14.後悔
雲ひとつない、晴天。
照りつける太陽の光が眩しく目が痛くて、外に一歩出ただけで立ち眩みがしそうだった。
選考会当日。
選考会とは言っても、ただの記録会みたいなもの。
月一で行われている記録会の締めであって、今日だけぶっちぎりにタイムが良くても、今までの記録がぶっちぎりに悪ければ問題外。
顧問とマネージャーがすべて考慮した上で選抜される仕組みだった。
けれど、奏多はVIP待遇のため一度ぶっちぎりに良ければ選ばれるだろう。
土曜日のグラウンド。どこから噂を聞き付けたのか、何故か今日はギャラリーが多かった。
「天ー!おっはよー。朝から暑いねー」
部室に入るなりテンション高めの朝希が駆け寄ってくる。
「ねー知ってた?今日奏多先輩出るらしいよ!」
「え!あーそうなんだー」
ドキっと、したけれど、平静を装い知らぬふりをする。
「みんなその話ばっかりでさー」
「で、でもただの噂じゃないの?」
「だって奏多先輩誰よりも早く来てもうアップ始めてるって」
いつも約束なんてすっぽかされてきたから、少し心配だった。選考会出るなんて言ったっけ?なんてはぐらかされるんじゃないかと。
「一足お先に見てくるね」
じゃ、と朝希は数人の女子を引き連れて出ていった。
「待ってよー」
足の速い男子は小学校の頃からだいたい人気があるもの。オマケに奏多はイケメンだし頭も良い、男女問わず後輩からも慕われていた。
チャラさを除けば完璧なのに、なんて思いながら急いで支度を済ませ、後を追った。
日差しの強さでさらに空が青みを増す。
「朝希ー?」
元はと言えば私が彼を説得したんだから、と少し誇らしい気持ちになる。
でも、彼が約束を守ったと言うことは…私も。
部員も、ただのギャラリーも注目はもちろんあの奏多佑李。久しぶりに全国レベルの走りが見られるとあってざわめきたっていた。
「奏多先輩ならほら、あそこ」
朝希がこそっと耳打ちしてくれた方をさりげなく見ると、彼はもうアップを終えて仲間との談話で盛り上がっていた。その和の中にはもちろん新奈さんもいる。
「遅かったよ、天。今スタート練習してたとこだったのに」
「そ、そっか」
「やっぱりカッコいいわ」
「うん」
汗を拭い、仲間たちとフォームを確認する奏多の姿も久しぶり。
ずっと見ていたい。
「はーい、暇そうな女子ぃ~サボってないでグラウンド5周」
顧問の芹沢先生に促され、私たちは文句たらたら従う。
アップがてら走ってきなーと言われたが、要は浮き足立ってる女子は野次馬払いされたのだ。
「天、遅れてるー」
マネージャーの朝希に叱咤されるのは放っといて、集団に遅れさえしなければいいだろ、と適当に流しながら走る。目の端では奏多を追っていた。
彼の走る姿を見たくて同じ高校に入り、なんとか近づきたくて頑張ってきたんだから。
男子は種目別学年別に別れそれぞれでタイムを計る。一発勝負ではなく、何度か挑戦し、今日一のタイムを記録する。
男子の100メートルから始めるようで、その回りは更に人だかりが増えていた。
ようやくグラウンド5周を終えた私は、その集団に混ざろうと急いだが、
「天ー!」
朝希に呼び止められた。
「ん?」
「1年集合だって」
「えー」
マネージャーに手招きされ、泣く泣く見学を諦め彼女の元に集まった。
「副部長が、1年生はまず準備とか記録係りやってくれって」
「えー私たちは戦力外ってこと?」
水分補給をしながら、隣にいた
「そんなことないよ。先輩たちが終わってから走らせてくれると思うよ」
江南さんも他の1年生もみんな選手に選ばれるようにこの最終選考会にかけていたに違いない。
「まー期待されるはずないよね」
みんな腑に落ちない顔をしながらも、副部長直々に割り当てられた持ち場につく。
「奏多先輩が見えない~って顔だね、天」
