「天?」

「は、はい。今着替えてるとこ」

 ドアの向こうに応える。

「良かった、まだいてくれて。一緒に帰ろうと思って」

「あ、えーっと」

 なんて答えようか俊巡していると、

「早く行け」

 外の海吏に聞こえないように、小声で言う奏多。

「でも…」

「いいから」

「う、うん」

 急いでブレザーを着て支度をしている間、彼は何も言わず、一度も私を見ようとはしなかった。


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