15.優しさ

 空が高くて、遠い。

 日中はまだ残暑が続くものの、最近は夕方になると心地よいさわやかな風を頬に感じるようになった。

 大会も終わり、部活漬けの夏休みも終わり……私の恋も終わった。

 長い夏だった気がする。

「はい、今日はここまでー」

 終業のチャイムがなり、先生が教室から出て行くと一気にまわりが喧騒に包まれる。

「やっと終わったな~天、今日部活は?」

「今日は休みだよ」

 窓際の私の席。その前の席の海吏が体ごと向き直おると、人懐っこいヤンチャ顔が優しく笑った。

「そっか。じゃぁさっさと仕事終わらせちゃうか」

「そうだねーどうする?」

 文化祭の企画担当になってしまった私と海吏は最近何かと一緒にいることが多い。

「俺はやっぱ模擬店がいいなー」

「他のクラスも模擬店多いんじゃない?」

「じゃぁ被らないように……ラーメンとか、寿司とかどう?」

「無理だよ!だいたい誰が作るの?ナマモノはダメって先生が言ってたじゃん」

 そうかーと顔をしかめる彼が面白くてつい笑ってしまった。

 とそこに、

「女心と秋の空ってねー」

 不適な笑みをわざわざ浮かべて割り込んできたのは朝希。

「古っ!私そーいうつもりなんてないよ」

「いいじゃん、いいじゃん」

「いい加減な事言わないでよー海吏にだって…」

 悪いし、気まずくなりたくないし。

「何言ってんの?お前ら。いきなりことわざ言われてもわかんねー」

 ハテナ状態の彼を見て、また笑みが漏れた。

「ことわざじゃないです。良かったねー天、海吏がバカで」

「おいおい、朝希!撤回しろ」

「ムリ」

「はぁ?じゃぁ代わりに文化祭の案出せよーちなみにナマモノ禁止な」

「知ってるし。じゃぁタピオカにしよ!」

「何それ」

「は?知らないの?タピオカジュースよジュース!」

「し、知ってるし~」

 ふたりの掛け合いを見て、自然とまた笑顔になっている自分に気づく。彼や友達のお陰で立ち直りつつあるのは事実。

 でも朝希が言いたいように海吏に心変わりしたわけではない。彼は優しいし、一緒にいると楽しいけれど、やっぱりまだ奏多が大好きだし、忘れるなんてできないから。

 結局、私は夏の陸上大会に出られなかった。気持ちを整理して懸命に記録会に望んだが、奏多がくれたチャンスを活かす事はできなかった。彼の期待に応えられたなら、もう一度私を見てくれるような気がしていたのに。

 悔しかった。

 そしてそのまま彼に会うこともなく、3年生は部活を引退した。

 これで良かったんだ。人なんてそんな薄情なものだし。女心だけでなく、秋の空のようにころころと移り変わっていくものなんてたくさんある。

 忘れられるなら私だって…美緒さんのように、簡単に。

「天、どうした?」

「え?あータピオカだっけ?」

 案を書き出していたノートを見てあわてて答える。

「いや、その話はもう」

「ごめん、ぼーっとしてて。……あれ?朝希は」

 気づけばもう彼女はいなかった。

「さっき帰ったじゃん」

「そうだっけ?」

 教室に残っていた最後の数人も「お先に~」と帰ってしまう。

「大丈夫?」

「ごめん」

「天?何で、泣くの?」

「え?」

 言われて初めて、感情が表に出ていたことに気づく。自覚すると余計に涙が溢れて、視界が霞む。

「泣いてなんか…」

 隠すようにして今さらノートに向かっても、もう遅いけれど。

「天」

「見ないで」

 ボールペンを持っていた手に彼の手がふわ、と添えられる。決して誰かのように慣れた風でなく、どうしたら良いかわからず、躊躇しているようにも感じた。

「もう、やめなよ」

「え?」

「そんなに辛いなら、先輩のこと忘れなよ」

 握られた手にく、と力が入る。顔をあげると、無垢で真っ直ぐな瞳が私を見ていた。

「いや、違うな。そんな事言いたいんじゃなくて…せめて俺といる時だけは、考えなくていいようにするから」

「海吏…」

 一度は、好きな人がいるからと海吏からの告白を断った。

 それなのに私は一瞬、彼に抱き締めてほしいと思ってしまった。

 けれど彼は、そうしない。

 彼なりの優しさで包んでくれる。不器用にも私の頭をぽんぽん、と撫でて、

「ごめん、慣れてなくて…正直どうしたらいいか、わかんない」

 それが強めでちょっと痛かったけれど、不慣れさが余計に嬉しくて、私は空いた方の手で海吏の手にそっと触れた。

 前と少しも変わらないでいてくれる彼に、甘えてしまってるのかもしれない。

 でも、涙に言葉を奪われた私にはそれしかできなかった。抱きつくのも手を繋ぐのもちょっと違う気がしたから、だからそっとこの気持ちを伝えた。

「ありがとう」

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