私は朝希とふたりで幅跳び用の砂場の整備をすることになり、いやいや木製のレーキで砂をならす。
「わかる?」
「うん」
この場所からは遠くて誰が走っているかはっきり見えない。
「だってやっと奏多の走りが見れるって言うのに、どうして1年女子だけ雑用ばっかり」
「副部長のミナコ先輩も奏多先輩のことお気に入りだから、特に天を遠ざけたかったんじゃない?」
「ひどー」
視力はそんなに悪い方ではないが、グラウンドの隅の砂場からはそれぞれの顔を認識するのは不可能。
「でも今日出てくれたらきっと大会にも選ばれるだろうし」
「まぁ、ねー」
「天はやっぱり先輩のこと…」
「うん。ふられたけど、やっぱり好きだな」
「そっか。じゃぁ仕方ない。応援する」
「ありがと」
友達の言葉にちょっとジーンとして温かい気持ちになる。話せる友がいてよかったと心から感じる。ちょっとやそっとのことで諦められるわけがないから。
「ねぇ天、なんかあっちの方騒がしくない?」
「え?…そう?」
見回すと、いつの間にか人集りが増え、なんだかざわざわしていた。
「盛り上がってるんじゃないの?」
「いいなー」
すると少し離れた場所で高跳びのマットを運んでいた江南さんが、
「ねー誰か倒れたらしいよー!」
と大声で教えてくれた。
人集りの場所、ギャラリーのざわめき…何故か、嫌な予感がした。
すーっと胸の奥深いところが冷えて寒気に変わる。
まさか、と思った瞬間、私は持っていたレーキを放って走り出していた。
すみませんと、人混みを割って出た先にいたのは、
「佑李っ!」
膝をつきうなだれた奏多の、肩を抱くようにして名前を繰り返し呼ぶ新奈さん。
「しっかりして!」
彼女に似合わない甲高い叫びが響く。
奏多の表情は見えないが、速い呼吸を繰り返し、体が震えているように見えた。
「奏多くん!」
芹沢先生が飛んできて、新奈さんと共に彼を立ち上がらせる。彼は苦しそうにしながらも、大丈夫です、と会話もできるようだった。
「熱中症かな?」
心配する先生に、新奈さんがすぐ答える。
「たぶん、過換気だと思います」
「そっか。とりあえず保健室で休んだ方がいいわね。…さっさと野次馬は散る!散る!」
わらわらと追い払われた野次馬が散らばる中、私はめまいがして動けずにいた。
どうしてこんなことに?
新奈さんにしっかり肩を抱かれながら校舎に向かって歩く奏多が、私の目の前を通りすぎようとする。
私に気づいた彼がすれ違い様に、
「早く、戻れ」
ささやくような掠れ声。
「奏多…ごめんなさい、私、」
「やっぱり天ちゃんだったのね」
足を止めた新奈さんが、前を向いたままで言った。
「おかしいと思ったのよ。急に選考会に出るなんて言い出すから」
本当に彼女のものかと疑いたくなるほどに、低い声だった。顔は見えない。
「新奈、やめろ」
彼に制された新奈さんは、でも、と続けたが、その先をため息に替えて吐き出すとまたゆっくりと歩き出す。
その背中に向けて、
「ごめんなさい。まさか、こんなことに…なるなんて」
呟くように言うしかなかった。
梅雨空のまま晴れない私の心とはうらはらに、見上げたそこに広がる一面の青い空。
いつだったか、奏多が教えてくれた。
これが、紺碧の空ってやつか。
あまりの青さに私は、息をすることさえ忘れていた。
「なーんか期待はずれだよなー」
「ホントがっかり!」
「もったいぶって、やっと出てきたと思ったらこれかよ」
ふと我にかえり、突然耳に戻ってきた喧騒。なぜかその中から、気になる会話だけが嫌でも聞こえてしまう。
確かに私も奏多の走りを待ちに待っていたから、ショックは大きい。
「天?大丈夫?」
「うん」
「奏多先輩ね、スタート地点で硬直したように動かなくなったらしいよ。そのうちに呼吸が荒くなって倒れたって…」
