18.母親

「ただいまー」

 私は帰ってすぐに、リビングを通らずお風呂場に直行した。

「お帰りーご飯できてるわよー」

「お風呂先入るー」

 恐らく台所から聞こえてきた母の声に、私は同じ音量で返した。文句が飛んでくる前に、さっさと制服を脱ぎ捨てシャワーを全開にする。

 こんな顔なんて見せられない。朝希の言葉に感動して泣いたなんて言っても心配させるだけだし。

「天!先にご飯済ませちゃってっていつも言ってるのにー」

「汗かいてて嫌なのー」

 ゆっくり体を洗って湯船に入る。頭まで浸かって瞼をもむ。少しでも血行がよくなれば、泣き腫らした目が治るかと。

「天ーまだ上がらないの?」

 脱衣場から母の声がする。

「ご飯冷めちゃうわよー」

 いつもはご飯が冷めようが放っておかれるのに、今日に限ってそんな事を言いに来るなんて。何かを察しているのだろうか。

 母親ってすごい。

「ねぇ、お母さん」

「なぁーに?」

「お兄ちゃんのお墓の花ってさ…」

 すりガラスの向こうの母に言うと、

「あぁ、美緒さんでしょう?」

「何でやめさせないの?」

「何で私がそんなことしなきゃならないの」

「だって」

「でも結婚するなら、もうそんなことしてる場合じゃないわよね~」

「え?美緒さんのこと知ってたの?」

「もちろん。本人から聞いたわよ」

 母が知ったら悲しむと思った。私のように怒ると思っていたのに。

 母の姿は見えないけれど、強がりでも何でもない穏やかな表情だと声だけで分かる。

「なんで笑ってられるの?」

「縁はもう、いないのよ?」

「そうだけど」

「例えば縁が今も元気で、美緒ちゃんが別の人を好きになったとしたら…あの子は怒ると思う?」

「思わない」

 それだけは、即答できる。

「でしょう?美緒ちゃんは絶対に幸せにならなきゃいけない子なのよ」

 私はにはそんな風に思えない。

「だって!あの人が忘れ物さえしなければ…こんなことには」

「また始まった~天のタラレバ劇場」

「だって」

「いくらそんなことを並べたって仕方ないでしょう」

「どうしてお母さんはいつも楽観的なの」

 もちろん当時の両親は思い出すのも怖いくらい取り乱していたし、魂が抜けたようにぼーっとしていることも多々あった。

 悲しんでいる母を見たいわけじゃないけれど、そこからどうやって立ち直ったのか。

「タラレバで縁が帰ってくるなら、なんでもするわよ。命だってくれてやるわ。お父さんも母さんもね」

 私だってわかってるけど……。

 割りきれないもやもやが、まだ晴れそうになかった。

「縁も天も…私たちの宝だもの」

「なにそれ」

「いつかあなたにもわかる時がくるわよ」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る