11.私の気持ち

「それでねーこれ、貰ったの!」

 じゃーん!なんて効果音まで添えて朝希がちらつかせたのは、シンプルなシルバーの指輪。きゃーっとまわりの数人の女子が黄色い声をあげる。

 もちろん授業中は指輪なんてしていられなかっただろうから、きっとこの時間まで自慢したくて仕方なかったんだなぁ、と可愛らしくも感じる。

「朝希すごーい!良かったね~」

 盛り上がる数人の横で、私はコンビニのパンをかじりながら教室の時計の針ばかり見ていた。昼休みくらいゆっくりしたいもの。

 みんなはしゃべってばかりでいつお弁当を食べているのかと思うくらい話に夢中。

 朝希は彼との付き合って何ヵ月記念のデート話で忙しかった。幸せそうでなによりだが、今の私には刺激が強すぎる。

「ずいぶん退屈そうだね~天」

 まわりの友達が連れだってトイレに立ったタイミングで、朝希が言った。

「ごめん」

「いいの。羨ましかったらさっさと海吏と付き合いなさい!」

「は?」

 朝希には奏多に言われたことをすべて話していた。完全にフラれたと知っていて、あえて遠慮せずにのろけ話をする彼女に、私は正直ありがたいと思っていた。

 変に気を使われて気まずくなりたくもない。

 素のままの彼女でいてほしいから。

「聞きましたよ~某スジから!海吏、奏多先輩の前でまた告ったらしいじゃん?」

「なんでそれを!」

「どーするの?海吏は優しいよー?」

「そーいう問題じゃないでしょ」

 奏多がダメだったからはい、次、なんてできるわけないし、そんな気持ちにとてもなれない。

「ちゃんと断るよ」

「ちぇーもったいな!」

 言いながらまた指輪を眺め微笑む朝希。可愛らしい笑顔に羨ましさも感じるが、自分の気持ちをごまかして手にいれた幸せなんてきっと長くは続かないから。

 しばらくしてトイレから戻った女子が加わり、朝希のまわりはすぐに賑やかになった。

 今は気分的に彼女らの会話についていけなかった。他愛もない話をして普通に笑い会いたい。

 あんなひどい男など忘れてしまえばいいんだ!なんて思ってみても、簡単にはいかない。だって朝も昼も夜も目覚めてすぐも、奏多のことばかり。

「やっぱり私はバカだ」

 喧騒の中にかきけされた呟き。自分にだけ聞こえて余計に切なくなる。

 なんだかよくわからないけれど、鼻の奥がつん、とする。

 このままだと、号泣してしまうかもしれない。

「天どうかした?」

 声をかけられ、笑顔を作る余裕もない。

「ちょっと、トイレ」

 俯いたまま立ちあがり、私は逃げるように教室を出た。

 友達に素っ気ない態度をとってしまい、感じ悪かっただろうな。悪いことしたな、とポロポロあふれでる涙をそのままに、私は屋上に走った。

 もうすぐ昼休みも終わる時間だし、今日のようにバカみたいに暑い日はきっと誰もいないだろう、と扉をあける。

 真上から照りつける太陽の眩しさで、思わず目を細める。イヤな、じめっとした空気はなくカラリとした暑さの中にたまに吹く風が心地よい。

「はぁー」

 青い空、広いグランドを眺めながら、ひとり悲しみに浸ろうとした時、さらに傷心な私を落とす声が、

「ねーやだ、誰かきたらどうするのー?」

「大丈夫だって!」

「やだぁ~」

 屋上の物置小屋の方から、いちゃつく男女の声。

 イラッとして、咳払いをひとつ。

 聞こえていないのか女の恥ずかしそうな声は止まない。

 男の声はもちろん、あの人。もう我慢出来なくて、

「ふざけんな、バカー!」

 大声で叫んでやると、

 小さな悲鳴と共に女子が奥から走ってきて、制服を正しながら私には目もくれず階段を降りていった。

「あーあ~」

 姿は見えないが、奏多の悔しそうな声がした。

 おそらく屋上の物置小屋で出来た日影の辺りでイチャついていたのだろう。こんなに暑い日にバカじゃない?なんて笑って言えたら。

「邪魔すんじゃねーよ、天」 

 わかっていたことだけど、やはり切ない。

 でもちょっと嬉しかったのは、姿を見なくても私だと分かってくれたから。

「代わりしてくれんの?」

「ガキですから私」

「あ、まだ怒ってんのか?」

「べつに。私もひどい事言ったし」

「そうだっけ?」

「うん。ごめん」