朝希の情報によると、練習の時は全く具合の悪い感じはなかったようだ。
「そっか」
嫌がってた場所に無理に私が引っ張り出したから、こんなことになってしまった。
「前にもあったらしいよ」
「え?前って?」
「去年の大会が終わってからすぐの記録会で」
「うそ…」
「その時倒れてから走らなくなったって、先輩たちから聞いた」
「…そうなんだ」
私が彼に一目惚れした、あの大会の後か。
「天、聞いてる?」
「私、行かなきゃ」
「でも、そろそろ1年生も準備しとけって先生が、」
「ごめん!」
天!と、何度か呼ばれたのは分かっていたけれど、止まるわけにはいかなかった。
保健室までまっしぐらに走ってきてしまったけれど、奏多はもちろん新奈さんにまで嫌われてしまった今、何を言えばいいのか。
ドアに伸ばしかけた手を何度も、あと一歩が踏み出せない弱さが引き戻させる。
「佑李、どうしてこんなことになったの?」
室中から、新奈さんの諭すような優しい声がした。
「大丈夫って言ったよね?」
「…ごめん」
「なのにまた、あんな思いをするなんて」
急に語尾が震え出す。もしかしたら泣いているのかもしれないと思った。
いつも言葉の端々が柔らかく穏やかな新奈さんが今日はもう崩壊している様子。
「ごめん…やっぱり、無理だった」
似合わず弱々しい奏多の声。
「当たり前だよな。俺なんかが走って良いわけない」
「そんなこと…」
「いいんだよ。これが俺の――」
一体何の話をしているのか、私には全く想像もつかないけれど、ふたりの間には私なんかが入り込む隙などないことだけはわかった。
だから、関わるなと言われていたのに。
私は自分のことばかり考え、彼の気持ちなど全く考えていなかった。
ここで私が登場しても邪魔になるだけだし。もうグランドに戻ろうかと逡巡していると、突然ドアが開く。
「天ちゃん」
「あ、新奈さん、あの…奏多は?」
新奈さんは後ろ手でドアを閉め静かに言う、
「今、やっと落ち着いたところだから。少しひとりにしてあげて」
「でも私」
「私前にも言ったわよね?みんながみんな素直に生きられないって」
泣き濡れた赤い目が私を見る。あまりの真直さに俯くしかなかった。何も言い返せない。
「佑李はもう走ることに対して意欲がなくなったんだとばかり思っていたけど、違ってた」
「え?」
「ずっと走りたかったんだな、って。そのきっかけをあなたが作った……でも、佑李が自分に素直になった結果が、これよ?」
決して大声でも怒っている風でもないのに、射るような瞳の強さが痛い。ずし、と心に重く刺さる。
いつもは私を気遣って『奏多』と苗字で呼ぶのに、きっと余裕がないくらいに私が追い詰めたんだ。
「ごめ、」
「いいから早く戻って」
言い切る前に被せられ、
「記録会終わるわよ」
「……はい」
こんな気持ちのままいいタイムなんて出るはずがない。もう無理だ。
「いい加減な気持ちならやめた方がいいわ……本当は選考会に1年生なんて出られないんだから」
「え?」
「だけど、佑李がチャンスだけはあげてくれ、って先生を説得したの」
「うそ…」
「だから2.3年生はちょっとカリカリしてるわ。あなたたちの代だけ特別だなんて」
私たち1年が特別優秀だったわけじゃないけど、選考会に参加することは当たり前だと思っていた。
「奏多が?」
「もちろんあなたのためだけじゃないわ」
「……はい」
彼は私の走りが好きだと言ってくれた。関わるなと言ってたくせに、的確なアドバイスをくれたりして…こんなんで嫌いになんてなれるわけがない。
「戻って……佑李はもう大丈夫だから」
私は溢れ出る涙を拭いながら静かに頷いた。
奏多のことはもう、忘れなくてはならないのだと強く思った。
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