「お前が謝る事なんて、何もない」

 静かに言った彼の声が私にはひどく温かく感じた。

「だから、俺も謝らない!」

「わかってる」

 彼が言った事に嘘はないのだろう。

『天のことなんて好きでもなんでもない』と。

「でもあん時の海吏カッコよかったよなー」

「…うん」

「まぁまぁイケメンだし」

「うん」

「まぁまぁ…良い奴だよ」

「うん」

 確かに告白してくれた時はドキドキしたし、カッコ良くも見えた海吏。だけど、何か違う。

 余計にはっきりした、奏多への気持ち。

 軽い調子で海吏を私に勧めているのは、私の大好きな人。届かない気持ちが悲しすぎて、涙が出た。我慢していた分次々と溢れ出す。

 初めから好かれていたわけじゃないとわかっていたはずなのに。言われた時も涙なんて出なかったのに。 

 その時突然、

「誰かいるのかー?」

 階段の下から声がした。

 このおっかない声はおそらく生活指導の峯尾先生。

「授業中だぞ!誰だ?」

 階段をさらに上がってくる靴音。

「げっ」

 見つかったら一喝だけではすまないこの状況に、あわあわしていると、

「どーした?」

「み、みねりん!」

 のんきな奏多に小声で返すと、返事が来るより先に、突然前につんのめるようにして手を引かれた。あ、と思うよりも先にふわっと奏多の匂いがする。

 汗くさいような男臭ささの中にほんのり香る甘い匂い。さっきの彼女の香水なのかもしれないけれど、拒めない。

 とん、とぶつかるように胸に抱き止められたと思ったら、今度は肩を掴まれ後方に押された。

「奏多?」

「しっ!」

 奏多は私を背に隠すようにして立ち、

「あ、みねりーん!俺、俺~」

 笑いながら、階段を半分上がってきた峯尾先生に手をふった。

「やっぱりお前か!成績はよくてもサボりはいかんな」

 声からして期待を裏切らない、厳つい見てくれの峯尾先生。せめてあだ名だけでも、といつからかみねりん、と可愛らしいあだ名がついたらしい。

「今すぐ教室に戻らないと、留年じゃ済まさないぞ!2年に落としてやるからなー俺の独断で!」

「えー!」

 奏多だけにそんな罰則なんてひどすぎる、と私も顔を出そうとすると、彼は察したように後ろ手で私の手首を掴み、動くなと言わんばかりに力が強まる。

「みねりんの権力半端なっ」

「いいから、わかったな奏多!」

「はーい!了解しました~」

 ぶつぶつ文句を言いながらもまた階段を降りていった先生。完全に足音がしなくなるのを待ってから、

「俺、来年天と同級生になったりして」

「うん」

 もう、声になっていなかったかもしれない。彼は振り返らずに続ける。

「みねりんだって本気じゃねーし。女と一緒にさぼってる方がやべーだろ」

「うん」

「………つーか、なんで、泣いてんだよ」

「ご、ごめん」

 なんで、かばうの?

 なんで、優しくするの?

 それなのになんで、私を好きでいてくれないの?

 いろいろぶつけたいのに。

「俺は、」

「わかってる。…新奈さんを支えてあげたいんでしょ?」

「え」

 私の手首をつかんいるその手が、僅かに緩んだ。肯定もないけれど、否定もない。

「それでも私は、」

 奏多が好き。

「ごめん」

 被せるように言って、手が離れる。

「うん」

 あんなにひどい事言っても、謝らないって言ってたのに…あまりに、あっさりと。

 暑ささえ忘れていた。

 ずっと奏多の背中を見ている形になっていたけれど、

「でも…」

 ゆっくりと振り返り、彼は言う。

「俺は天の走ってる姿が好きだ」

 本当に久しぶりに、こんなに綺麗な瞳だっただろうかと思わせるほどの目と、目が合う。

 私はきっと涙でぐちゃぐちゃだろうに。

「お前の走りを見ていると、楽しくなるってゆーかさ。遅いけど。天は俺と逆で前半すごく良いんだから後半持つように、足を鍛えろ。その細い腿を、倍にしろ」

「倍?」

「すぐに結果がでなくても腐らず、走れ。サボらずにしっかりやれ!」

「…はい」

「俺みたいになるな」

 いいな!と先生みたいに捲し立てるように言うだけ言って、彼はそのまま階段を降りていった。

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